LOS短編 | ナノ

それが全ての終わりを告げる日になるとは想像もせずに、彼女は笑い続けた―――

今から半年前に国王が暗殺された。新皇帝が即位すると恐怖で支配する独裁政治に打って変わり、何百年と続いた王政は失われてしまっていた。新たに帝政となったこの国は全てを欲する皇帝の思惑により、ゆっくりと、しかし確実に軍事国家へと変貌しようとしていた。

***

季節は夏に向けて動き始めている。一年のうちでもっとも花が咲き乱れる季節は終わりの兆しを見せ始め、その代わりに緑がもっとも瑞々しい色に染まる季節が足音を立てて今か今かと歩み寄ってくる。それは自然に乏しいこのデリングシティでも同じで、王城の一角にある中庭では、新米騎士達がまだ着慣れていない鎧を纏い剣の練習に励んでいた。勿論これは練習用の剣なので、大した怪我を負うことはない。

そんな雛鳥達の様子を廊下から窺うように一人の男性が眺めていた。騎士団の証たる純白の鎧が光に反射し、眩い輝きを放っている。緩やかな風が廊下に流れ込むと、背中のマントがふわりと音を立てずに靡いた。

こうして眺めていると嫌でも闇に包まれた真実を突きつけられる。皇帝が進めている世界統一という侵略戦争。そのために必要な征東。だが、それらは全てあの女の掌で踊らされているに他ならない。皇帝の背後にいる魔女と呼ばれる存在。あの魔女が全ての原因だ。王の座を狙ったデリングによる国王の暗殺。その暗殺を実行したのが皇帝を隠れ蓑にしている魔女アルティミシアだ。

この事実を知っている者は、スコール以外誰もいない。前国王が何者かに暗殺された直後、国王の下に真っ先に駆け付けたのは他ならぬスコール自身だ。そのとき彼は見たのだ。背中から漆黒の羽を生やした異形の存在を。その異形の存在がスコールを見、妖艶な笑みをうかべながら闇と同化するかのように消えたときの光景は、スコールの脳裏に今も焼き付いて離れない。

あの異形の存在が国王を殺したのは間違いない。だがそれを主張するだけの証拠がなかった。証拠を集めるためにも、スコールはあえてあの場にいなかったことにした。真の敵を知るためにも、今この場でスコール自身の立場を揺るがすわけにはいかなったのである。

スコールが疑ったのは、直後皇帝となったデリングだった。元々デリングには悪い噂が付きまとっていたこともある。何より国王暗殺後の内政の手腕が上手すぎたことが最大の疑問だった。まるでこうなることを予知していたとしか思えぬほど無駄のない見事なものだった。そのおかげで国のトップが不在だったのにも関わらず、国内外で多少の混乱だけで済んだのである。

案の定あの魔女がデリングの差し金だったということは、調べているうちにわかった。わかってしまった以上、手の打ちようがなかったのである。相手は最高権力者の皇帝だ。騎士団長という立場でも、皇帝の権力の前では無力だった。魔女には姿が見られてしまった以上、いつ自分にも魔女の牙が向けられるかわからない。だがあの魔女を討たない限り、きっとこの国に未来はない。誰もが知らないだけで、既にこの国は魔女の手に堕ちてしまっているのだ。

次の一手をどう講じるべきか、スコールが頭を悩ませていたときである。スコールがデリングから与えられたものは、領土拡大を名目とした侵略戦争だった。そんなことをして何になるというのだろうか? そこまでしてこの世界を自分のものにしたいのか? この世界の全てを皇帝は欲しているというのか? 

この国が潤い、更なる発展が遂げられることは彼にも喜ばしいことだった。だがそのために他の民を犠牲にすることだけは耐えられない。他の国を、民を犠牲にしてまで発展する必要がどこにあろう? 皇帝が始めたこの戦争は、間違いなく世界に戦乱を齎す。戦火という名の業火であらゆるものが焼き尽くされる。何かを護るために騎士となった彼にそんなことは我慢ならない。騎士とは民を護るために剣を操る戦士、彼はこう考えていた。だが本格的に戦争が始まると、自分は奪うために剣を操ることになる。そんな彼の苦悩に追い討ちをかけるように、手元には一通の命令書があった。

「先発隊として、この征東の先陣を切れ―――」

蒼く輝くこの剣を、無垢なる血で染め上げろというのか。だが何より、この戦争の裏で暗躍する魔女のという存在が一番の問題だった。皇帝の側近ですら知らない魔女という存在。あの魔女を排除しない限り、この国だけではなく、この世界そのものに未来はない。自分一人で背負うには、あまりに重すぎる対価。

