わいわいがやがやと楽しげに騒ぐ昼休みの教室内。そこそこ広い食堂や噴水広場、空き教室やら屋上も解放されているにも関わらずこのクラスは自分の教室で食べている生徒が多い。つまりはクラス仲がとても良いということだ。その中にはつい先日転校してきた名無しさんもいる。内気な彼女も漸くクラスに馴染めてきたようで、仲良くなった女子生徒と一緒に机を引っ付けて弁当を食べている。どうやら彼女の手作りらしいその弁当、一氏の分も毎日作ってあげているようで、昼休みになると一氏が受け取りに来る。今日も弁当を受け取って小春の元へ戻っていった一氏を見送り、名無しさんと一緒に食べている女子生徒は珍しそうに溜息を吐いた。
「っはー……なんや今でも信じられんわ」 「ほんまほんま。女子の影すら見えへんかったのに」 「え、ユウちゃんのこと?」
彼女たちの言いたいことはわかる。というか、大半がそうだろう。
「幼馴染言うてたけど、いつから一緒だったん?」 「えーと……幼稚園上がる前から、かなぁ」 「は?!ほぼ生まれた時からやん!」 「元々親同士が仲良かったんよ」
こっそり聞き耳を立てていたが驚いた。そんなに長く一緒にいるとは。よく一氏が近くに女の子がいることを許したなと思っていたが、最早当たり前レベルではないか。
「でも言っちゃ悪いんやけど、一氏怖ない?口悪いやろ」 「うーん……確かに口は悪いけど、根はめっちゃ優しいんよ」 「それごんべちゃんにだけちゃう?」 「怒鳴られたりせぇへんの?」 「叱られることはしょっちゅうやけど、怒鳴られたことはそんなに」 「あ、あるっちゃあるんやな」 「でもやっぱそうやんかー!幼馴染泣かさないようにしてんねやろ、意外やわー」 「そうかなぁ……」
彼女たちが意外だなんだと騒ぐ中、名無しさんだけが腑に落ちないような表情をしていた。彼女たちが意外でも、名無しさんにとっては当たり前のことなのだろう。
「でも笑いに関してはピカイチやと思うわ」 「せやな、モノマネさせたら一氏の右に出るもんはおらんやろ」
柄の悪さで一線を引かれている一氏だが、流石笑いの四天宝寺の生徒。その道に関しては全校生徒が実力を認めている。すると、名無しさんがパァァと嬉しそうに笑った。
「せやろっ。ユウちゃんオモロいねん!」
あまりにも嬉しそうに笑うから、彼女たちは名無しさんの話を聞くことにしたらしい。
「昔っからモノマネやってたん?」 「えーっと……やってた、かなぁ?」 「ちゃうの?」 「今ほど本格的やなかった気がする」 「へーそうなん!」
一体何が切欠だったのだろうかと彼女たちが詮索する中、不意に名無しさんが思い出したように「あっ」と言った。それに気付いた彼女たちはなんだなんだと身を乗り出して催促する。自分も思わず体を寄せてしまいそうになったところで、目に前に座っている男が出した「あっ!」という声に意識を持って行かれた。
「なんや、どないしたん」 「このベルトめっちゃえぇ!あぁっ、でもブリーチせなあかんし……ちゅーか高すぎるやろ、0なんぼついとんねん!」
反応してみたが、どうやらでかすぎる独り言だったようだ。誰に急かされているわけでもないのに今日も今日とて早食いで弁当を平らげた謙也は、まだ俺が弁当を食べているというのに雑誌を広げて騒いでいる。唾飛ぶからやめろや。そうこうしている間に、名無しさんがいる女子の塊からきゃーっと騒ぐ声が聞こえた。つい、と視線を戻すと少し顔を赤くした名無しさんが彼女たちにからかわれているようだった。一氏がモノマネをやりだした切欠……だったか。恥じらうような話だったのだろうか、今更ながら聞き逃したことが悔やまれる。
「ごんべ、箸入ってへんかった」 「えっほんま?!ご、ごめんなユウちゃんっ」
と、そこへ渦中にいた一氏本人が戻ってきた。名無しさんは慌ててカバンの中を漁っており、それを待っている一氏を彼女たちはニヤニヤと面白そうな表情で見ている。勿論そんな視線に気付かない一氏でなく、不機嫌そうに「なんや」と彼女たちを見下ろしていた。それに対して「べっつにー?」とこれまたニヤニヤとした表情を崩さずに言うものだから一氏の機嫌は更に悪くなる。
「あ、あったっ!ごめんなユウちゃん、はいっ」 「ん」
名無しさんから目的のものを受け取りながらも、一氏は不躾な視線にい怪訝そうに眉を寄せる。が、無視を決め込むことにしたのかさっさと教室を出ていこうとする。すると、俺の目の前からまた「あっ」とでかい声が聞こえた。ほんまうるさいねんけど。
「ユウちゃん、今日の部活はミーティングやから視聴覚室やで!」 「あーせやった。忘れんでなーユウちゃん」 「ほんまっ……やめぇいうてるやろ!死なすど!」
ただでさえ最悪だった一氏の機嫌は更に急降下し、心底うざったそうな視線を受けた。だが、そういう反応がからかう側の気分を上げてしまうのだ。
だから、気付かなかった。俺たちのやり取りを聞いていた名無しさんがとても悲しそうな顔をしていたことに。
*
