ワンドロ

愛を告げる

第23回お題
『真剣勝負』
『秘密の場所』
『「好き」以外の言葉で愛を告げる』
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 アスファルトを蹴る度に靴底が削れる。先週二人で出かけた時に買ったばかりだというのに。今日に限ってこれを選んだ自分に盛大な舌打ちを漏らした。
 完全に運動不足。少し走っただけなのにあっという間に息が上がる。

「くそっ」

 壁に手をついて荒い息を整える。なんて体たらくだ。
 
 追いかけてどうする。

 少し先にある店舗の扉を睨みつける。あそこに入っていった背中は、間違いなくあの男のものだった。いつの間にか見慣れてしまった。あの迷惑な隣人の背中。
 追いかけて、それで俺はどうするつもりだ。

「くそっ」

 手のひらで壁をそっと押す。埃っぽいビルの外壁から指が離れると同時に、右足を前に出す。次は左。コツリ、コツリ。背筋を伸ばして。まっすぐ前を向き。

「いらっしゃいませ」

 突き当たった扉を開けると静かなベルの音と、控えめな店員の声が俺を迎え入れた。暖色の薄暗い照明。広くない店内には、カウンター席と立ち飲み用の背の高い丸テーブルが数個あるだけ。カウンターの向こうにはオブジェのような酒瓶が無数に並んでいる。

「よお」
「……うわあ……」
「嫌そうだな」
「嫌っていうか、え、ちょっと、松浦くん、何で」

 目を見開く男の隣に腰掛ける。わざとらしく膝を組み、頬杖をついて見せれば、何人かいる他の客がざわついた。

「ここ、何の店か知ってるの?」
「バーだな」
「そうじゃなくて! っもー、松浦くんのイケズ……」

 カウンターに突っ伏した男の頭のすぐ側には、半中身が分ほどに減ったグラスが置いてある。

「同じものを」
「っ! 松浦くん?」
「一度来たことがある」

 両肩を掴んで俺の顔を覗き込んだ男に、ニヤリと答えるが、実の所ろくな思い出じゃない。その時は何も知らずに連れて来られたのだから。

「どうする? 誘いを断るには、これ、空けるんだろ?」

 二人の間に置かれたグラスが照明を反射してやけに眩しい。シンプルな円筒形を伝う水滴を指で拭って、男の唇に塗りつけてやる。
 じっと見つめれば、赤い舌がゆっくりとその悪戯の跡をなぞった。

「……ちょっと信じられなくて。夢じゃないよね?」
「はっ、甲斐性なし」
「あーん、もっと笑ってー」

 男の手がグラスに添えられた。

 ──ああ、やっぱり、だめか。

 心が割れた音がした。
 誰にも聞こえない。誰にも知られちゃいけない音だ。

 このバーは、いわゆるハッテン場、らしい。男同士の、相手を見つけるための、そう言う店、だ。
 カウンター席に座りグラスを半分にして相手を待つ。隣に座って同じものを注文するのが誘いの合図だ。気に入れば乾杯して、そこから駆け引きが始まる……らしい。そう言う店だと知った瞬間、連れてきた相手を蹴り飛ばして店を出たから、実はあまり詳しくないのだが。

 断られるのだろう。

 そりゃそうだ。週の半分近く、一緒の部屋に寝ていて何もないのだから。今更何かがあるはずもない。そのつもりがあれば、いくらでも機会はあったはず。

 ここに来ている。
 その時点で答えは分かりきっている。

 俺は求められていない。

 ああ、くそっ。

 だから、追いかけたりしなければよかったんだ。

 酒を飲み干すところをなんて、じっと見ていられない。
 男から目をそらして店内を見回す。隣人の名前を囁くのが聞こえて胸糞が悪くなった。そうか、常連か。俺の部屋に泊まらない日はここに来ているのか。

 ……鍵を付け替えようか。
 ……いっそ総務に掛け合って、部屋を変えてもらおうか。

 髪をかきあげて溜息を一つ吐く。少し落ち着いた心に、まだ壊れるなと言い聞かせて隣人の肩に手を置いた。それを支えに立ち上がる。

「ちょっと、松浦くん?」
「帰る」
「え、乾杯! やだよ、ほら。乾杯して。お酒きたよ」
「てめぇ、三輪……」

 ギュッと痛いほど強く手首を握られて、冷えたグラスを押し付けられた。カチンと音が鳴って、2つのグラスがぶつかる。

「ね、これ空けたら、松浦くんの部屋に行っていい?」
「昨日、暫く来ないって言ってたよな」
「ごめんなさい」
「今日、避けたよな? 俺の気のせいか?」
「すみません。すみません。ごめんなさい。土下座でもなんでもするからさ、撤回させてよ」
「はっ、情けねえ」

 グラスを傾けると氷がカラリと音を立てた。

「三輪ね、これ強いだろ」
「うん。よく言うレディキラー」

 紅茶の香りと甘さに隠しきれないアルコールの気配が喉を焼く。

「俺、酒、超弱いから」

 ごくごくと喉を鳴らして、大きくグラスを傾ける。飴色のカウンターに空になったグラスを置けば、呆然と俺を見つめる男が目を瞬かせた。

「え、嘘」
「ほんと。責任持って送れよ」

 俺の部屋でも、お前の部屋でも、何処ぞのいかがわしいホテルでも。頼むから連れて行ってくれ。もう、これ以上どう誘っていいのか分からねえよ。

 
 先に杯を開けた方が主導権を握れる。
 確か、そうだったよな?

 だから、お前が。


 どうにかしろよ。


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