最近、よく話しかけてくれる男の子が居る。最初は、転校生である自分への好奇心かなんかだと思っていた。実際、自分のことについて聞かれたことがある。誕生日はいつだとか、好きな食べ物はなんだとか。初対面同士でよくある質問だろう。しかし、最近はそれ以外にも単純な世間話もするようになった。数学の宿題はやってきたか、だとか。さっきの授業の何処其処は難しかったね、とか。ドラマの話や、好きなアーティストの話なんかも振られる。正直、全部の話についていけるわけではない。趣味が合わないとかではなく、ただ単に人見知りが発動しているだけ。
「名無しさんおはよ。今日風すごいなぁ」 「あ、藤巻くん、おはよ。ほんま、風凄いね」 「名無しさんちっさいから、飛ばされてしまいそうやな」 「さ、さすがに飛ばされへんよっ」 「いやー行けるんちゃう?ふわふわしとるやん」 「してへんっ、ちゃんと踏ん張っとるから大丈夫やしっ」 「ぷっ、踏ん張らんと駄目なんか?」 「えっ」
教室に入ってすぐ、荷物を置いた彼は真っ直ぐにごんべのもとにやってくる。それからHRが始まるまでの少しの間軽い世間話をする。ギリギリまで話し込む時はごんべの前の席に座って話したりするけれど、人気者の彼は直ぐにお呼び出しがかかる。人気、というのは主に女の子からの話だ。現に今も他のクラスの女の子からお呼び出しがかかり、廊下でお話をしている。それから。
「っ……」
藤巻くんと話していると女の子に睨まれる。クラスメートからはそんな視線は感じないけれど、他のクラスの女の子からのそれはとてもあからさまだ。きっと、藤巻くんから話しかけられる自分が気に入らないのだ。そう考えてごんべは憂鬱気味に机に突っ伏した。
(いややなぁ……)
自分が藤巻くんと話さなければいいのだろう。だからと言って無視出来るかと言われればそれも出来ない。普通に話をしているだけでもいっぱいいっぱいなのに、他のことまで頭が回らない。
(ユウちゃんに会いたい……)
ごんべのクラスは二組。一氏のクラスは八組。行くには少し距離があるし、何より会いにいくまでにあの視線に耐えられないだろう。視線だけでこんなにも気が滅入るのに、呼び出しとかされてしまったらどうしよう。
*
「名無しさんて子、おる?」
どうやら自分でフラグを立ててしまったようだ。お昼休みが始まってすぐ、教室に現れたのは他のクラスの女の子。朝、睨んできた女の子とは別の子。遂に来た、と身構えてしまったせいで思い切り目が合ってしまった。逃げられず、びくびくと身を縮こませながら彼女に近寄った。
「あの……うち、です」
話したいことがあるから場所を変えようと言う彼女に付いて行く。どうやら彼女一人ではないようで、自分を挟むように更に二人の女の子も付いて来ていた。一人対三人。これはいよいよ逃げられない、とごんべは滲みそうになる涙を必死で耐えた。
「最近藤巻くんと仲えぇみたいやん」
連れてこられた校舎裏で持ちかけられた話はやはりというか、当然藤巻くんのことであった。自分の予感が当たって、やっぱり……と思ったけれど、少しも安心なんか出来なくて寧ろ心臓は痛いくらいにドキドキと主張している。
「仲良い、かはわからへんけど……クラス一緒、やし……話はする、よ」 「嘘やん!名無しさんのことえぇなって、こないだ藤巻くんが言うとったの知ってんで!」 「えっ……」
思わずどきりとした。しかし、それを本人からではなく第三者から聞いてしまったせいか本当かどうか疑わしいところだ。その「良いな」が恋愛の好きに繋がるとも限らないし、そもそも本人の預かり知らぬところで勝手に言っていいものか、と微妙な気持ちになった。どう反応したらいいのかわからない。
「藤巻くんてかっこよくてめっちゃ人気あるやん。やから正直羨ましいねん」
そう言って彼女たちは嫉妬の視線をぶつけてくる。ビシビシと刺さるそれに逃げたくなったが逃げる勇気はない。
