狼の弱点



嵐のように来訪する子どもは、大人の常識では量れないような思ってもみなかったことをもたらしてくれる。
髪は金、目の色も濃く甘い金色。赤いコートを着て、生意気な口を聞いてくるが、そこが可愛い。
直轄府が賞賛するほどの頭脳を持っていながら、その純粋さで自分を驚き、困らせ、喜ばせてくれる。手の内に隠している錬金術師は宝物と言ってよかった。逢う度、可愛くて仕方がないと脳裏に浮かぶ。

他の人間の目には当然触れさせたくない。宝物を自慢し見せびらかす男もいるが、ああいう真似をする気が知れない。掠め取られたらどうするつもりか。
深く想ってはいても、恋愛感情はもちろんなかった。相手は十三の子どもで、男だ。そういった対象に見てはならない相手。けれどそこらの女よりも大切だ。一番と言ってもいい。
エドが東部を訪れた際にはどんな予定よりも優先したい。
その隙を突かれ、交渉上手な副官にエドとの面会を優先する代わりに、休日を差し出したことは何度もある。
面会とは名ばかり、旅の話を聞いて、願い事を叶えてやる楽しい時間だった。



今日もそのつもりでいたのだが、エドは違うらしい。副官に連れられて執務室に現れたのが今から十分前の話、今回はどこに行っていたと尋ねると、西の方と呟いたきり。
椅子に腰掛けたまま、もっとそばに来てくれと促すと、おずおず足を進めてきた。そうして目の前に立って自分を見下ろしている。
触れることが可能な距離ではあっても、それはまだ叶わない。相手の許しを頂いていないからだ。
おとなしく様子を伺っているとエドは視線を合わせてきた。何か言いたいことがあるらしい。唇を開いては閉じてと繰り返している。言い淀むほどの頼み事なのだろうか。
子どもの願いは出来る限り叶えてやりたい。まずは内容を聞かなければ。
「鋼の、何か私に話があるんじゃないか」
告げれば、エドは、そうなんだと頷いた。
「……大佐、いつも俺らによくしてくれてありがとな」
これがエドの伝えたいことなのだろうか?
首を傾げたくなったが、我慢した。大佐が俺を馬鹿にすると怒ってきては困るからだ。からかっているつもりはなくとも、子どもの目にはそういう風に映る時があるらしい。
「礼には及ばない。私は君の後見人だから。頼ってくれるなら嬉しく思う」
「でもただってわけにはいかねぇだろ。つくった借りは返さなきゃ。大佐」
「……君の言う等価交換か」
「おう、そうだぜ。大佐もわかってきたじゃねぇか」
今日のエドが何を望んでいるか、その意図を量りかねた。弟に何か言われたのか、自分を賭けの対象として遊んでいるのか。
もしくは純粋に感謝を表そうとしてくれているのか。
この言い様、裏があるようにも感じなかった。本か何かで読んで実践しなくてはと思い込んだのかもしれない。そういうことが子どもには、ままある。
自分に試す分になら、まあいいだろうと思うのだから、甘いものだった。

借りを返すとは言ってもエドの出来ることなど、たかがしれている。無理はして欲しくない。それくらいであれば、研究に力を尽くした方が、エドと弟の為になるだろう。
どう答えるのが正解か、考える時間は少なく、外してはエドを気落ちさせる。いや、下手をしたら大佐は何もわかってないだの、少しは人の気持ち考えろよなど罵りの言葉まで喰らうはず。

「……どんな風に返してくれるのかな、私に」
否と告げて傷つけたくないので、ひとまず誘いに乗ることにした。話を聞いてから断っても遅くない。
「俺が大佐にしてもらってること、今日は俺がしてやるから。なっ」
本で読んだんだ、等価交換と同じ理屈が書いてたんだぜ、同じことしてやったら相手が喜ぶってと鋼の錬金術師は言う。
一瞬、ロイの笑みが固まった。自分は十三の頃、こうまで幼かっただろうか。相当薄汚く生きていたので、エドと比較することは出来ない。
「……いや、それは」
私が鋼のにしてやっていること?
胸の内で思い返してみた。
報告書のチェックをしてやり、文献を手に入れ、紹介状を書いてやっている。他にしていることと言えば、無理はしないようにと甘やかし、腕に抱き上げ、頬にキスを落として。そういう真似をエドがしてくれるというのか。
この身長で?

