LOS短編 | ナノ

おそらく今が彼女にとって人生最大の窮地だろう

リノアが王国騎士団に入団して、既に三ヶ月余りが経過していた。新米騎士は未だに剣の稽古、戦闘に関する知識を学ぶことで日々を過ごしている。毎日が勉強の連続で、そろそろ新米騎士の不満が団の中で広がり始めるときでもあった。何故なら模擬戦闘ばかりで、騎士達は実戦で剣を振りたいと思い始める頃だからである。実戦で剣を振るい、敵を倒し武勲を立てたい、自分の力を周囲に認めさせたいと焦燥に駆られるからだ。

だがその焦燥こそが忍び寄る邪悪だということに気付く者は少ない。いざ実戦になると真っ先に飛び出し、返り討ちに遭う者が後を絶たないのである。己の力量をきちんと見定めることができる者が最終的には生き残ることができ、武勲を立てることもできるのだ。
と、いくら頭で理解していても難しいことがもう一つある。それは恐怖との戦いだった。己の中で生まれる恐怖、それは様々な形となって現れる。敵を目の前にして死を恐れる者、人間を殺めたことで逃れられない呪いのような呪縛に囚われる者、剣が肉を裂いたときの感触を忘れられず闇に堕ちる者などその種類は数多くある。恐怖を克服することが果たしてできるのか、何故上官達は平気な顔をして敵を斬り続けることができるのだろうか。そんな不安が心中で渦巻くこととなる―――。

風が音もなく吹き荒れ、木々が音を立てて激しく揺さ振られる。それに呼応するように鳥達が羽を羽ばたかせて飛び立っていく。リノアはびくっと肩を震わせ周囲を見回した。無意識にガンブレードの柄を握る手に力を込める。上空に目をやると鳥達が羽ばたいていく姿が確認できた。音の原因が判明し、彼女はほっと胸を撫で下ろす。たったこれだけの出来事だというのに手が少しばかり汗ばみ、心臓の鼓動も速くなっていた。

今日は彼女にとって初陣となる日。いつものような模擬戦闘ではなく本物の戦闘。それが意味することは、初めて何かの命を奪うという経験をするということだった。いつもは命を奪ってはならないということが大前提だが、今回は命を奪うということが大前提である。それはどの騎士にも忘れられない経験となるだろう。

今リノアがいる場所はロスフォールの森。ここに凶悪なモンスター達が棲みついてしまい、民が被害に遭ったため、王国騎士団に討伐命令が下ったのだった。その白羽の矢が立ったのがリノアの所属する部隊、即ちスコール率いる第一師団だったのだ。ちょうど訓練の成果を見るためにも良いということで、半ば強引に下された命令だったがスコールはその命令を受け入れた。

彼の真意など計り知れない。国中だけでなく世界にその名を馳せる彼の思惑など、下にいる自分達には分からないのだ。遠い、あまりにも遠すぎる存在。だが逆にそれは光栄なことなのかもしれなかった。そんな凄い人が自分の上官なのだ。英雄に相応しい人から学べるということほど嬉しいことはない。

実際スコールの指導は厳しいながらも充実したものばかりだった。この人に教えてもらうことができて嬉しい、もっとこの人から教わりたい。いつしか部隊に所属する者がこう思うほどに。

リノア達は森の中で野営の最中だった。モンスターの活動が活発になる時間は主に夜。それも深更と呼べる時刻だということが調査のお陰で判明し、その時刻になるまで野営地にて待機との命令だったからである。

この野営地にいる騎士達のほとんどがリノアと同じ今日が初陣となる新米騎士達ばかり。つまりは最強を誇る第一師団とは名ばかりの編成だろう。だがそれは仕方がないことだった。本当の第一師団という名に相応しい騎士達は地方の紛争鎮圧に赴いており、ここにいる者達は所謂「役立たず」なのだ。

酷な言い方だがそれは変えようのない事実だった。見習い騎士を本当の戦争に駆り出すにはまだ早すぎる。そのためモンスター退治の作戦に回されたわけだが、それでも新米騎士には重過ぎる任務だった。今もこの地のどこかでモンスターが舌なめずりをして、瞳を光らせて鋭い牙を研ぎ澄まし獲物を狙っているかもしれない。そう考えただけでも足が竦み奥歯がガチガチと鳴ってしまう。こんな恐怖を味わうのならいっそ人間相手のほうが幾分マシだというものだ。人間相手なら少しだとしても思考を読み取ることができる。狙うならこの死角になる場所からだとか、どんな時間帯に襲撃してくるかなど、同じ種族なのである程度予測できるし、それに対して対処もできるというもの。

しかし相手はモンスター、人外相手に頭脳を使った作戦は通用しない。奇襲もあるし人間では決して真似できない戦術も備え持つ。ただ本能に従い獲物を喰らうだけの生き物と戦えというのか。

