Phantom ship 1



あの子どもと出逢ったのは、国を出て一年かそこらが経った時だった。
生意気で気の強い、私の可愛いエドワード。
そんな呼び方をすれば、火を噴いたように怒るのは目に見えている。だから心の中でしか呼べない、私は小心な男だ。言っても信じないだろうがね。本当はそうなんだよ。



「気づいてますか」
「何をだ、お前の私に対する金貨の催促をか。露骨なものだな。金に汚い部下を持つと苦労する」
並んだラム酒のビン、グラスを腕で乱暴に押しのけ、国王陛下の印が入った金貨の包みをテーブルに置いてやる。さっさと女でも買ってきたらどうだと促せば、相手はため息をついてくる。
「はぐらかさないでください、あんた何やってんスか。俺らの知らないところで。これ以上敵つくってどうすんです」
ハボックはぐいと顔を近づけて来た。
昔は敬意を持って提督と呼ばれたものだが、今となってはあんた、もしくはキャプテン。
ロイがそれを気にすることはない。口の端を歪めて笑うにとどめた。

耳元で話さなければ互いの声が聞こえない程、酒場は騒々しい。
女達の笑い媚びる声。ドレスからこぼれた甘い肉。質の悪い蝋燭の臭い、それに酒と男達の体臭が混じっている。目当ての女を見つけた男から順に、二階の部屋へと上がっていく夜。朝陽が東の海から上がるまでが約束の時間。
酔った男が一人。階段から派手に足を滑らせ、それを皆が笑う。海軍も手を出せない本国から遠く離れた街。ここにいるのは海賊と娼婦と、奴隷だけだ。
「敵など、どこにいる。私ほど友好的な男はいない」
言い掛かりはよして行ってしまえと、ハボックを追い出す。一人にならなければ、あの子どもは仕掛けて来ないだろう。
軍人らしい忠誠心を見せてハボックはなかなか立ち去ろうとしなかったが、最後に何かあったら呼んでくださいと言葉を残して二階へと消えていく。

追加の酒をとオーダーすれば、ハボックの気にかけていた子どもが運んできた。ここで下働きでもやっているのか。親にでも売られたのか。珍しくもない話だ。
あんなにも剣呑な眼差しを送ってくる。見なかったふりをしたら寝覚めが悪くなる。
それは言い訳に過ぎない。あの金の両眼をもっと近くで見たいと思ったのが、きっと真実。だいたい顔に覚えはない。子どもの敵を作った覚えもない。
チップを床に投げれば、それを拾うふりをして、子どもは己のシャツの胸元に手を入れてきた。ナイフでも隠しているのかもしれない。狂騒の中にあって、刃物が鞘を擦る音を聞いた。
「あんた海賊だろ」
「ここにそれ以外の者がいるのか」
声を殺し嗤えば、子どもの頬が赤くなる。短気の質らしい。こんな場にあって、その素直さは貴重といったところか、愚かといったところか。
「さっきから見てた。左目がない、俺の仇と同じだ」
たかがそれだけの理由で?問えば、髪の色も同じだと返してくる。黒髪などそこら中にいる。純度高い金の眼の方が余程珍しい。女ならば、さぞかし高く売れるだろう。
「黒髪は本当だが、これは嘘だ」
生意気な眼差しが気に入った。

子どもにだけ秘密を見せてやる。
左目を覆っていた黒布を避ければ、濃藍の眼球。ロイは傷一つない両眼を持って、相手を見据える。怯んだ子どもの手首を掴んで、捻り上げた。
ナイフが床に落ちる。
表面上は右目と変わりない左を黒布で隠す理由は二つ。
海軍時代の自分を見知っている男達もいるだろう配慮。後はつけられた印の為であった。
これは自分を見つけるべきものだ。印を塞いでしまえば、ある程度の目くらましになるらしい。どこまで真実か知らないが、占い師の老女が言っていて、それをファルマンが信じたのだ。
しかし相手は呪われた船。そこらで船遊びしているような相手ではない。
彼らは自分を見つけられず、そして自分も彼らを見つけられない。お互い綱を持って先に手を離した方が負けという状態。 焦りは負けを呼ぶ。
それに生きていく為の糧を稼ぐ必要もある。
懐豊かな紳士達を襲い、情報と手段を探す日々の中、自分を仇と勘違いした子どもが網にかかった。

面白い獲物が転がりこんできてくれた、楽しみを逃すつもりはない。せいぜいからかって遊ぶとしよう。女の肉に溺れるよりは、有意義な時間の使い方ではないか。
明日からまた海を彷徨う。陸地に上がるのは数週間後。あるいは数か月なのだから。
子どもの手首を掴んだまま、荷物のように肩に担ぎ上げてやる。
喚いても降ろしてやるつもりはない。背を何度も叩いてくる手を、後でどうしてやろうか。

部屋を貸すのは年老いた女。
首に手首に、光るゴールド、それに宝石。年が幾つなのかわからない。青色のシャドウが毒々しく目元を覆っている。まるで深海に潜む魔女のようだ。
言い値のままに、金貨を落とした。
値切るのも興ざめだろう。今日で幾ら使ったかわからない。船に戻れば生真面目な部下に、金遣いが荒いと嫌味を喰らうのは必須。
「その子は売ってないよ、まだね」
今のは部屋の値段だというわけか。底なしの欲深さに敬意を表して。
「だったら今、この夜から売ってくれ。私が買おう」
更に金貨を落とす。これで何人の女が買えるのか。

見ていた女達が混ぜてくれと腕に胸を押し付けてくる。女の空恐ろしい要求を聞いた子どもの喚き声が一瞬止まる。ようやく自分の立場を把握したようだ。
「初夜は二人だけのものだ。今日は勘弁して欲しい。皆で楽しむのはまた次の夜に取っておこう」
きっと約束と女達の歓声。階段を登って部屋に着くまで、後何カウント。子どもの罵る声は長い夜を楽しませてくれるはずだろう。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -