四月の始め、真新しい制服を身に纏った新入生たちが行き交う校庭を教室の窓から見下ろしながら、自分にもあんな初々しい頃があったなぁとなんだか年寄りくさい事を思っていると、同じように外を見ていた隣の金髪頭が「あ、」と何かを思い出したように声を漏らした。

「なん」
「今日、転校生が来るらしいで」
「ほんまか。あー……じゃあ“X”てそいつか」

 黒板に貼られている用紙で自分の席を確認したとき、謎の空白が目に入った。クラスメイトの苗字が記入されている中、“X”とだけ書かれたその場所はいやに目についた。

「そいつテニス出来るんかなぁ」
「まだ男か女かもわからんやろ」
「ま、せっかく同じクラスになるんやし、仲良うせんとな」
「ほんま世話焼きやな、白石」
「たった一年でも、楽しく過ごして欲しいやん」
「まぁ、そうやな」

 さて転校生はどんな輩か、と謙也と二人で想像を膨らませているといつの間にか入ってきていた担任の号令で慌ただしく席へと戻った。ギャグを交えた担任の話を聞き流していると、クラスの誰かが「ええからはよ転校生紹介してや!」と催促をした。どうやら謙也以外にも知っている奴がいたらしい。

「なんや情報通がおるなぁ。わかったわかった。よし、入ってきぃやー」

 担任の合図でガラリと扉が引かれ、おずおずと顔を覗かせたのは女の子だった。彼女が入ってきた途端、教室内は拍手の大喝采と口笛で一気に騒がしくなった。隣のクラスから苦情が出そうだ。その中心にはあの金髪頭も勿論いた。彼女を見てみると、あまりの大歓迎っぷりに困惑しているようで、通学カバンを胸の前でぎゅっと抱き締めながらぽかんとしている。まるで自分を守るような姿に、あぁ、気が弱い子なんやろうなと理解してその途端少し可哀想になった。あぁほら、あっという間に顔が真っ赤に染まっていったではないか。担任に来い来いと手招きされ、小さな体を更に縮こませながら中央へ立った彼女は気持ちを落ち着かせるように一つ深呼吸を零した。

「あ……名無しごんべ言います。仲良うしてください。えと……宜しく、お願いします……」

 ぺこりとお辞儀をして顔を上げた彼女は、緊張を押し込めるようにきゅっと口を結んでいた。簡単な挨拶を終えて、彼女は例の“X”と記されていた席へと向かった。隣の席は先程担任を急かした生徒で、早速転校生に根掘り葉折質問を交わしたいのかそわそわとしている。しかしそんな生徒の期待を打ちのめすように担任がパンパンと手を叩いて注目を集める。

「はい、ほな席替えすんでー」
「はー?!なんでや!せっかくお隣さんになったから色々質問しよう思うてたのに!」
「あーあー聞こえんなー。ほかの子らは賛成やろー?」

 嫌だと反対しているのは転校生の隣になったその子だけで、他はむしろ歓迎している雰囲気だ。仲良くしている子と隣同士、あわよくば近くになりたい。もしくは転校生が近くにいたらラッキーという思考だろう。まぁ、他にも反対意見がいても構わず進めるだろうけれど。



 ありきたりなくじ引きで決まった席替えだったが、当たりの席ではあった。窓側の後ろから三番目。前過ぎず後ろ過ぎず完璧な位置。前の席はあの金髪頭の謙也で、休み時間はともかく授業中も楽しく過ごせそうである。しかも。

「俺は白石蔵ノ介や。よろしゅうな、名無しさん」
「よ、よろしく……白石くん」

 あの転校生が隣になった。俺から質問攻めでも喰らうのかとビクビクしているのがよくわかる。先程の席替えに反対していた生徒のせいだろう。ただまぁ、こればかりは転校生の宿命というか、仕方がない。しかしあまりにも困っているようだったら手助けしてあげようとは思った。せっかくお隣さんになったのだから、面倒を見てあげよう。こういうタイプの子は、自分から嫌とは言えんから。