恐怖に負けそうになり、先ほどからこの野営地は痛いくらいの静寂が支配していた。誰もが無言なり、常に剣を握り締めて行動している。風の音や木々の揺れる音、動物の遠吠えなどにも敏感に反応してしまい、そのたびに皆が肩を大きく震わせ戦闘態勢に入る。落ち着きがないのは明らかなことだった。

そんな中リノアに見張り当番の順が回り、今こうして二人一組となって少し離れた位置で野営地の見張りをしている最中だった。だが何より問題なのはその二人一組の相手だろう。

「………なんだ?」
「い、いえ別に。ただ意外だなと思っただけで……」

リノアの横にいるのはあのスコールだったからである。何故この人が隣にいて、こんな下の者がするような見張りなどをしているのだろうか。そんな疑問が浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返していた。するとその疑問はいつしか膨れ上がり、彼女は知らず知らずのうちにじっと彼を直視していたのだった。それに対して彼は不思議そうに眉を顰めて、ついには耐えられなくなり彼女に声をかけたというわけなのだが。

「……何が意外なんだ?」
「だってこういうことって……普通は部下がやるもので、上官は野営地に残るものじゃないのかなって」

リノアがおずおずと口にしてみると、スコールは「そんなことか」と言わんばかりに軽く溜息をつき、どこか遠くを見据えながらさも当然のように難なくと答えた。

「こういうことと言うが、これほど重要なことはない。見張りは真っ先に危機を知らせる大事な役割であり、隊の要でもある。もし見張りの伝達が少しでも遅れたら、または何かを見逃したら隊は窮地に陥る。それを防ぐためにも見張りは大事なんだ」
「ちなみに野営地はどうなっているんですか?」
「副隊長に任せてある。だから心配ない」

見張りは地味で誰もが嫌がる任務の一つだった。だが彼の言葉を聞くとそうではなくなる。なんだか自分が誇らしい気さえしてくる。スコールの言葉にはどこか説得力というものがあった。どんなことでも彼が言うと自然に納得させられる。そのせいか信頼する者は後を絶たず、また尊敬する者も後を絶たない。彼には人を惹きつける何かがあるのだ。

(きっと無自覚だろうけど)

リノアはスコールの目を盗み、こっそりと忍び笑った。無自覚だからこそ惹かれる何かもあると思う。だが本当にそれだけだろうか? 実はリノアには悩みがあった。気がつけばスコールを追っている自分。いつの間にかスコールのことばかり考えてしまう自分。そして彼を目の前にすると上手く話せなくなる自分。これは一体なんなのか。お陰でここ最近その答えを探そうとあれこれ考えてしまうのだ。しかしそれは結果的に悪い方向で表れていた。まず集中できない。名を呼ばれても命令を受けてもすぐさま反応できないのだ。お陰でここ最近はお小言を貰う回数が異様に増えた。何故、彼を追っているのだろう。その答えが未だ見つからず、リノアは内心で困り果てていた。そんな折にこの任務だ。そして隣にいるのが彼女を困らせている張本人。おそらく今が彼女にとって人生最大の窮地だろう。

「………どうかしたのか?」
「え!?」

気がつけば先ほどまで隣にあったはずの顔が自身の目の前にあった。彼の吐息が肌で感じられるほどの至近距離。青く仄かに曇りがかった瞳がこれ以上ないくらい近くにある。リノアは体中の温度が一気に沸騰したのかと思うほど熱くなった。頬を両手で包みこみ、後ろへと後ずさる。心臓の音が相手に聞こえるのではないかと思えるほど高鳴った。それが恥ずかしくて、更に体温が上昇するのがはっきりと分かる。

「………顔が赤いが、風邪か? 騎士たる者、日頃の体調管理はしっかりしろ」
「違います! これは……その……」

しどろもどろになりながらも説明しようとするが、魚のように口をパクパクと動かしただけで声にならなかった。自分自身、何故こうなってしまうのか理解できていないからだ。違う、理解していないのではない。理解しようとしていないだけだ。本当は理解しているのではないか。ただそれを認めてしまうのが怖いだけだ。認めてしまったらもう後戻りできない。だが相手は上官だ。きっと子供か、それとも単なる教え子としか見てはくれないだろう。望みなど皆無に等しい。彼が子供ではなく一人の女性と見てくれることなど、所詮ない。そんな想いがふと過ぎり、リノアは慌てて頭を左右に振った。駄目だ。その先を考えては、答えを導き出してはいけない。

「えっと……ですからこれは」
「……静かにしろ。何か聞こえないか?」
「……何か、ですか?」

射抜くような瞳で周囲を見回しながらも、スコールは手を軽くガンブレードの柄に添える。不謹慎だと思いつつも、その横顔に目を奪われてしまう自分が悔しい。この人と肩を並べるに相応しくなれたら、どんなに素晴らしいことだろう。対等になんて、そんな贅沢は言わない。ただ認められたら、きっとこの上ないほど嬉しいに違いないだろう。

