一氏ユウジは苛々していた。今日は寝坊することもなくすっきり目覚めることが出来たし、掴みの正門で披露した一発ギャグは周囲にいた生徒や教師から大爆笑を引き起こした。当たりそうだった授業は自分の寸前でチャイムが鳴って回避する事が出来たし、突然の抜き打ちテストでは以前愛しの小春に教わったところが出たおかげで良い結果が出せた。幼馴染が作った弁当は相変わらず美味かったし、今日一日は自分にとって“ツイてる”の一言に尽きる日だった。しかし、一氏ユウジは苛々していた。

「おーい、その練習終わったらモノマネ頼むわ、ユウちゃん」
「あ、俺も自分のプレイ見直したいねん。俺もしてや、ユウちゃん」

 放たれた言葉に、一氏は額に青筋を浮かべながら苛々している原因である二人をギロリと睨みつけた。

「なんや、機嫌悪いなぁユウちゃん。どないしてん」
「せやせや。テニスは楽しくやらなあかんで、ユウちゃん」
「……オドレら……いい加減シバくどっ!!!!」

 そしてコート中に一氏の怒声が響き渡った。しかし怒鳴られた当の二人――白石と謙也は楽しそうに笑っている。
 原因はついこの間転校してきたばかりの一氏の幼馴染、ごんべにあった。原因と言うにはあんまりな表現だが、しかし切欠ではあった。転校初日、相方の小春と引き合わせる為に昼休みを共にしたが、連れ出した時に殆どの生徒が教室にいた。その中には現在一氏をからかっている白石と謙也の二人も勿論いた。というより、誰よりも近くにいた。当然二人がお昼を終えて教室に戻ってきたとき、待ってましたと言わんばかりにクラスメイトに囲まれて、あまりの勢いにごんべが狼狽えて涙目になったほどだ。鎮まっていたはずの質問攻めは勿論二人の関係性について。それを鬱陶しそうに幼馴染だと言えば大半は納得してくれたようだが、一氏をよく知る者たちにとってはそれだけでは満足出来なかったらしい。普段、相方である小春にべったりでホモホモしい様を見せつけている上に、一氏は大変目つきが悪い。もはやトレードマークでもあるヘアバンドが目のすぐ上までに被さっているせいか余計にガンを飛ばしているように見えるのだ。それらのせいで、元々顔が整っている方ではあるが一氏には女子があまり寄ってこない。しかしモノマネという武器のおかげで学校一の有名人ではあるので、遠巻きに見られることはよくある。物怖じせずに一氏に接することが出来る女子は少ないのだ。だからこそ、一氏とごんべの親密さが意外で仕方ないのだ。女子、しかも一氏が面倒だと思う部類に入る気弱な性格をしているごんべ。一氏にとって特別であるのだということは明々白々だった。
 それらを差し置いても、白石と謙也にとってはあの一氏が“ユウちゃん”などと可愛い呼び方をされているのは面白い以外の何ものでもなかった。まず、女子に名前呼びすら許しそうもないのに、その上ちゃん付である。凄んで「死なすど」と言いながら止めそうなものを、大人しくその呼び方を甘んじて受け、許している。

「ユウちゃん、顔怖いで」
「ああああああああああ!!!!!」

 こいつら、死なす。







「ユウちゃん……どないしたん?」
「あ゛ァ?」
「ご、ごめん……」

 隣を歩く人物から沸々と湧き上がっている不機嫌のオーラに耐え切れずごんべがおずおずと様子を伺うと、返ってきた柄の悪い返事に体を縮こませた。一氏の性格をよく知る幼馴染でも、怖いものは怖い。
 自分の態度にビクビクしている幼馴染を見下ろして一氏は内心舌打ちをした。実際に音に出すとこの幼馴染は絶対に泣き出すから。しかし、今のは自分が悪い。完全に八つ当たりだ。

「ちょっと虫の居所が悪かっただけや。八つ当たりしてすまん」
「あ……う、ううん。えぇんよ」

 素直に謝るとごんべはほっとしたように顔を上げて笑った。本当、自分の態度にとことん一喜一憂する奴だな、と一氏は思う。

「そういや部活はどうなん」
「楽しいで。お菓子を作るときもあるらしいから、楽しみやねん」
「菓子はあんまり作ったことないやろ、大丈夫なんか。爆発さすなよ」
「せ、せぇへんよっ。分量間違えなければ大丈夫……な、はずや」

 なんだが不安な返事である。料理は確かに得意なごんべではあるが、お菓子作りはあまりしたことがなかった。料理は目分量でどうにか出来るが、正確な分量を求められるお菓子作りはビビりなごんべにとっては少し荷が重かった。間違えたら大惨事……という不安がいつも背後にあると手が出ないのだ。しかし言うほど一氏は心配していなかった。確かに慎重過ぎるところはあるが、元々料理のセンスはあるほうだ。慣れればお菓子作りも難なくこなすだろうと思っている。最初は危なっかしかった包丁捌きも今じゃ様になっているのだ、なんとかなる。

「あんな、作ったやつは差し入れしても良いらしいねん。やからユウちゃんとこ持って行くな」
「おーほんまか。動いてるとお腹空いてくるから助かるわ」

 そういえばサッカー部がよく差し入れをもらっているのを見たことがある。イケメンが揃うサッカー部はやはり女子に人気なようで、練習を見学している女子の黄色い声がよく聞こえる。テニス部も人気で言えば負けてはいないのだが、同じくらい変人の集まりとも思われているのでサッカー部ほど黄色い声援はない。白石なんかは学校一とも言っていいくらいイケメンではあるのだが、如何せん中身が少々可笑しい。左手に包帯巻いて「エクスタシー」が口癖の中学三年生なんて残念以外の何者でもない。男は顔だけじゃ駄目なんだな、と白石を見ているとよくわかる。おかげで同学年の女子には残念な目で見られているが後輩には白石ファンが多いらしい。包帯が巻かれた左手もなんだかミステリアスで、エクスタシーという口癖もセクシーなんだそうな。なんじゃそら、である。それを聞いた同じクラスの女子は腹を抱えて大爆笑していた気がする。笑いすぎて涙さえ流していた。
 閑話休題。

「テニス部って何人いるん?」
「は?全員分持ってくる気なんか」
「やって、ユウちゃんがお世話になってるんやろ」
「オカンか。なってへんわ。そんな変な気ぃ回さんでえぇから。それにそんなたくさん抱えとったら絶対どっかで転けるやろ、やめとけやめとけ」

 いそいそと大量の差し入れを運んでいる途中で小石、はたまた何もない場所で躓いて盛大に転ぶ様子が安易に想像出来た。それはごんべ自身も同じだったようで、神妙に頷いた。

「ほんならユウちゃんと小春ちゃんの二人分ならえぇかな?」
「えぇんちゃう」
「なら早速明日持っていくな!」
「おん」


 苛々はいつの間にか忘れ去っていた。