Opening



「なあ、明日どうかな」
「どう、とは」
「明日、天気。晴れるかな、曇りかな」
天候の話など今はどうだっていい。心に浮かんだ思いをそのまま伝えるわけにもいかず、晴れるんじゃないかとロイは呟いた。
夕刻、執務室の窓から沈む陽が見えた。夜には月が昇り、星が瞬いていた。明日はきっと晴れるだろう。
「そっか……そっか」
エドはこくこくと頷く。幼い仕草に相手は子どもなのだと改めて思い知った。
だからといって、触れることをやめられない。誘って来たのはエドの方だと免罪符もある。
寝室に連れていこうとすると、ここでいいと袖を掴まれたので、灯りを落とした自室のソファに腰掛けて。腕の中に子どもを囲って。
髪を撫で、頬に口づける。上着の留め具を外してやりながら、細い首筋を唇で辿る。
痕を残さないように気をつけて、柔らかく肌を吸った。
「……っん」
小さく上がる声は耳に心地良い。しかしそれを楽しんでいる猶予はなかった。相当な力で髪を引っ張られ、痛みを覚える。
顔を上げて、確かめれば、エドの目元は赤く染まっていた。それだけでない。水の膜が張っているせいで、純金は色を濃くしている。
この時点で先に進むのは無理ではないかと予感がした。
宥めるように、エドの左手を握って、指や甲に口づけていく。皮膚は柔らかい、歯を立てて痕を残したくなった。わずかな接触も相手は気に入らないようで、腕を引く素振りを見せる。逃がすのは惜しかったので、力を篭めた。

「気が変わったか、鋼の」
したいと言ったのは君の方だろうと確かめれば、エドは目を見張る。
「だって……大佐が変なことするから」
「おかしなことではない。皆している」
君が好きだからするんだと告げると、それ以上言うなと手の平で口を塞がれた。舌を押し当てると、慌てて手を避ける。
「舐めるのも駄目だ、そ、そういうんじゃねぇだろ。するのって」
「ではどんなことなら許してもらえる」
エドは言葉に詰まって、答えて来ない。
気の強い子どもが垣間見せる怯えに、喉を鳴らしそうになる。自分はつくづく頭がおかしかった。


住まいに連れて来たのは一時間前の話だ。
夜の訪れと共に司令部を出て、待ち合わせ場所に向かうと約束通り、エドが街角で一人、立っていた。内心の意気込みが手に取るようにわかり、先が思いやられた。出来ればあの時点で気が変わっていて欲しかったが。
一、二か月に一度、司令部へやってくる自分の錬金術師。二年前、あの子が十三の時、与えてくれた告白は稚拙で可愛らしいものだった。
告白に対し、私も君が好きだ、特別に想っていると返せば、喜んでくれた。付き合っているという言葉だけで満足してくれていた頃もあったというのに。
執務室で旅の話を聞いて、報告書を受け取って、頼み事を叶えてやって、その背を見送るのが、常のやり取りだったが、今日は違った。
「大佐は俺のこと好きなんだろ、話すだけじゃ付き合ってるなんて言えない、もっと違うことしようぜ」と言い出したのだ。
十五になったんだから大人扱いしてくれなければとエドは言う。

子どもの突拍子の無さには慣れているが、さすがにこれは、と思わずにいられなかった。
逢えるだけで満足だと告げても、エドは納得しなかった。
どこで良からぬことを学んで来たのか。
何をしてもいいからという言葉を、半信半疑に思いながら、誘いを避けられなかったのは、欲深い性根ゆえに。聖職者には到底なれそうにない。


案の定、先に進めるはずもなく、エドの口からこぼれるのは、嫌だ、嫌だと一つ覚えの言葉だけだ。
せめて肌の感触を、唇で覚えておきたい。頬に続いて、こめかみや目元にも口づけていく。
「やだ、やっ……や、大佐」
「そこまで嫌だと言われては私も傷つく。他の言葉を聞かせてくれないか」
「大佐が傷つくなんてそんなわけねぇだろ」
「酷いな、私を何だと思ってる」
「……っ大佐。本当に、ほんとに、無理。いやだ。やっぱりやめる」
どうしてもかと問うと、どうしてもだと涙を含んだ声が返って来た。囲った腕の中で、エドはもがく。
「こういうことする大佐は俺、嫌だ。大佐じゃないみてぇ」
何をしてもいいという言葉はどこへ行った。