彼は苦悩する。その果てに辿り着いた答えが、内から止められぬものなら外から止める―――出奔だった。

……明日の夜明けとともにこの国を捨てよう。

しかし、たった一つだけ捨てきれないものがあると彼は自覚していた。でも捨てねばならない。それが彼女のためなのだ。これから裏切り者として生きる自分は、彼女の人生に邪魔なだけだ。十三貴族という身分の彼女とは、最初から共に歩くということなどできないのだから―――。

「こんなところで何してるの?」

ふと背後から声をかけられ、彼は少しだけたじろいだ。振り向かなくとも声だけで誰だかわかる。

「……別に。それよりあんたこそここで何をしている?」
「中庭にいたんだけど、姿が見えたから走ってきちゃった」

彼女は中庭を指差しながらころころと無邪気な笑顔を浮かべた。どうやら中庭で寛いでいたのだろうか。ここは日差しが暖かくて気持ちがいいことから、彼女のお気に入りの場所だったはず。……この笑顔を捨て去ることができるのか。しかし―――捨てねばならないのだ。彼女にはすべてを打ち明けることができない。全てを話せば自分に正直な彼女のことだ。きっとこのまま見過ごすことなどできないだろう。もしかしたら十三貴族という身分を行使し、謁見室に乗り込むかもしれない。

「そういえば聞いたよ、今度先発隊に選ばれたんだって?」
「どうしてそれを……?」

どうしてそれを彼女が知っているのだろう。だが考えるまでもない。上が故意に情報を流したに決まっている。知っているのはリノア達騎士団だけではなく、おそらく民衆にまで噂という形で広まっているだろう。民衆、そして騎士団全体の士気を高めるためのプロタガンダとして。この手の話は至極当たり前の政治行動だ。今更驚くこともない。だがこれで何かの事情で征東が中止になればという一縷の望みは、この瞬間絶たれたも同然なのだ。やはり内から止めることは最早不可能である。こうなってしまっては、外から止めるしか方法はないだろう。例えどんな手段を使ったとしても、だ。

「お願い。私も一緒に連れて行って。足手まといにはならないから」
「一緒にって……何を言ってるんだリノア」
「私いつもスコールに護られてばかりだから。そんなの、もう嫌なの。私だってスコールを護りたい。だから……!」

スコールは珍しく自分が動揺していることを自覚していた。リノアの言葉には、一番肝心なところが抜けおちていたからだ。

「リノア、お前はこの命令に疑問を持たなかったのか?」
「疑問? 一体何のこと?」

リノアは可愛らしく首を傾げている。だがその仕草が今のスコールにとっては憎らしい。彼女は本当にわかっていないのだ。与えられた命令に、疑念すら抱いていない。いくら魔女の存在を知らないとはいえ、リノアはガルバディアの侵略行為を当然の如く受け入れているのだ。護るために在るべき騎士が、他国を侵略する。今までのモンスター対峙のような、小競り合い程度の戦いではない。全世界を巻き込んだ、人間同士の本当の戦争だ。王国だった時代の騎士の理念を、他の騎士同様リノアも忘れてしまっている。スコールが彼女や部下に教えたかった騎士としての心は、結局伝わっていなかったということなのだろうか? 瞬間、スコールは自分の心がどす黒いモノに覆われていくような錯覚を覚えた。最愛の女性の心が酷く遠く思えてしかたがない。

「いい天気だね、明日もいい天気になるといいなぁ……」

明日。それが全ての終わりを告げる日になるとは想像もせずに、彼女は笑い続けた―――。

***

彼はおざなり程度だが彼女に手紙を書き残していた。もともと社交的な性格ではない故拙い文章だったが、それでも真摯なものだった。内容は別れを告げること、ただそれだけ。純白の甲冑を捨てた彼は、闇色の甲冑を身にまとい、夜明けと同時に甲冑と同じ色をした愛馬を走らせ、彼はこの国を捨てた。まさか手紙を読んだ彼女が追ってくるとは思いもせずに。

モンテローザ高原で二人は対峙した。冷たい風が静かに吹き荒れ、互いのマントと髪を弄ぶ。今にも泣きそう声で「帰ろう」と説得する彼女に剣先を向けた。彼女は信じられないというふうに表情を失くしていく。その間彼は驚くほどに無表情だった。やがて泣きじゃくりながらも彼女が剣を構えるのを、彼は万感の思いで静かに待ち続けた―――。

完 
20130530