LOS本編 | ナノ

―――あの人のことには触れないで

あの日。あの日までは世界も、そこに暮らす人々も、そして彼らも平和だった。何気ない日常が当たり前で、これがいかに大切なものなのか忘れてしまいそうになるほどに。そう―――国王が何者かに殺害されてしまうあの日までは。

***

一年前この国は生まれ変わった。王国と呼ばれていたこの国は、今では帝国と名を変えて世界に存在している。それまでは国王が全てを支配していたというのに、一年前から国王ではなく皇帝が全てを支配するようになっていたのだ。

世界の北西に位置するガルバディア帝国は元々産業が盛んな国ということで有名だった。人間が住むには少々難がある土地が広がる故、農業が発達しない代わりに産業が発達した経緯を持つ。他の国と比べるとその発達は著しく、近年では東の大国と称させるエスタ共和国に匹敵し得るほどである。

しかし今から一年前。まだこの国が王国だった時代、当時の国王が何者かに暗殺されてしまった。この国王は高貴な血脈でありながらも頻繁に民と接することを好み、また民の意見にも積極的に耳を傾けていたため、民からは良き君主として慕われていた。よくお忍びと称して王都に遊びに来ては、庶民達と戯れるほどである。国民達もそんな王の人柄を知っているが故に、そのときだけは王を王と崇めず対等に接し、あまつさえ冗談さえ言ってのけていたくらいなのだ。

そんな誰もから慕われていた国王が亡くなったとき、誰もが嘆き悲しんだがそれは民だけの役目。貴族や国王の血脈に近い者達はというと、次の国王は誰かという話題で持ちきりだった。そして数日間にも及ぶ話し合いの結果、当時国王の側近で信頼も厚かった軍事大臣―――ビンザー・デリングが即位することになったのである。

そして国王の座に就いた彼は、全てを改革せんと迅速に動いた。この国を帝国とし、自身の肩書きも国王ではなく皇帝にしたのも彼の独断である。帝国軍事国家としての生まれ変わりを果たし、彼が次に命令したことはというと、国民への名目上では領土拡大という―――世界統一がための侵略戦争だった。

この国は領土こそ広いものの、人間が居住出来る場所はほとんど皆無に等しかった。地理上、帝都であるデリングシティの周辺は雲が発生しやすく、一年のうち晴れの日が十数日ほどしかないほどの劣悪の環境である。南には広大なディンゴー砂漠もあり、自国で採れる資源も乏しかったのだ。それを打開すべく始められた政策が、肥沃な大地を求め領土拡大という旗を掲げた世界統一戦争だった。

そしてそれは幸か不幸か、成功の兆しを見せ始めていた。短期間で既にこの大陸の九割を制覇することができ、最後まで必死に抵抗を続けた隣国のティンバーでさえ、数日間に渡る戦いの末ガルバディアの騎士達の前に平伏したのである。

一つの大国を落としてしまえば、そこに属する国も同時に手中に収めることができる。また小国ならば大国が故の強大さを見せ付けられ抵抗する気を失わせることだって可能だ。元々この大陸にガルバディアと並ぶほどの大国はそう多くない。小国の集まりとも例えられるくらい数多くの国が存在するが、これらの国々にガルバディアに対抗する軍事力があるはずもなく。圧倒的な力の差を見せ付けられた国々は、降伏する以外の道がなかったのだった。

ガルバディアに抵抗する国で残っているのは神聖ドール帝国のみ。ここを落とせば更に東へと進軍することも可能になる。何しろ陸路、海路ともに便が良く、征東するためにはなんとしてでも落とさねばならない国だったのだ。ガルバディアは交通網が発達せず、陸路ならまだしも海路は絶望的だった。そのためこの大陸を出るにはどうしても神聖ドール帝国を落とし、海を渡る手段を奪取する必要があったわけである。そして最終的には広大な国土と発達した技術を持つ東の大国、エスタ共和国にまで進軍することが可能になる。

だが領土周辺にある山脈が自然の防壁の役割を果たすために、落とすのは少しばかり困難だと指摘されていた。そこで今回のドール攻略戦には、今まで以上の戦力を投入する必要があると判断したデリングは、今まで後方支援が主な任務だった部隊にも前線に向かうよう命令を下したのである。

