まいごをかくまえみちしるべ 私に与えられた部屋の前には池があった。私は生き物とかがわりと好きだから池があれば鯉もいるんじゃないとか思って意を決して外に出ようとしたのだけど、その考えは浅はかだったのか軽率だったのか。 確かに外に出たらたちまち忍たまに命を狙われそうだなとは思ったけど、一生部屋の中で過ごすわけにもいけないし第一トイレとかお風呂とかも必要なわけで。それがなくとも外には出たいのよ今日はすごくいい天気なのだし。 だから池を見るくらいなら許してくれるんじゃないかなあって思って廊下に出て草鞋を履いたのはいいんだけど、 「ギャァアア!!!!!」 足元にグサリ、苦無が刺さった。あと少し前に出ていたら私の足がお陀仏になってただろう場所に苦無が飛んできたのだ。 そら吃驚もする。叫びたくもなる。驚きすぎて腰も抜けたわ。立てない私を眺めながら攻撃してきた奴は何を思ってるんだろう。馬鹿にしてるな大笑いしてる声が聞こえるもの。このやろう私が強ければ撲殺してるところだ。 「うう…帰りたい帰りたいよお……。うわぁ帰るとこないんだあぁ」 すでに半泣き。そう私には帰る場所がない。城にはもちろん帰れないし家もない。勘当とかじゃなくてね、うちの村、三年前戦で潰れちゃったし。その時母上と弟は死んで、父上だって城勤めの忍者…しかも私の勤めてる城とはまた違う城だからろくに会えないし会う約束もしてない。というよりもうずっと会ってない。優秀で忙しい方みたいだったから私が就職できた時に初めて対面したくらいでほぼ他人だ。幼いときは一緒だったみたいだけどそんな記憶ない。忍者になったきっかけも本当にやりたいことが見つからなくて父上忍者なんだっけ?わりと優秀なんだっけ?じゃあ私にも忍の才能あるんじゃね?じゃあそれでいいや!みたいなもんだったのだから。 はあ、でも帰りたいなあ。大川平次渦正の誘い…というか企みというか、この提案を受けた以上もう城主様には向ける顔はないしな。私は立派な裏切り者だ。 「はははっ!お前本当にくノ一か?」 「苦無を投げたのはきみか。こら!丸腰の人に武器を投げるもんじゃありません!」 「敵に情けをかける勿れ、だ!」 「ああそうかい」 萌黄色の制服に身を包んだ、さっきの隈の人に比べたらまだまだ幼い少年。何年生なんだろう。それにしても敵、ね。違いはないけどこんな少年にまで敵視されるとは。うーん侮れないさすが忍術学園だ。さっきの子のおかげでちょっと希望は持てたような気がしたんだけど捨てた方が良さそうだ。 このまま地面にずっとしゃがみこんでるわけにもいかず、かと言って目の前の彼に手を借りるのもどうかと思ったのでさっきの苦無のおかげでまだ震える足を叱咤してなんとか自力で縁側に腰を下ろした。はあ、これだけで少し息が上がった。 「にしてもおかしいな。長屋に行くつもりがなぜ僕はここにいるのだろう」 「……迷子?」 「そのようだ!」 こんなにもすっぱりばっさりはっきり言っちゃって大丈夫なんだろうか。あんまり堂々と言うものだから忍たまはみんなこうなのだろうかと少し変な不安に襲われた。いやでも力量があるならそれでいいんですけどね。私はちっともよくないけど。 にしてもこの子、一年生には見えないけど本当に迷子なの?そりゃあ忍術学園の敷地はすごく広大だとは思うけども、ずっとここにいるのでしょうなぜ迷子になるのかしら。疑問は決して膨らんだりはしないけれど確かに私の脳内でふわふわと浮かんでいる。目の前の少年は大して気にしている様子もなく「長屋はどっちだ!あっちか!」と塀の向こう側に勢いよく走り去ろうとしていた。なんで学園外から出ようとしてんのこの子。慌てて呼び止めると不服そうに何だとこちらを振り返る。ああ私の声が届いてよかったよ。 「そっちは違うよ。あっち」 「こっちか?」 「だからあっちだって」 「こっちだな!」 「この指差してる方向が何故わからないこのおバカちゃん」 「僕は方向音痴なんだ」 「限度があるわい」 この子の目はどうかしてると思った。東西南北が分からないとか地理に詳しくないとかならまだ分かるさ。それともなんなの、方向音痴ってみんなこうなの。東を指せば西に行っちゃうの。私この子の将来がすごく不安。私に心配されるなんて結構屈辱だと思うよだけど私は優しいから心に留めておくだけにしといてあげようじゃないか。 私の分かりやすすぎる説明も虚しく少年は全く別の方角へ突き進もうとしていてやっと足も立つようになったから悪いとは思いながらも死に物狂いで追いかけて首根っこを掴ませていただいた。 「…お迎えはないの?」 「いつもなら作兵衛が探しに来てくれるぞ」 「じゃあここでサクベーくんを待ってなさい」 「それもそうだな!」 いやそこはちょっとは悩みなさいよ。