視聴覚室にてミーティングを終えた後は着替えて通常通りに部活に勤しむ。陽が段々と落ち始め、中には既に部活動を終えた生徒が帰っていく姿も見えた。部長である白石の掛け声で休憩に入ると、フェンス越しにきょろきょろとコートの中を覗いている女子生徒がいた。あの挙動不審さは明らかに己の幼馴染にほかならない。ラケットを片手にコートを出るとフェンスの向こう側へと足を向ける。自分のところに来てくれた一氏に気付いたのか、ごんべがほっとした顔を浮かべて駆け寄ってきた。
「なんや、なんかあったんか」 「あったというか、こないだ言うたやん。持ってきたんよ」 「あー……」
そう言ってごんべが掲げたラッピングされた袋。微かに甘い香りがするそれは先日言っていた差し入れらしい。
「何作ったん」 「ドーナツ!おまけでな、ドーナツの穴も入ってんで」 「気が利くやん」
受け取った袋は二つ。一氏の分と、小春の分だ。部員全員の分はないので、そそくさと去ろうとしたごんべだったが、やはり一氏が女子生徒と一緒にいると目立つらしく、コートの中から不躾な視線がビシビシと突き刺さってくる。
「名無しさんやん、どないしたん?」 「白石くん……あ、と……料理部でな、お菓子作ったから、差し入れを……」 「名無しさん料理部やったんか!あぁ、そういや弁当作ってもらっとったなぁ、ユウちゃん」
フェンス越しに二人に近づいたのは白石だ。それに対し、一氏は不機嫌そうに表情を歪め、今にも舌打ちをしそうに口元がひくついている。
「差し入れってそれ?」 「あ、うん。そうなんやけど、ごめんな……小春ちゃんと、ひ、とうじくんのしかないねん」 「あーすまんすまん。催促したわけちゃうねん。確かに羨ましけどな」
白石が自分をからかうように“ユウちゃん”と呼んでくるのは心底腹が立つ。しかし、今はそれ以上に引っかかることがあった。じっと自分を見つめる一氏の視線に気付いているのか気付いていないのか、白石の方を向いているごんべは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。そのうち部員に呼ばれた白石が去ってまた二人きりになると、何故だか気まずい雰囲気が流れる。
「じゃ、じゃあうちもう行くな。部活頑張ってな、ひとうじ、くん」
ごんべは一氏と視線を合わせることなく逃げるようにその場を去っていった。その背を見送った一氏は苛立ちを隠すことなくチッと舌打ちを零す。
「……あの二人、ほんま死なす」
*
先に帰っていろと言われ、一人家路に着いたごんべは自室のベッドの上で膝を抱えていた。テーブルの上に置いてあるのは今日の部活で作ったドーナツだ。まるで親の敵のようにじっとそれを睨む。ぐるぐる、ぐるぐる。葛藤する脳内に思わず頭痛がしてきそうで、抱えた膝で顔を隠した。すると、自室のドアがノックされ、返事も待たずに開かれる。
「何いじけてんねん」 「……いじけてへんもん……」
顔を埋めているせいでくぐもった声になる。部屋に入ってきたのは一氏だ。ベッドの前で肘をつくように座り、膝を抱えているごんべを見上げる。ちらり、と抱えた膝の隙間から覗き見た一氏の機嫌は悪かった。怖い。原因に思い当たる節があるため、素直に顔を上げられずにまた蹲る。
「……別に好きに呼んだらええやろ」 「やって……」 「自分で変えといて自分で落ち込んどったら世話ないやろ、アホか」 「うぅ……」
ごんべが“一氏くん”と呼んだ。呼び方を変えた理由は至極単純、一氏がからかわれていたせいだ。
「うちのせいでからかわれてんねやろ…?ユ、ウちゃんが嫌な思いするんいやや……」
確かにからかわれて鬱陶しかった。しかしそれはごんべのせいではない。
こうしてごんべの呼び方で一氏がからかわれたことは実は初めてではない。小学生の時にもあった。同級生にちゃん付けをからかわれ、腹が立って取っ組み合いにまで発展したこともある。しかしその時も、ごんべのせいだとは思わなかった。だって、自分が許したのだ。そう呼んでいいと。
「前にも言うたやろ、お前が変えることないねん」 「ん……」 「確かにからかわれてごっつ腹立つけどな、悪いのはごんべやなくてあいつらやろ。わざわざそれに乗って変えたることないねん。俺がやめろ言うたわけちゃうし。それともやめたいん?」 「い、いややっ」 「ならえぇやん。いちいち気にすんなや」 「うぅ……」
うじうじと思い悩むごんべに痺れを切らし、ベッドに乗り上げて少し乱暴に頭を撫でた。ぐしゃぐしゃと遠慮なく乱される髪に、次第にふふっと小さな笑い声が溢れる。もう大丈夫そうだ。
「やけど、おんなじ部活やろ?毎日会うし、まだ暫くはからかわれちゃうやん……」 「あーそれは問題あらへん」 「そうなん?」 「おん。お灸据えたったからな」
*
「ユウジほんまこわい」 「やばかったな……せやけど、今回は俺らが悪かったわ。名無しさんに悪いことしたなぁ」
隣で顔を青くしている謙也を横目に、白石は明日彼女に謝ろうと心に決めた。
|