Q&A



大佐、俺のこと好き?俺は大佐のことすげぇ好き。だから大佐のどんなにすごい噂を聞いても、信用してる。これからも俺たちのこと助けてくれよ。
さん、はいっ、復唱してと弟に言われたものの、聞いた瞬間、意味がわからず、エドはぽかんと口を開けたままでいた。
数十秒は過ぎただろうか、「兄さん、何ぼんやりしてるの」という声で我に返ったが、もしや今のを言えというのだろうか。

ここはイーストシティの路地奥にある宿の一室、時刻は日付も変わる頃、つまり深夜だ。
宿で出された夕食を食べた後、三時間ほど机に向かっていたのだが、ふっと集中力が途切れた。時刻を確かめて、ああ、もうすぐ日が変わる、でも後二時間は寝ずにやろう、そして明日は大佐に逢いに行こう、そんなことを思いながら、エドは両腕を思いきり伸ばし、ため息をついた。

それに気づいた弟が、「どうしたの」と背後から問いかけて来たので、「本当かどうか知らねぇけど、大佐の噂また聞いたんだ。どうしようもない大人だよな」とごまかそうとすると、「それは困るね」と、存外、真剣な口調で返して来た。
笑って流そうと思ったのに、アルの反応が違う……。

「噂なんて当てにならないけど、そんなに気になるなら、大佐に聞いてみたらいいじゃない。もごもご考えてないで、本人に言うのが一番だよ」
兄さん、割と気に病むからとまで言われ、自分の予想とは違うところに話が進んでいくことになったのだ。
もごもご考えてる、という例えも地味にショックだった。
「別に俺、気にしてねぇもん」
だから大佐に聞くつもりなんてないと首を横に振ると、そういうわけにはいかないんだよと強く返される。
一歳、年下の弟は本当に大切な存在だが、何を考えているかわからない時がたまにある。
答えあぐねて、口を閉ざしていると、ランプの油がジ、ジジッと燃える音を聞いた。

仕方ないからアドバイスしてあげるねと言われ、大佐、俺のこと好き?と聞いて来いと無茶難題を申し渡されることになった。さっきまでの眠気や疲れが全て吹き飛び、一気に目が冴えた。
どうしよう……アルは本気だ。
「い、言えるねぇだろ。まず俺の口調じゃねぇし」
「何恥ずかしがってるの。普段言わないことを言ってこそだよ」
弟は自分の知らない間に、何かおかしな本でも読んだのだろうか。母さんにアルのことを守ってねと頼まれたのに。
「なるべく素直な口調を心掛けて、出来たら甘えた態度で。しっかり大佐にお願いしなきゃ」
まあ、兄さんには無理かもしれないけど、努力って大事だからと付け足してくる。否とは言えない雰囲気を漂っていたので、「……わかった」とひとまず頷くことにした。
何せ二人きりで旅をしている。ここで嫌だ、絶対出来ないの一点張りで状況をこじらせてはならない。兄という生き物は、弟に甘く出来ている。
何気なく漏らした一言で、大佐におかしなことを言わなければいけない羽目になるとは、思ってもみなかった。
こういう状況を一言で表す言葉がある。藪蛇、というのだ。



ロイ・マスタング大佐には良くない噂が纏わり付いている。他の司令部に行くと、お節介な軍人が、自分の耳に入れてくるのだ。
子どもに(子どもじゃねぇけど)そんなことを吹き込んでくる奴の方が、大佐の何倍も良くないというのは、わかってる。大佐の噂なんて全然、気にしていない、いや、やっぱり気になる。ついでに腹も立つ。だからこそ昨夜、アルにも愚痴ってしまった。
だって真面目に生きていたら、そんな噂流れないんじゃないかなって思うんだ。

大佐の言い分は、『自分は敵も多く、噂などそいつらの嫌がらせに過ぎない、まず遊んでいる暇などない』とのことだった。本当なんだろうか。
十二の年に銀時計を受け取ってから、既に三年が経とうとしている。国中を旅して回っているのは唯一無二の目的があるから。
本当は、大佐のこと気にしていたら駄目なんだ。大佐が好きとか、嫌いとかに労力を使っている場合ではない。
しかしアルは、そんなことはないよと諭してくる。
目的は必ず果たせる、旅もいつか終わる。終わった後、兄さんの面倒を見てくれるの大佐しかいないんだよとさり気なく酷いことを言う。

アルと一緒にいるからいいと返すと、冗談でもやめてよねと、つれない回答を頂いた。昔はあんなに可愛かったのに、一年経つごとに弟はクールになっていく。この調子でいけば五年後には、兄さんと呼んでもらえなくなるのではと不安すら覚える。さすがに弟に、エドと呼ばれるのはきついものがあった。

