沈みかけた夕陽に照らされた道を普段通りに帰っていた剣城はふと沸いた不安に足を止めた。不良の様な制服の着方に反してきちんと教科書類の詰まっている鞄を開く。暫くガサゴソと漁ったが、不安の通り入れたはずの古典のノートが入っていない。眉間に皺を寄せ記憶を手繰ると今日の部活後に何故か一年同士でノートの見せ合いをしていて、松風の「剣城って結構ノート綺麗にとってそうだよね!」という一言で巻き込まれたことを思い出した。結局返された時はユニフォームをスポーツバックに詰めていて、とりあえずとロッカーの中に置いたんだった。一つ、舌打ちをすると踵を返した剣城は今通ってきた道を引き返す。同時に、今日は確か神童が部誌の担当だったことを思い出し、引き結んだ唇に力が入った。残って居ればいい。そう思ってから思わず首を振った。そんな思考に至った自分に苦笑が溢れる。 何、考えてるんだ俺は。 呆れた様に溜め息を溢してから、剣城は少しだけ速度を上げた。 扉の開く音と共に、無駄に広い部室が視界に入る。足を踏み入れた剣城は本来の目的より先に神童の姿を探してしまっていた。灰色に近い茶髪を紺色の瞳が捕らえ、知らず、口角が上がる。けれどそれを隠す様に気付かないふりをして自分のロッカーに近付いていった。扉の開いた音と足音に気付いたらしい神童が柔らかい声を発した。 「剣城?」 その声に、ロッカーを開きながら少し視線と顔を神童に向ける。首を傾げ、不思議そうに「忘れ物でもしたのか」と聞いてくる彼を愛しいと思わない人間が居るなら教えて欲しい、と剣城は思う。大きめな瞳に映っているのが自分だという事実に何か満たされて、綻びそうになる表情を無理矢理律して無表情をつくった。 「古典のノートを」 ロッカーから取り出したそれを手に持ってそう言えば神童は一瞬きょとんとした後、直ぐに楽しげに笑う。その度に揺れる髪が柔らかそうだと思って、気付けば神童に近付こうと足を進めていた。 「何が可笑しいんですか」 別に、怒っているわけではないが、なるべく低い声音で煩わしそうに言えば神童は優しい瞳に更に柔らかい色を含ませて目を細めた。 「いや、よかったなと思っただけだ」 「……何がですか」 「天馬達と仲良さそうで安心した」 言葉に含まれた意味を理解して剣城は顔をしかめる。恐らく、神童が言ったのは部活後の出来事だろう。心底微笑ましい、と言いたげな微笑が少し面白くない。松風達を、嫌ってはいないが、馴れ合っているつもりもない。それに子供扱いされている様で気に食わない。けれど、楽しげな笑みも、綺麗な微笑も、黙りこんだ剣城に不安そうな表情で「怒ったのか?」と顔を除きこんでくる無防備さも、全てを眩しく感じてしまう自分に苦笑が溢れた。 惚れた方が負けとはよく言ったもので、けれど負けっぱなしも性に合わない。いつもなら、二人きりなんてことあり得ないから負けっぱなしで一人悶々とするところだが、この状況で綺麗で純粋な瞳に沸いた衝動を抑える術を剣城は持ち合わせていなかった。 「キャプテン」 「何だ?やっぱり怒ったのか?」 窺う様な神童の瞳が揺れている。それだけでも可愛いが、もっと色んな表情を見たいと心が疼いた。何も答えずに黙りこんだまま神童の髪に手を伸ばせば神童はびくり、と肩を揺らした。何を怯えているんだか、溢れそうになる笑みを抑えて、想像通り柔らかく細い髪を手中で弄る。訝しげな表情も、可愛いなんて思ってしまう。 「剣城、」 咎める様な声と戸惑いを含んだ瞳が剣城の加虐心を煽る。髪を弄っていた手をするりと神童の頬に移動させた。神童が何か言う前に、白く柔らかい頬の感触に唇を寄せる。リップ音が響き、神童の頬が一瞬で赤く染まった。驚きに見開かれた目元に続けて唇を落とせば、何をされたか理解したのか神童は慌てて剣城を引き剥がそうと手を突っぱねてくる。