頭から爪先まで検分してみたがあまりに小さい。自分の胸元くらいの背丈に、肩幅もなく頼りなげだった。
「何だよ。じろじろ見てないで、俺の言うことに答えろよ、大佐」
その上、わがままだった。自分がこの一年、散々甘やかしたからに他ならないが、この体で何を聞いてくれる。受けるのは勇気がいった。自分を抱き上げるのは実質的に無理だろうし、そうなると何をしようとしてくれるのか、さっぱり読めない。

ひとまず口内にたまった唾を飲み込む。喉を動かしたのを見たエドは、一歩足を引いた。
良からぬことを考えていると取られたらしい。
その反対だ。
イシュヴァールの英雄と呼ばれておきながら、今更、勇気がどうこうと内心、思っているのだから。
エドの方から、やっぱりいい、やめておくと言ってくれないだろうか。情けない様だが、こちらから頷くことは出来なかった。
「なあ、大佐」
二の腕辺りを掴まれたところで、執務室の扉を叩く音がする。入室の許可を与えれば、姿を見せたのは涼しげな眼差しをした副官。手にトレイを抱えている。
先ほど、エドを案内して退室する際、紅茶とケーキを持ってくると言い残していった。
「あら」
エドに詰め寄られている自分の姿を見た途端、首を傾げ笑いかけてくる。エドは恥ずかしかったようで、ぱっと肩から手を離してきた。
子どもが訪れた幸運を喜んだのはつかの間。今日は厄日だ。
清廉潔白だとホークアイに言い訳しておくべきか、どうか。

「やあ、中尉。いい匂いがするな」
仕方ないので紅茶の香りを褒めて、はぐらかすことにした。茶の匂いなど、正直どうだっていい。しかし副官は自分をあっさり無視する。立場がないとは、こういうことを言うのだ。
「何か大佐に頼み事だったの?」
「大佐にいつも世話になってるから、俺が今日は大佐の世話してやるって言ってんだけど、大佐、返事もしてこねぇんだ」
「そう、返事がないのは良くないことね。大佐どうしました」
「……鋼のの申し出が嬉しくて言葉にならなかったんだ」
「私はいい考えだと思うわ、エドワード君」
副官は、自分ではなく子どもの味方だ。ホークアイだけではない。幕僚達はエドの側に立つだろう。
半ば自棄になり怠惰に頬杖をついて、二人を見守っていると、自分の同意は必要とされないまま、エドの申し出を受けることになった。
肩章に三星を戴きながら、立場はその実、誰より弱い。
ホークアイは立ち去る時に、ごゆっくりお楽しみ下さいと言い残していった。言葉とは裏腹に目では、ほどほどにするように、泣くまで可愛がらないようにと釘を差された。
泣きそうなのは、こちらの方だ。頭が痛い。
「中尉はああいうけど、時間平気なのかな」
「まあ、そうだな。三十分くらいなら」
三十分、とエドは呟く。それでは足りないというそぶりを見せるが、さすがに勤務時間中だ。更なる時間は割けない。
「鋼の、先にケーキを食べたらどうだ。美味そうだぞ」
「後にする。なあ、俺が大佐、膝に乗せてやるよ」
机に置かれたケーキには大振りな果物が乗っていて、紅茶も綺麗な赤茶色をしている。しかしエドはこっちを先にするんだと言って聞かない。
「……それはやめておいた方がいい」
「何で」
自分達の体格差を見てくれと言いたいが、声にすれば怒るだろう。エドは小さいと指摘されることを何より嫌がる。
腕の届く範囲に子どもの体がある。片腕で回りきるほど細い背をしている癖に、自分を膝に抱いたり、抱き上げられるわけがないだろうと皮肉を思いながら、それは声にせず、腕で体を囲った。
「違う、こうじゃねぇよ……なあ、大佐。こうじゃねぇんだから」
とどめようと、同じ言葉を繰り返す子どもは本当に可愛い。

聞こえない振りをして、腕に力を篭めて引き寄せる。骨の脆さ、体の薄さが手の平に伝わってきた。その暖かさも。エドの上衣に顔をうずめる。
「……そんなことしたって駄目だからな、大佐」
「私から頼むのでは駄目か?して欲しいことを」
試しにねだれば一刀両断される。
「駄目だ。してやることは俺が決める、そう決まってるんだ」
何だ、この理不尽な扱いは。言いなりになれと暗に告げられているようなものだ。それ自体は構わないが、望みに従って子どもの体を壊してはどうする。手首を取って力を篭めれば、骨を折ることも出来るくらいだというのに。

『臆病』など恥ずべき感情と思っていたが、今の自分は相当怯えている。次に何が来るか全くわからないというのは、なかなかの恐怖だった。
恐怖刺激に近いか、いや、そうではない。あれは恐ろしさの中に楽しさ半分という割合だろう。
エドを見守る側としては恐怖、九割だ。楽しさはほぼない。頭を悩ませるのもそろそろ疲れた。だいたい気の長い性質ではないのだ。十五分程度で飽きるのは気が短いというのだと知っていたが、この際無視する。
「鋼の、一つ提案がある」
恐ろしさを与えてくれるなら、代わりに脅迫してやろうか。
銘を呼ぶと、何だよと首を傾げてくる。
「ここでは時間が取れない、夜に私の家へ来ないか」
逃げることが可能な執務室だから、思うままに振る舞えるのだろう。自分のテリトリーまで連れ帰れば別だ。立場は逆転し、怯えるのはエドになるはず。
「でも宿でアルが待ってるから。あんまり遅くまで外にはいられねぇよ」
「門限までには帰してやる。心配するな」
どうする?と目を覗き込んだ。金の睫毛を揺らしながら瞬きする子ども。