その弟からのアドバイスによると、えーっと、俺のこと好きかって大佐に聞いて。俺は大佐のことすげぇ好きって言って。大佐のどんな噂を聞いても信じてるから、俺らのこと助けてくれって伝えるんだっけ?
司令部に行く坂道の途中、エドは左手の指を折って数えた。
たかだか三つかそこらしかないが、多いな、全部言えるかなとも思った。構成式ならどれだけ複雑だろうと暗記出来るが、こういったことは苦手だ。すごく、すごく苦手なのだが、昨夜、弟の前で頷いた手前、なかったことには出来ない。
言わずに済ませるという手もあるが、アルに成果を尋ねられた時、見破られるだろう。自分は嘘があまり得意ではないから。
そういえばアルはもう一つ、おかしなことを言っていた。
しっかり大佐の言質を取っておくんだよと。何でそんなもん取らなきゃいけないんだと返すと、大佐に捨てられたら、路頭に迷うからとのことだった。



目的の場所に到着して、マスタング大佐へ面会を申し出て、三十分かその程度待てば、執務室で顔を合わせることが出来る。
多忙の東方司令官が、突然の来訪を断らず、時間を取ってくれる。これが相当な特別扱いなのだとわかっている。

広々とした執務室、机の向こうの窓硝子はぴかぴかだ。掃除の行き届いた部屋の主は、しなやかな黒髪、濃藍の両眼、濃紺の制服の狼。相変わらず整った男だと感じる。
「来る時は、事前に連絡するよう言ったはずだが。私の言葉を覚えるつもりはないのか」
もしや右から左に抜けていっているのかとロイは皮肉を投げかけてくるが、声の響きは優しい。
ここまでおいでという声に従って、椅子に腰掛けるロイの前に立った。すると右腕で囲われ、男の香りをすぐそばで嗅ぐことになる。重く、甘い水のような香り。
優しげな声を聞いた後だと、返って質問しづらくなる。

噂なんて大したことじゃないと割り切って、いつもの通りに頼み事をして、真面目に働かないと駄目だからな、次に来る時までしっかりやっておくんだぞと二言、三言、別れの挨拶を交わして、司令部を出ていった方がいいんじゃないかという気にさせられる。
この大人なら俺のことを好きなのやめても、道端に放り出すような真似はしないだろう。
でも好きでもねぇのに、面倒見てもらうって空しいよな。そういうの現わす言葉ってなかったかな。
そうだ、愛人というのだ。
昨夜から藪蛇に続いて、愛人……。疲れてるせいか、ろくでもないことばかり思い浮かぶ。それもこれも大佐のおかしな噂のせいだ。唇を引き結んで、ぐっと睨みつけると、ロイは首を傾げ、どうしたと問いかけてくる。
姿のいい男というのは、声も揃えたようにいい。錬金術みたいに法則があるんだろうか。それとも大佐が特別なのかな。

答えずにいると、甘い男は、鋼のと低い声で、再び呼びかけて来た。
「何だ、今日の頼み事は難しいのか。まずは私に教えてくれ」
腰を囲う、長い腕。大きな掌で触れられて、何だか背筋がむずむずした。変なの、俺。
今までにない感覚にエドは眉を寄せた。男が知れば、体の成長は喜ばしいことだと返して来ただろう。
「あー……難しいような、難しくないような」
頼み事、ではない。おねだりに近い、よって言葉を濁してしまった。
こんなの俺らしくない。けれど状況を進展させる為には声に出して、問いかけなければいけない。ついでにこの部屋、暑い気がする、だって大佐に触られてるところが熱いんだ、首元や、襟足も熱い。そこでようやく緊張のあまり、自分の体温が上がっているのだと気づいた。
「謎かけのようだな、どういう意味だ?」
濃藍の両眼を緩ませ、ロイが笑いかけてくる。こんな表情を見せてくるなんて、大佐は卑怯者だ。声に出して願えば、どんなことだろうと叶えてくれるのでは、錯覚しそうになる。

そこから数十秒は過ぎただろうか。ロイは急かして来なかった。気が長い、とはいえない男がだ。つまり自分の様子を面白がっているのだ。
「大佐、わかってんだろ……」
「わかっているのは、鋼のが何か伝えたいことがあるという部分だけだ。内容までは読めない」
「……本当かよ」
つい唇を尖らせてしまう。睨みつけても、ロイは笑みを深めるだけだった。大人と子どもの差をまざまざと感じさせられて悔しい。
「私はこうしているだけでも楽しいが、君の方はそれでは済まんだろう」
面会時間には限りがあると、ロイは暗に伝えてくる。欲しいものがあるなら声にするように、との意味も含まれている。
今更『何でもない』と翻すことは出来ない。どうせ聞くなら、はっきり言った方がいい。