***

ガルバディア皇帝の名を冠した帝都デリングシティ。そこに聳え立つ王城の塔の最上階では、一人の少女が遠くに広がる荒野に目を向けて佇んでいた。その少女は容姿にそぐわぬ格好をしている。黒髪に映える純白の鎧を纏い、腰元には剣の鞘を身につけていた。風が彼女の髪を悪戯にさらっていくと、背中の蒼いマントとスカートも音を立てて靡く。

普通なら美しいドレスが似合うであろうこの少女は、どこか淋しげな表情を浮かべてこうしてずっと佇んでいた。どこを見るでなく、ただ只管に荒野に目を向ける。だがこの少女の目には荒野すら映ってはいなかった。まるで更にずっと遠くを見るように、見えない何かを追うように。ただじっと何かを見つめ続ける。

「―――ここにいたのか。随分捜したぜ」
「あ、サイファー」

後ろから声をかけられ振り向いた先には、彼女と同じ純白の鎧に蒼いマントをつけたサイファーが立っていた。彼の言うとおり随分と捜したのだろうか、表情からは少し疲労の色が窺える。十八歳である自分よりも八歳も年上のこの青年は、少女の横に並ぶと彼女と同じように荒野へと視線をやった。

「どうかしたの?」
「どうかしたのじゃねーよ、やっぱり聞いてねぇんだな……。今度のドール遠征なんだがリノア、お前の部隊も招集されてるぜ」
「うそ!?」
「うそじゃねーよ」

今までリノアが隊長を務める部隊は後方支援が主な仕事だった。剣を振るい戦うこともあったが、そのほとんどが残党狩りのようなもので大した戦闘ではなかったのである。そのためリノアには常に前線で戦うサイファーと比べると、前線での戦闘経験は皆無に近い。

しかも前線ともなると今まで以上に厳しい戦いが繰り広げられる。当然それに比例するかのように命の危うさも普段と比べ物にならない。不安そうに表情を曇らせるリノアに、サイファーは安心させるように明るい声で自信付ける。

「お前の剣の腕前なら心配するこたねーよ。なんたってあいつに認められた腕前だろうが」
「―――あの人のことには触れないで」

無理やり押し殺したような鋭い叱責の声に、サイファーはばつが悪そうに視線を泳がせる。安心させるつもりが、つい彼女の触れてはならぬ部分に触れてしまったと察したからだ。この話題を彼女の前ではしてならぬということは、騎士団中では暗黙の了解と化している。特に彼女と親しい彼にはなおさらだった。なんとなく気まずい空気が漂い始める中、その空気を消し去ったのは慌ただしい足音とともに現れた彼女の部下だった。

「隊長、出撃命令が下りました。先発隊として先陣を切ろとのことです!」
「つまりは少しでもこちらが有利になるように道を切り開いとけってことか」
「うわっ、アルマシー隊長!? 隊長もいらっしゃったのですか!?」

兵士がサイファーの姿を確認するなり、慌てて背筋を伸ばし敬礼した。サイファーはこの国きっての猛将だ。自分よりも遥かに位が上にも関わらず、サイファーのその飾らない大胆な性格からか、意外にも部下からの信頼は厚い。またリノアと同じくガンブレードを扱う数少ない剣士でもある。ガンブレードはその扱いの難しさから廃れつつある武器で、前線でこれを扱う者はあまりいないことでも有名だ。

「わかった、準備が整い次第出発するわ。他の兵士達にもそう伝えてね」

部下はリノアとサイファーに向かって再度敬礼をすると、慌ただしい足音とともに姿を消した。リノアの伝言を仲間の下に伝えに行ったのだろう。サイファーはそんな兵士の後姿を見ながら、何がおかしいのかクツクツと喉の奥で笑う。

「どうやらデリングはかなり征東を急いでるらしいな。俺達前線部隊はほとんど連戦に近いぜ、こりゃ」

その口ぶりからすると、どうやらサイファーの部隊も今度のドール遠征組に組み込まれているのだろう。当然といえば当然のことなので、さして驚くようなことではない。

「みたいだね。でもこの戦争が早く終結するなら、私は嬉しいよ?」

どんな理由があれ、戦争が早く終わるのなら嬉しいことはない。リノアはそっと剣の鞘に手を添える。美しい銀色の輝きを放つ、死と戦いの女神の名を持つヴァルキリーという名のガンブレード。その名のとおり、この剣は誰かの魂を奪うのだろうか?

―――願わくはその魂が楽園に導かれんことを。

リノアは万感の想いでマントを翻し、戦場へと向かうために歩き出した。

第2話に続く 
20130331