「松川って、かっこよかったんだね」







 時刻はお昼休み。学食だったり屋上だったり、はたまた日当たりの良い中庭だったり、食事をするには打って付けの場所は多々ある。お気に入りの場所を見つける者もいれば、その日の気分でふらふらする者もいる。自分は後者で、今日は弁当を持ってきているから教室で食べることにした。共に食べるメンツもまちまちだったが、やはりというか同じバレー部の奴らが多い。今日も今日とて、1組前を通り過ぎようとした花巻が俺の姿を見つけて教室に入ってきた。やつも今日は弁当らしく、俺の前の席の奴の椅子を借りて向かい合い、同じ机に弁当を乗せる。正直狭い。180cmオーバーの男二人が一つの机を一緒に使う絵面は割ときつい。だからと言ってわざわざ机を動かすのも面倒なわけだが。まぁ、まだ花巻と二人だけならマシ。これで他の三年まで集まったら余計きついしうるさい。一緒に食べる彼女でもいれば、花があったのに。残念ながら居ないので、花は花でも花巻で我慢する。

 食べ盛りの男子高校生である俺らは早いうちに弁当を平らげると、物足りなさを埋めるように予め買っておいたパンを更に貪る。花巻は更にデザートも食べる。今日はエクレアだった。女子か。
 残りの昼休みはくだらない話をしたり、スマホをいじったりして駄弁る。ごくごく普通の男子高校生の日常だと思う。花巻がエクレアを食べながら時折何か話題をふっかけてくるのを、俺はスマホをいじりながら答えていた。すると、隣の席の椅子が引かれる音がした。別の場所で食っていた奴が戻ってきたんだなと特に気にも留めていなかった。が、何故だか刺さるような視線を感じる。何か用でもあるのかと、視線の主である隣に目を向けた。しかしそこにいたのは俺が思っていた人物ではなくて。

「 ん、なに?」

 その人は、頬杖をつきながらじっとこちらを見ていた。俺の問い掛けに答える気もなく、じっと。
 そいつは同じクラスの子で、全く話さない子じゃない。かと言って、すごく仲が良いわけでもない。挨拶だったり、共通の話題があれば話す程度。正直俺は男子と話している方が楽しいし、彼女も女子同士で楽しそうに話しているのを見たことがある。そんなつかず離れずな距離にいた彼女が、名無しが今、食い入るように自分を見ている。一体何なんだ、と若干眉を寄せながらもう一度問い掛けようとしたところで冒頭の台詞を言われた。

「……え、なに突然」
「昨日夢に松川が出てきてさ」

 こっちの戸惑いなどお構いなく、名無しは軽い世間話をするように続ける。

「内容は覚えてないんだけど、めちゃくちゃかっこよかったんだよ。松川ってかっこよかったんだね。いい奴ってのはわかってたんだけどさ」

 俺も男だから、女の子にかっこいいと言われて嬉しくないわけがない。だが素直に喜べないのは、名無しの言うかっこいい俺というのが夢の中の出来事だったからだ。出てきたのは俺なんだろうけど、直接の俺じゃないから……なんかもう、わけがわからない。ありがとう、とお礼を言うのも絶対違う。
 返す言葉が見つからないでいると、エクレアを食べ終わって同じように話を聞いていた花巻が口を挟んだ。

「なに、惚れちゃったの?」
「夢の中では惚れてたよ、私。起きたら心臓ドキドキしてて、幸せ感ハンパなかった。正直、二度寝して続き見たかったくらい」

 その時のことを思い出しているのか、話す名無しはやたら嬉しそうに笑っている。頬もほんのりと染まっているように見える。俺は何とも言えない気分になった。夢の中の俺は一体名無しに何をしたと言うんだ。聞きたいけれど、聞きたくない。まぁ本人は内容を覚えてないようだし、どちらにしろ聞けないのだけれど。
 花巻が面白いものを見つけたとでも言うように俺と名無しを交互に見ているのがわかる。それにいちいち応えるのも面倒だが、名無しへの対応も正直面倒くさい。面倒というより、どうすればいいかわからない。
 俺の戸惑いを知ってか知らずか(高確率で前者)、花巻は話を掘り下げるつもりらしく、更に名無しに絡んでいく。

「夢に松川が出たってことは、名無しは松川に会いたかったの?なんかそういう話あった気がする」
「知ってる、思いすぎてってやつでしょ?私もそうなのかなって思ってさ」

わたしって、松川のこと好きなのかな?