エドは覚悟を決めて、唇を開いた。はっきり、わかりやすくと心の内で繰り返しながら。
「あのな、大佐って……っお、俺のこと、好き?」
結果、みっともないくらいくらい声が上擦ってしまった。口にしてから、アル、他にも幾つか上げてたよな、そうだ、三つくらいあったんだと思い出す。
俺のこと好きかって聞いて、その後は何だったか。司令部に来る途中、指を折って三つと数えたのに、一つ目は好きかと尋ねること、後の二つがどうしても出て来なかった。
銀時計を取得した優秀な頭脳は、肝心な時に役に立たない。
顔は熱いし、男の腕も気にかかる。離してくれともがくと、これくらいは許して欲しいと請われてしまった。

ロイは一瞬、目を見張り、満足そうに頷いてくる。問いかけ一つで男を喜ばせることになったと、子どもは気づかない。
「君のことを? 答えはわかっているだろう」
ロイの答えもまた何とも言えないものだった。好きだと普通に返してくれればいいものを、大佐はやっぱり卑怯で意地悪だ。
大佐のバカと呟くと、あまり可愛い態度を取ってくれるなと男の笑みが、苦笑に取って変わる。
可愛い態度なんて取っていない。大佐の目は節穴だ。でも節穴じゃなきゃ、俺のこと好きだって言ってくれないよな。
二人きりになってどれくらいの時間が過ぎただろう。五分のようにも、一時間のようにも感じる。間を取って、三十分くらいか。
このまま執務室に篭もって、好きか、好きじゃないかの話をしているわけにもいかない。肝心の頼み事をまだ果たしていないのだ。

今聞いておかなければ、また一、二か月は逢えなくなる。その間に男のおかしな噂を聞くことになるんだろう。
「答えがわかってても、大佐の口から聞きたい」
だから教えてとロイの肩を掴んだ。鈍色の星が三つもついた立派な肩章。俺の大佐は色々問題があるけど、偉い男なんだ。俺はそんな大佐が好きなんだ。
「答えたら、私に何を与えてくれる」
まさか交換条件を持ち出してくるとは思いもしなかった。驚きで目を見張ると、君が私を焦らすものだからとロイは言う。
焦らしてなんていない、心の準備が必要だっただけだ。抗議しても、等価交換は君の得意とするところだろうと返してくる気がする。
大佐の言いそうなことなら想像がつく、全部は無理でも、少しくらいならと思って、エドはそっと口を開いた。

「……大佐は何が欲しいんだ」
あまり大層なものでなければいい。俺が差し出せるようなもの。そしてあまり恥ずかしくないこと。
「そうだな、私をもっと信用して欲しい。大方、私のろくでもない噂でも耳にしたんだろう?」
不安にさせて済まなかったと謝って来た上、望んで来たのは、至極真っ当なものだった。
大佐は俺に信用して欲しいって、思ってるんだ。


結果、エドはほだされることになった。俗に言う、惚れた弱みというやつだ。
弟がそばにいれば、また大人の悪い手に引っ掛かってと、ため息をついたはず。あの手でこの手で絡め取られていって、離れることが出来ないと気づいた時に、丸ごと食べられてしまうのだ。
「好きだよ、鋼の。君を想っている。本当だ」
それで君は私のことが好きかと問い返されて、慌ててこくこく頷いた。

低く深い声を聞けば、胸にかかっていた靄は晴れていく。後は散々溜め込んで来た頼み事を叶えてもらうだけだ。そちらについては躊躇いも持たず、口にすることが出来る。



弟のアドバイスはあまり生かされなかったが、もしもそれに従い、素直な口調に、甘えた態度で迫っていたら、どうなったか。
冷静沈着な男の態度を間違いなく崩せただろう。
十四も下の子どものたわいない問いかけで、東方司令官は心臓の鼓動を普段より速めていたのだから。
打算も駆け引きも持たない子どもの言葉にはそれだけの威力がある
俺のことが好きかと尋ねられたら、誰よりも好きだと答えよう。数字にしたらどれくらいと言葉を重ねてくるなら、この世で一番と告げてやる。


君の問いかけになら幾らでも答えるから、一刻も早く私のものになって欲しい。


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