 午前の授業が漸く終わって訪れたお昼休み。やはり受験生ともなると、授業の端々に重圧感が迫ってくる気がする。しかしそれでもお笑いを取り入れるのが我が四天宝寺である。隣の名無しさんがどういう反応をすればいいのかキョロキョロと周りを忙しなく見ているのが面白かった。大丈夫かな、この子全校集会でちゃんとコケれんのかな。
 案の定、休み時間に色んな人が彼女の周りに集まってきて質問攻めをしていた。おどおどしながらもちゃんと質問に答えていたせいか、まだ昼なのに彼女は少し疲れ気味のように見える。しかし早々に彼女の性格を理解したクラスメイト、というか女子達が彼女に群がっていた男子を尽く蹴散らしていたおかげで、休み時間を重ねるごとに集まる人は減っていったと思う。それでもほかのクラスから彼女を覗きに来る輩はいたが。見世物パンダちゃうねんぞ。

 四天宝寺のお昼は弁当持参か学食、購買の三択。まぁどこの学校でも同じだろうが、要は自由だ。俺は今日は弁当持参で、謙也は現在購買まで買い出し中。目にも止まらぬ早さで教室から出て行ったから直ぐに帰ってくるだろう。
 そういえば、お隣の転校生―名無しさんはお昼はどないするんかな、と気になって隣に視線を向けてぎょっとした。気弱そうな見た目と相反して、二段重ねの大きな弁当箱を机に置いている。運動部の男子が食べる量だ。意外と食べ盛りなのか?そんな俺の視線にも気付かず、彼女はゴソゴソと鞄の中を探っている。そして取り出されたものにまた目を剥いた。二つ目の弁当箱だ。今度は一段の小さいもの。よく女の子が使っているサイズだ。まだ食べるのか、と彼女をお昼に誘おうと思っていたのだろうクラスメイトが驚いて動きが止まっているのが見える。わかる、わかるで。ギャップありすぎやろ。しかし、彼女はそんな視線にはやはり気付かない。今は机の中を整理しているようだ。

「お、ユウジやん!どないしてん」

 購買から戻ってきた謙也の声で我に返った。ハッとして声の方を見てみれば確かに同じテニス部の仲間―一氏ユウジの姿。一氏は謙也に適当な返事をして教室の中に入ってきた。俺に用があるのかと思ったがこちらに向かってくる一氏と何故か視線が合わない。が、一氏が向かっている先の人物に気付いて息を飲んだ。それは他のクラスメイトも同じのようで、一氏と……名無しさんの様子を見守っている。名無しさんは向かってくる一氏に気付かない。
 転校生の噂を聞いた一氏が牽制しに来た、と誰もが思った。恐らく第一声は「小春に手ぇ出したら死なすど」だろう。凄むようなその声に気の弱い名無しさんがビビらないわけがない。更にそのおどおどとした態度は一氏にとって気に入らないものになるだろう。刺々しい言葉を名無しさんに投げかける一氏の姿が安易に想像出来た。最悪、名無しさんは泣いてしまうのではないだろうか。転校初日でそれはあんまりだ。ここは同じテニス部の仲間で部長たる俺が手助けをせねばなるまい。

「なぁ、ユウジ……」
「おい、ごんべ。支度出来たんか?」
「あ、ユウちゃん!」

ユ ウ ち ゃ ん ? ? ?

 この場にいる全員の心境を表すならこれだろう。え?今何が起こっているんです???

「ユウちゃんのお弁当、これな」
「おん、おおきに。……相変わらずちっさいな。そんなんで足りるんか」
「運動やってない女子なら普通やよ」
「さよか。ほなさっさとしぃや。小春待たせてんねん」
「そうや、小春くん!やっと会えるんや〜嬉しいわ〜」

すごく……親しげです……

 あれ?なにこれ?なんかクラスメイトの俺らよりも断然仲良くないか?今起こっている出来事に誰も追いつけないのか、二人に突っ込む輩は誰ひとりいない。

「はよ行くで」
「あぁっ、ユウちゃん待ってや〜」

 すいすいと机の合間を抜けていく一氏をノロノロと机に阻まれながら追いかける名無しさん。しかしちゃんと入口で彼女を待っていたようで、追いついてきたことを確認すると彼女が持っていた小さな弁当箱をひったくって二人はその場を後にした。シン…と静まった教室内に気付かずに。

「……え、今のなんなん」

 恐らく最後まで二人を見送ったであろう謙也の言葉で漸く我に返った教室内は朝よりも煩かった。