剣城はその手を容易く掴むと勢いよく引き寄せた。華奢なその体をきつく抱き締める。「お、おい……!」と焦った声が聞こえ、暴れる神童を押さえつけ、すぐ近くにあった椅子に無理矢理座らせた。互いの息がかかるくらい密着して、困惑を浮かべる神童の顔に片方の口角を上げる。 「キャプテン、キスしたことありますか?」 「な、何言って、」 「勿論、唇と唇のキスです」 わざと優しく問えば、穢れを知らないその瞳は戸惑いと困惑に揺れる。その様子を喉の奥で笑えば、キッと強く睨まれた。思惑通りだとは知らずに色んな表情を見せてくれる神童に愛しさが込み上げる。松風とは違う純粋さを持った神童がこういう話題が苦手なことは先輩達の話のなかで知っていた。柔らかく包み込む様な純粋さを持ったキャプテン。綺麗なキャプテンもとても好きだ。けれど、それ以上に、 「汚したくなるんですよ、神童先輩」 「つ、るぎ、」 あえて、キャプテンという呼称で呼ばず、わざとらしく先輩をつけてその名を呼んだ。か細い声が自分の名前を紡ぐのを聞いて、剣城は目を細める。あぁ、俺は今どんな表情をしているんだろう。キャプテンは怯えているのだろうか。それとも困っているのか。綺麗な瞳に今は俺だけが映っている。そんな表情をするから汚したくなるというのを目の前の真っ白で無垢な彼はわかっていない。 剣城は神童の耳朶を噛んでそれから額に口づけた。拒否する隙さえ与えずに鼻に噛みつき、頬に口づける。 「やめろっ!剣城!」 強い拒否を示す神童を背凭れに押さえつけて、ぺろり、と唇を舐めた。神童が息を呑むのが聞こえ、剣城は愉しげに笑う。今なら――今なら、手に入れられる。焦がれ続けた目の前の愛しい人を。 「嫌、ですか?」 「あ、当たり前だろう……!」 「俺がシードだったからですか?」 「な、に言って、」 「ひどいことをしたからですか」 「お、おい、剣城、」 「俺は、キャプテンを好きです」 捲し立てる様にそう言ってから、目を伏せる。剣城の口からこぼれ落ちた言葉は本心の一部で、ただそれを神童を手に入れる為に利用するだけだ。神童は剣城がシードだったことを誰よりも気にして、剣城が引け目を感じているのではないかと気遣ってもいた。一年同士でも必要以上に仲良くしないのは剣城がそれを気にしているせいではないのか、と。だから、優しい、優しいキャプテンは、こんな言い方をされればきっと強く拒否をすることはできない。 「つ、るぎ、俺は、」 揺れる瞳をしっかりと見詰めた。神童が言葉を発する前にその唇を奪う。掠れた声で「好き、なんです」と呟けば、真っ赤になるキャプテンが愛しい。 「俺のものになって下さい」 視線をさ迷わせ、躊躇した後、くいっと剣城の服を引っ張った神童は剣城の頬に口づけた。柔らかい感触に剣城は目を見開く。目に涙を溜めてこちらを見上げる神童に理性が飛びそうになるのを抑えて神童の掌に自分のそれを重ねた。そのままそれを口元に引き寄せて口づける。神童は一連の動作を眺めた後「そんなに辛そうな顔をするな」と呟いた。辛そうな顔を、しているのは、優しい貴方を手に入れる為だとキャプテンは知らない。気付かない。 「――……好き、だから、そんな顔をするな」 そう言うと、神童は再度、剣城の頬に口づけた。 まるでそれは寂しい子供を宥める様なものだったけれど、今は未だそれでいい。今は未だ、優しさと同情を恋情に摩り替えて隣に居てくれるだけで、それでいいから。 その純粋を手玉にとって (手に入れた、君) (……俺以外には、つけこまれないで下さいよ) (?何か言ったか?) (いーえ、別に) ――――――――――――――― 企画サイト「くちづけから堕落 」様に提出。 後輩×神童という素敵な企画に参加できてすごく嬉しいです。 ちょっと策略家な剣城と優しくて純粋な神童。神童は本当に好きなのに気付かない剣城だと尚良い。 |