「……いや、俺に聞かれても」

 名無しはこちらの戸惑いなどお構いなしに相も変わらず答えづらい問い掛けを投げてくる。変化球過ぎてレシーブしきれない。いよいよ花巻は面白くなってきた!と言わんばかりに目を輝かせているし、名無しは食い入るように俺を見ている。なんなの、実はグルなの?
 ドキリとする内容のはずなのに戸惑いが優っているのは、恐らく名無し本人が淡々としているから。女の子って、こういう話題はもっとキラキラしてするもんじゃないの?俺の認識が可笑しいの?

「とりあえずさ、夢見たせいもあるけど、松川が気になってるのは確かなのね」
「……おぉ」

 照れとかないのか。よく本人に向かって言えるな。そういう作戦かなんかなのか。

「現実でも松川にドキドキすんのかなーって気になって、多分松川のこと見まくると思うけど気にしないでね」
「いや気にするでしょ」

 わざわざ律儀にそれを伝えに来たのか。思わず突っ込めば、名無しは「そっか。うーん……」とずっと俺に向けていた視線を下げて考え込む。只管に真っ直ぐ向けられていた視線が外れたことで、なんだか肩の力が抜けた気がした。知らずうちに緊張していたらしい。しかし、じゃぁと次いで告げられた言葉にいよいよ俺は息を呑んだ。



「松川のこと好きになりそうだから、気にしてね」



 やんわりと目元を和らげるような微笑みに、心臓がどくんと鳴った。とんでもない殺し文句を言ってくれたものだ。
 言いたいことを言うだけ言って満足したのか、名無しは席を立って友達の輪の中に戻っていった。去り際に渡されたスポーツドリンクは“夢の出演料”らしい。いつもと変わらず女友達と談笑し始めた彼女をぼう然と目で追う。今のは告白……なのか?いや、まだ好きになる前だから恋愛宣言?どちらにしろよくわからない。

「……すげー殺し文句だったネ」

 面白がっていた花巻も流石にあの宣言には驚いたようで、ぽつりと呟いた声は小さい。もしこの場に我らが主将がいたら喧しく騒いでいたに違いない。本当、花巻だけで良かった。というか、花巻も居たのによく言えたな。

「……ほんとにな」

 そう答えるだけで精一杯だった。







 本人に答えた通りに、やはり気にしないというのは無理な話で。授業中、教師の話を聞く彼女の背中にチラリと視線を向けたり、廊下の先にいればつい目で追ったり。誰かと集団で居ても、思わず名無しの姿を探してしまったりしている。意識してしまっているのは完全に俺の方だった。これがもし彼女の策略だったのならば、とんでもない策士である。しかし、彼女も宣言通りに俺を見ているようで、高確率で目があった。特に俺は図体もでかいし見つけやすいのだろう。ただ、授業中でも目が合ったのは驚いた。俺が見すぎていたのかもしれないけれど、その逆もあった。そして決まって、名無しは目が合うと笑うのだ。あの時の、目元を和らげる優しい笑みを浮かべる。その笑みを向けられる度に、俺は形容しがたい感情に襲われる。それは“俺自身”に向けられているのか、それとも俺越しに“夢の俺”を重ねているのか。どちらも自分なのだけれど、一緒くたに出来ない。

 そうして名無しのことばかり考えていたせいだろうか。俺は、名無しの夢を見た。



 スマホのアラームで目が覚める。ゆっくりと瞼を開くのは名残惜しさから。アラームを止めて、もぞもぞと体を起こして暫くぼーっとする。夢の余韻に浸るように。
 ドキドキと心臓の音が煩い。静かな室内で、その音は直接耳に聞こえそうな程に高鳴っている。顔に熱が集まっているのがわかる。あつい。何より、それ以上に自分を包む幸福感。心が満たされる感覚に、ほうっと息をついた。まだ寝ていたいと思うのは初めてじゃないし、楽しい夢を見て続きを見たくなったこともある。でも、これは。

「……確かに、やべーわ」

 まつかわ、と甘い声で自分を呼ぶ彼女。優しく和らげられた目は一進に俺を見つめていて、その思いの丈を語っていた。彼女と何を話したのかは覚えていない。というより、内容自体覚えていない。ただ、彼女のことを可愛いと、愛しいと思ったことだけは覚えている。その漠然とした感覚だけで、この上ない幸福感が全身を襲う。
 未だに心臓の音は鳴り止まない。体の熱は冷めない。抜け出せない余韻に、掌で顔を覆った。

 名無しは、夢を見たせいで俺のことが気になっていると言っていた。俺は名無しのあの宣言から意識してしまって、それでこの夢だ。これはもう。

「恋で、いいんじゃないかな」

 こちらはまんまと落ちた。なら次は、彼女の番だ。