と突っ込みたくはなったけどこれでまた有らぬ方向に行かれても私のしょーもない良心が痛む気がしたので口には出さずにため息をついた。別に私が送ってやることもできるんだけど敵意剥き出しな忍たまたちの巣窟に行くのは勇気がないのでその選択肢は端からない。悪いな少年。しばらくは私といてもらおう。 「まあ座りなよ」 「……。」 「お饅頭食べる?」 「食べる!」 むちゃくちゃ素直な子だな。座りなよって言ったときは私のことすごく怪しそうに見て渋る姿勢を見せたのにお饅頭の言葉を聞いた瞬間に縁側に座りやがった。普通は食べ物が出たら疑うべきだと思うがね。毒入ってるとか。私が大川平次渦正にもらったものだから心配ないだろうけど。ていうか私が食べようとしてたのに毒なぞ盛るか。大川平次渦正が盛ったんなら私のせいではないぞ。 とか思いながら、おいしそうに少年がお饅頭を頬張るのを見て少し暖かい気持ちになった。でも私のことは敵だと見なしているんだろうな。さすがたまごって言っても忍者なだけあって饅頭を食べる一口目は何かを確かめるように食べていたし。だから、まあ仕方のないことなのだけど寂しいもんだ。 話によると少年は三年生でさっきの隈の人は六年生のようだ。隈の人って言ったら通じた辺りがちょっと感動したかっこ笑。授業が終わって長屋に帰ろうとしたところ迷ってしまったらしい。正真正銘だ。真の方向音痴だ。 「あ、全部食べるな私の分もあるんだから」 「ケチ臭いな。そんなんだから贅肉が目立つんだ!」 「お前のほっぺも贅肉だらけだけどな」 「僕は若いからだ」 「私だってまだわかっァアアア!!最後の一個!」 「早い者勝ちだ!」 口のまわりに饅頭のカスをつけながらニカリと勝ち誇った笑顔。この子うざいな。でもこんなに笑われちゃったら怒る気力もなくなっちゃう。私の弟もこんなにやんちゃな子だった。確かそうこのぐらいの年で、あ、でも生きてたら15になるのか。隈の子と同い年…とは思えないな。 しばし過去の記憶が思い起こされる。弟と目の前の少年がダブって見えてしまった。うん、私結構疲れてるんじゃないかな精神的に。この子の迎えが来たらさっさと眠ってしまおう。ボケーッと焦点を合わせずに空を仰いでいたらぬっと視界に入ってきた、少年の顔。びっくりして小さく悲鳴をあげると意識がすっとこちらに戻ってきた。 「び、びっくりした」 「急に返事がなくなるから」 「心臓に悪いなもう」 「病気か?」 「むしろお前が病気だわ」 方向音痴という名のね。そう言うと少年は「否定はできない!」とまた笑った。自覚してるだけマシだなんて言ってるけど。でも学園内で迷子になるくらいならマシもくそもないよ。 はあ、とため息をつきながら呆れていると少年はじっと私の顔を見つめてきた。「なにか」「いや、特にはないぞ」――なら見るなよって感じなんだけど。さっきも隈の子に見られてたなあ。私の顔って実はすごく可愛いのかもしれない。ごめんなさい嘘です私の顔って実はすごく変なのかもしれない。特にはないって言ってるくせにまだ見てる。 「…もう饅頭はないよ」 「違うぞ。なんていうかだな」 「なによ」 「わりと好きだ」 しばしの沈黙。今この少年はなんと言ったか。いや聞き直さなくとも分かっているんだけどねわりと好きだって言ったんだろ。この小僧六歳年上に向かってわりと好きなんて言いやがったんだろ。なんてプレイボーイなのかしら!ちょっとときめいちゃった自分がいる。なんか悔しい。でもひとつだけ言わしてもらいたいわりとは余計だおバカちゃん。可愛い奴め。にやけてきたわ好きなんて言われたら嬉しいに決まってますよね私だけじゃないはず。 とりあえず頭を撫でてやったけどそれが正しい反応だったかは不明。少年は大きな瞳をパチリと瞬かせた。それから間もなく、遠くから「さもーん!どこにいるんだああ!!」と誰かを呼ぶ声が聞こえて目の前の少年がパッと振り返ったからやっとお迎えが来たのだと瞬時に悟った。勢いよく立ち上がった少年は「さくべー!」と声のする方向とは真逆に走り出す。何だ追いかけっこするのか?と思いきや「どこ行ってんだ俺はこっちだ!」と叫びながらすごい勢いで目の前を走り抜けるまた別の少年が見えて思わず笑ってしまった。恐るべし、方向音痴。 「サモンくんにサクベーくんか」 嵐のように去っていった彼らを見送り私は立ち上がると地面にあった石ころを蹴った。その石ころは池まで飛んでぽちゃん、と小さく音をたて水に落ちた。波紋の広がる水面に映った歪んだ顔の自分と目が合う。目が合うといえば、サクベーくんがここを横切るとき彼の目が私を捉えた。それはすぐに反らされたけどさて、彼の目に私はどう映ったのか。 「…鯉いないじゃん」 まあそれも、結果的にはどうでもよいこと。 迷子をかくまえ道標
しかし饅頭を取られるぞ |