藤巻くんはサッカー部のエースである。容姿も勿論だが、爽やかで優しくて女の子にとても人気だ。当然運動神経もよく、加えて勉強も悪くない。更に言えば何処ぞの誰かさんみたいに変な口癖もなく、本物のモテ男なのだ。そんな人気者の彼が、最近転校してきたばかりの地味な女の子とよく一緒にいるとあっては黙っていられないのだろう。でも、ならばどうしたらいいのだろうか。話しかけてくれる彼を無視したところでそれも反感を買いそうだし、だからと言って話しかけないでとも言えない。そんな勇気があるなら今ここで彼女たちに言い返している。 彼女たちは自分を羨ましいと言った。しかしごんべからしたら彼女たちの方が羨ましい。はっきりとものを言うことが出来るし、見た目だってごんべと違ってとても気を使っていて可愛い。長い目で見れば今彼女たちが行っている行動も藤巻くんへの恋心故だと思えばそれさえも可愛く思えてくる。嫉妬されているのは自分のはずなのに、段々と劣等感が募って惨めな気分になってきた。頑張って堪えていた涙が今にも溢れそうで、俯きながらぎゅっと唇を噛む。あぁ、どうしよう。泣きたくないな。どうしたらこの子達は満足してくれるのかな。
「自分らこないなとこで何してんねん。連れションにしちゃ空気悪いなぁ」
こういう時、いつも自分を助けに来てくれるヒーローがいた。
「な、なんや一氏」 「え、ユウちゃん……?」
聴き慣れた大好きな声に振り返ると、幼馴染の一氏がいた。その姿を見て安心してしまったごんべはぽろり、と涙を零す。背を向けているおかげで彼女たちにはわからなかったが、真正面からそれを見た一氏は不機嫌そうに眉を寄せた。一氏の機嫌が悪くなったのを感じて、ごんべはこれ以上涙が溢れないように必死で唇を噛んだ。
「で、もしかしてこれってイジメっちゅーやつか?やめや、かっこ悪い」 「ちゃ、ちゃうわ!ただちょっと、藤巻くんが名無しさんのことえぇな言うてたから、どんな子か見たくて……」 「ほーん」
素直にイジメです、なんて言ういじめっ子は居ないだろうが、一氏は彼女たちの言葉に興味なさそうに相槌を打った。藤巻くんのことを聞いて一氏がどう考えているのか気になったが、怖くて表情を確認する気にはなれなかった。子供の頃からずっと、自分には一氏だけだった。が、一氏にとってはどうかわからない。見捨てないで一緒に居てくれはしているものの、世話の焼ける幼馴染だくらいにしか思っていないのかもしれない。
一氏は、ユウちゃんは、優しい、から。
「こいつ俺んのやから。フジサワだかフジサンだか知らんけど、渡すわけあらへんやろ」
はっきりと聞こえた言葉に俯いていた顔を勢いよく上げた。その拍子にまた涙が溢れてしまったが、それ以降は驚いたせいでぴたりと止まってしまった。正面にいる一氏とは視線は合わず、彼はごんべの背後にいる彼女たちを見ているようだ。途端、背後から色めきだったようにきゃーっと彼女たちが騒ぐ声が聞こえた。
「なんや名無しさん、一氏と付き合ってたんならはよ言いや!」 「やーそうやったんや!二人付き合ってもうたらどないしよー思てたけど、大丈夫やったな」 「呼び出したりして堪忍なぁ」 「えっ、あっ…だ、大丈夫やで」 「ほならうちら行くな〜」
びっくりするほど空気をがらりと変えた彼女たちは持て囃すようにごんべに近寄った。女の子特有のきゃぴきゃぴとした雰囲気で絡まれて戸惑う。それから随分とあっさり彼女たちは引き下がった。まるで何事もなかったように去っていく彼女たちは思い出したように一氏を振り返り、
「藤巻くんやアホ氏!」 「誰がアホやブス!」
一氏の額に青筋が立った。お幸せになー、と手を振って去っていく彼女たちをシッシッと手で追い払う。すると、くいっと制服の裾を引っ張られる。誰か、なんて振り返って確認しなくてもわかる。
「……な、なぁユウちゃん……」 「……なんや」 「あんな、さっきの……」
先程の一氏の言葉の意味を聞きたくて仕方がないのだろう。それでも恥ずかしさが抜けないのか、それとも不安で勇気がないのか、はっきりと言葉の続きを紡げない。
「さっき言ってたこと、あのっ……」
段々と声が震えてきているのがわかった。泣いてしまう、と思った途端にするりと一氏の口から言葉が漏れる。
「冗談やあらへん。ずっと昔から思っとった。なんで自分なんか、とも思っとったけど……でも」