狼のように赤ずきんを連れ込んで、喰ってしまわないようにしなければと浮かび、何を馬鹿なことを思っているのかと己を嗤う。
喰うも何も相手は十三の子どもで、男だろう。ならば何故こんなに可愛いのかと自問しても明確な答えは出てこなかった。
「じゃあ大佐の家行ったら……俺、髪、洗ってやるからな」
エドが左手を自分の頭を囲い、髪を梳いてきた。動物を撫でるような具合だったが大して気にならなかった。それよりも今のエドの言葉は何だ。
私がしたことを同じように返すと言ったはずだ。

そんな真似をした記憶はどこにもないし、髪を洗うなら私的な場所へ二人で行かなければ。しかし逢瀬の場所は執務室以外にはなかった。
「……それを君にした覚えはないが」
告げると、エドは金の目を見張った。表情が変わると年よりも更に幼く見える。
視線が合った後、俯いてぼそぼそ呟く。馬鹿大佐と小さな声をロイは耳に拾った、阿呆とも言っている。
もちろん、その程度の悪口で腹は立たない。

記憶をいくら探しても、エドとそこまでの深い接触を図ったことは一度としてなかった。
執務室という密室の中で頬に口づけ、抱き上げてやるくらいがせいぜいだ。品行方正な振る舞いと言っていい。
「鋼の?髪を洗ってくれるというなら嬉しい、そこまでのことが望めるとは思わなくて、少し驚いたんだ」
間違いを指摘した形で収めたくはない。理由があるなら話して欲しいと促す。
こういう場合、急かしてはならない。これもエドに出逢って知ったことだ。時間は限られているが、待つ余裕はある。
エドが睨みつけてくる。目の色が甘いせいか少しも怖くなかった。
「……全部、嘘じぇねぇもん。本当はしてくれたことねぇけど、大佐、俺に言っただろ」
そうしてやりたいって。
そうだ、子どもの一言で記憶が甦ってくる。
大佐みたいな面倒がりで大雑把な奴、他に見たことがねぇよとエドが以前に言うものだから、こう見えても自分は尽くす男で、好きな相手には何でもしてやりたくなると返した。
何でもってどんなことと問う声に、そうだな、例えば髪を丁寧に洗ってやるのもいいと告げた。
あれは前日、女にそういう扱いを受けたからだった。この女にもっと好意を抱いていたら、同じように返してやるのにと最低なことを考えていた。
中央まで醜聞が立つほど行いが悪いことは自覚している。子どもの前でだけは清廉でありたいのに、自分の口が余計なことを言ったのだ。


「言っておくけど勘違いするなよ。俺は大佐が好きじゃなくて世話になってるんだから、そういうことしてやりたいんだ」
これは言葉通り取るべきか。もしくは意地を張っていると自分に都合良く解釈してもいいのか。
悩むのは後にしよう。エドに答えるのが先だ。
「それは私が悪かったな?……すまなかった。君の気遣いを無駄にする私は本当によくない」
するとエドは我が意を得たりと頷いてくる。
偉そうな有様に笑いが浮かびそうになったが、どうにか殺す。
「そうだぜ、大佐はよくねぇんだからな。反省しなきゃ駄目だぜ」
二十半ばで将官の階級を得て、東方司令官の地位に就いても、「良くない」と言われるのだから心しておかなければ。あまりに非道な真似を重ねれば、子どもはどこかへ逃げていってしまう。
この手を離さないようにしよう。
「本当に反省しろよ、じゃなきゃ髪洗うのだって……っ大佐じゃなくて他の奴にしてやるんだから」
他の奴といっても、この子の世界は狭い。故郷の幼なじみ、弟、そして自分くらいしかいないはずだ。
もし本当にそんな存在がいたらどうする。

エドが他の人間に施している様を想像してみた。途端に、内腑の奥に黒い靄のようなものが湧く。
それは面白くない。
他の人間に甘えたり、優しくしたりするところなど見たくはない。何の為に自分が後見についていると思っているのか。そばで笑みを見て、この階級を呼ばれ、一番に願いを叶えてやる為だというのに。
たかがその程度を面白くないと感じるなど、どうしようもないと浮かび、他の人間に取られる方がより困ると思い直した。

右手で目元を覆って、自分の情けなさに何を言っていいかわからず黙り込んでいると、エドが横から覗き込んでくる。
「大佐、なあ。どうする」
尋ねられても答えは端から決まっている。それだけはやめてくれと請うしかなく、どちらの立場が弱いか決まってしまった。
十四も下の子どもに降伏とはどうなのかと人は言うかもしれないが、仕方ない。これほど可愛いと思った相手は初めてなのだから。


恋ではないと笑っていたが、それに最も近い感情なのだと気づくには、後どれほどの時間が必要か。
その時を迎えれば、保護者の男が狼に変わり、赤ずきんは頭から爪先まで食べられるだろう。
そして更に男の立場は弱くなるのだ。


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