「……囲まれたな」

スコールの言わんとするところが分からず、リノアは辺りを忙しなく見回した。だが周囲には自分達以外の生き物はいない。リノアには感じなくとも、スコールには見えない気配を感じ取っているのだろうか。リノアは無言でガンブレードを抜くと、互いに背中を預けるようにして構えた。風の音すらはっきりと聞こえるほどの静寂と張り詰めた緊張がゆっくりと、しかし確実に二人の周りを包んでいく。こういう状況下では迂闊に動いてはならない。先に動いたほうが負けてしまう―――。

ガサガサと、草が揺れる音が二人の耳に届いた。風で揺れたにしてはあまりにも不自然な音。それが輪唱しているかのように二人を囲むようにして広がっていく。いつしかその音は大きく膨れ上がり、風の音すら掻き消してしまった。さすがにリノアでもこれがどういった状況か把握できる。スコールが「囲まれた」と言ったとおり、獲物を捕捉した何体ものモンスターが、今か今かと機会を窺っているのだ。

「いつの間に!?」
「……油断したな。気を抜くな、いいな?」
「は、はい」

草むらからゆっくりと現れたのは、何十体というモンスターの大群だった。一体のモンスターの雄叫びを合図にして、他のモンスター達が一斉にその獰猛な牙を剥き出しにした。一体のモンスターが飛び掛りリノアの首筋を狙って牙を突きたてようとしたところを、リノアは少しばかり屈み、ガンブレードを腹部目掛けて渾身の力で斬りつける。断末魔をあげながら、夥しい量の血を吹き出しながら彼女の目の前でゆっくりと倒れた。

スコールは突進してくるから目を逸らすことなく、一瞬の隙を窺いながらガンブレードを収める。今の彼の体勢は、所謂「居合い抜き」と言われる構えである。彼の瞳が鋭く光ると、目にも留まらぬ速さでガンブレードを抜いた。するとは断末魔をあげる間もなく絶命する。モンスターの攻撃を避け、隙を探って攻撃を加えるが分が悪い。多勢に無勢、最初から劣勢なのは誰の目からも明らかだった。リノアは斬撃を与えるが、そこに予想だにしないことが起きた。一撃で仕留めることができず、怯むことなく彼女に襲い掛かってきたのだ。

斬る、という動作は斬った後に数秒ばかり隙が生じてしまう。彼女はその隙をつかれ、成す術がなく目の前に迫る死の恐怖に体を硬直させた。黒曜石の瞳を大きく見開き、ガンブレードを構えなおすこともなく立ち尽くす。そのとき強い力に引っ張られるのを、冷え切った脳でたしかに感じた。

「………え?」

どこか呆けた声でリノアは自分の置かれた状況に目を疑った。彼女はスコールの腕の中にいたのだ。左腕で彼女を閉じ込め、右腕はガンブレードを握りしめ、の喉元に突きつける。今までで一番彼の顔が近くに、否、近くなんていうものではない。体と体が触れ合う距離。自然と体温が上昇し、このまま溶けてしまうのではないかと思ってしまうほどだった。

「安心しろ。こんなところでお前を死なせたりしない。それに……」

吐息と共に耳に届いた言葉に、リノアは言葉を失った。スコールはリノアを閉じ込めていた腕を放し、ガンブレードを構えなおすと力強い声で一撃必殺の奥義の名を叫んだ。

「―――エンドオブハート!」

***

「……すみません、上官」
「気にするな、今回の件は俺の失態だ。部下を危険な目に合わせてしまったからな」

ガンブレードを収め、二人は野営地に戻るため歩き出していた。きっと先ほどの騒ぎは野営地に伝わっているはずだろう。リノアはスコールの顔を見ることができなかった。彼はああ言ってくれたけど、自分が未熟なばかりに彼の手を煩わせてしまったのだ。何かを護るための騎士なのに、自分は護られてばかり。

どこにいてもそうだ。昔も、そして今も護られる立場にいる。自分も何かを護る立場になりたい。護るために戦いたい、護られるだけなんてもう嫌だった。
それに何より―――彼に追いつきたい、認められたい。それには戦うしかないのだから。

「……お前は俺の傍から離れるな」

あのとき彼が言った言葉。この言葉のお陰で何もかも吹っ切れたような気がする。もう自分の気持ちを偽るのは止めだ。もしかしたらこれはどんな戦いよりも厳しく、難しいのかもしれない。だがやってみせる。騎士としてではなく、一人の女性として振り向かせてみせる。好きという気持ちは、抑えることなどできないのだから―――。

「上官?」
「……なんだ?」
「―――私が好きです、って言ったらどうします?」
「………え?」

翌日、王国騎士団では新たな恋人同士の誕生に祝福の鐘が鳴り響くこととなる。


完 
20150316