言葉を区切って服を掴んでいる手を握る。振り返ると、溢れんばかりの涙を瞳に溜めてこちらを見上げるごんべの姿。涙のせいでゆらゆらと揺らいでいる瞳に光が入って、この世で最も美しい宝石のようにきらきらと光って見える。涙に浸りすぎて、溶けてしまいそうだ。その瞳からは期待や不安の色が読み取れる。だから俺は、そこから不安の色だけがなくなるように、彼女をじっと見つめながら笑うんだ。
「でも、俺ごんべが笑てくれてたらえぇねん。その為ならなんだってしたるわ!」
*
《アメリカはどうやー、ごんべ》 「………」 《おーい?なんや、電波悪いんか》 「…っぐす……ユウぢゃん…」 《は?……お前泣いとるんか》
電話口から聞こえた声に、あっという間に緩んだ涙腺から涙が溢れる。耐え切れずに泣きながら名前を呼べば、呆れた声が返って来た。けれど一度流してしまった涙はなかなか止まらなくて、受話器を握り締めながら暫く泣いていた。ごんべの嗚咽が落ち着くまでの間、電話の向こうにいる一氏は時折ごんべの名前を呼んでは泣くな、と小さな声で慰める。 生まれ育った街を出て降り立ったのは言葉も通じない不慣れな地。右を見ても左を見ても人で溢れていて、日本なんて比べ物にならないくらい小さいんだ、と漠然と思った。加えて溢れかえる人ごみから聴こえてくるのは聴き慣れない言葉たち。何を言っているのか、何を伝えているのか全くわからない。しかし、それでも数年はこの地で暮らしていかなければならない。前途多難しかない未来に、ごんべは不安でいっぱいだった。そんな折、久しぶりに聞いた大好きな幼馴染の声。安心するなという方が無理な話だ。まだ鼻はぐずぐずとするものの、落ち着いたごんべはぽつぽつと電話口の向こうへと抱えていた不安を話し始めた。暮らしていく以上、言葉がわからないままでは困難なことばかりだ。英会話の本を読んでいてもすんなり身に入るわけもない。覚えるより慣れろ、ということで子供向けアニメを見て簡単な単語や会話から覚えようとはしている。本を読むよりは大分わかりやすいが、日本と全く違う嗜好のアニメを見ていると、余計に日本が恋しくなって泣きなくなってしまう。好きだったアニメがあった、今はどんな話になっているのかな。日本に帰れる頃には終わってしまっているのかな。もう、見れないのかな。 一氏に向かって延々と不安を零していると、止まったと思っていた涙がまたぶり返して来た。うぅ……と溢れた嗚咽に、うんうんと電話の向こう側で相槌を打って聞いていた一氏が慌てた気配がする。泣くな!とすぐ耳元で言われたけれど、出始めてしまった涙はすぐには止まらない。困らせてしまう、と何とか涙を堪えようとするけれど、余計にくぐもった声が溢れるだけだった。途端、一氏が軽く咳払いをしてあーあーと声を出す。様子が変わった一氏に、ぐすぐすと鼻を啜りながらごんべは耳を傾けた。すると、電話口から聞こえた声。一氏だけれど、一氏ではない。標準語で喋るそのセリフは、その声は、ごんべが好きなアニメで出てくるキャラクターのものだった。思わずはっと息を止め、流れていた涙も引っ込んだ。
《どや?似とるやろ!》 「っうん!ほんますごいなぁ、本物みたいや」 《聞きたくなったら俺がいつでもやったるわ。やから》
もう泣くなよ。
*
「泣くなや、笑え言うたやろ」
ぼろぼろと両目から溢れる涙を見て、一氏は困ったように笑っている。掌で雑に涙を拭っているけれど、拭った先からまた涙が溢れて頬を濡らしていく。それでもごんべの涙は止まらなかった。
「やって!……めっ、ちゃ嬉しいっ、ねんもん……」
涙は止まらない。けれど、抑えようとも思わなかった。その変わり、泣いたままでも笑ってみせようとした。一氏が、大好きなユウちゃんが笑えと言うから。涙を流したままのそれはひどく不格好で不細工だったろう。それでもしっかりと顔を上げて目を合わせて笑うと、つられて一氏も満足そうに笑う。涙で視界が滲んでいても、笑う一氏の表情だけはしっかりと見えた。
「なぁ、ユウちゃん……大好きや」 「おん。俺も好きや」
だから、笑っててや。俺に出来ることなんて限られているけれど、それでもなんだってする。変顔なんてお手の物。笑いを極めた漫才も見せる。俺の声で、身振りで、全身で。
君が笑顔になる為に。
<イメージソング:笑顔クエストby一氏ユウジ>
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