望んだのはエドだ。無理強いして、ここに連れて来たわけではない。心底、納得いかなかったが、滲んだ涙を見れば、諦めるしか道はなかった。
「嫌ならやめよう。泣かないでくれ、鋼の」
額を合わせて、君の嫌がることは何もしないと呟く。滲む涙を唇でぬぐってやると、塩辛さが舌先に広がった。
「俺は泣いてねぇもん……」
「そうか。悪かった……私の見間違いだな」
その目からこぼれている水滴は何だと、もちろん聞かなかった。何が悪いのかもわからず謝った。こういう時はどれだけ納得がいかなくても、子どもの言葉を肯定した方がいい。
「本当に泣いてねぇからな。大佐、人前で言うなよ、絶対だからな」
言ったら大佐のところに来てやらねぇからとまで言われる。

後見人に立っていようと、東方司令官の地位を負っていようと、子どもに対する立場は酷く弱い。
「ああ、今夜のことは私と君だけの秘密だ」
子どもの誘いを真に受けた自分が愚かだった。端から本気にしてはいけなかったのだ。
ため息がついこぼれたが、それが気に入らなかったらしい。エドは潤んだ両眼で睨みつけてくる。
左手で肩を叩かれた。髪を掴まれた時と同じく、本気で痛い。押し切ることも出来たのに我慢してやったのだから、少しは手加減して欲しい。

「何でため息なんかつくんだ」
「君を傷つけるつもりはなかった、すまない」
他意はなかったと謝ると、更に叩かれる。痛い、痛い、やめてくれと弱った振りをする。
「大佐は……っ俺のこと嫌になったのか、いやなのか?」
嫌にはならないが、ここで涙を見せるのは卑怯だと苛めたくなる。駄目だ、苛めては機嫌を損ねる。東部へ来てもらえなくなる。その間に他の軍人に取られては困る。頭を冷ますのに構成式でも唱えた方がいいかもしれない。
相手は子どもだ、十四も下の子どもなのだと、心の内で繰り返した。
「この程度のことで鋼のを嫌うはずないだろう」
自分の言葉が芯からのものか確かめるように、純金の両眼が真っ直ぐに見つめてくる。
「……俺のこと嫌いにならねぇって本当か」
尋ねる声に、もちろんと頷いてやる。すると奥歯を噛み締めるような仕草を取って、可愛らしかった。
「本当のっ、本当にか」
「誓って本当だ。私の特別だ、鋼の」
だったらいいとエドは言うが、自分は少しも良くない。二十九にもなって何をやっているのかと自嘲の笑みを浮かべたくなる。

我慢は出来ても、奥底では欲がざわめいている。
二人きりで人の目はない。無理矢理でもいい、肌を暴きたい。足を開かせ、蕩かせれば、従わせられるはず。
行為を拒んでおきながら、自分の首に両腕を絡めてくる子どもに、理性を揺さぶられる。金の髪が頬に当たる。暖かい体温に触れられる。
これは何の拷問だ。まさか夜が明けるまで、このままなのか。
離れてくれと言うわけにもいかず、薄い背を撫でてやった。

周囲に、過保護が過ぎると諫められても、甘やかすしか大切にする術を知らない。顔を合わせれば、願いを叶えてやりたくなる。
これからも他のことだったら聞いてやろう。しかし今後、誘いに乗っては駄目だ。
二度目は耐えきれる自信がない。
あの夜、夜明けがどれだけ待ち遠しかったか。過ぎる時間を遅く感じた。

一年前の話だ。それから幾度となく、「続きしようぜ、俺ももう大人になったから嫌だなんて言わない」とエドはねだって来たが、「あの時やめると言って来たのは誰だ」と返すと押し黙る。
その繰り返しだった。
子どもの成長は早い。数年経てば、気も変わり、異性を想うようになるはずだ。それまでの間、好きだと言ってくれるだけでいい。
信用していない、わけではない。そうとでも思っていなければ、いざ現実となった時、自分が何をするかわからないからだ。
金の髪、純金の両眼、十四下の子どもは、いつまでも特別だ。これだけは何があっても変わらない、本当のことだ。


兄弟の旅の終着点は、春のセントラルで。
「アルの体が取り戻せたんだ、一番の目的が叶った。俺は右腕だけで充分」とエドは笑う。
見てくれよ、左とじゃこんなに差があるんだ。傷もないし、細ぇの。文字もまだろくに書けないけどリハビリしていくと。

大佐が東方司令部に戻るなら逢いに行くからと言い残して、愛しい子どもは故郷へと戻っていった。
あれから三か月経つとは、時の流れは驚くほど早い。
出来るなら、手紙か電話が欲しい。右腕はどうなったのか、近況が知りたい。
自分から連絡をと思うものの、その時間さえ取れない、多忙の日々だった。
便りがないのは元気な証拠とも言う、幼なじみや弟と共に暮らしているんだろう。

子どもの幸せを願うのは、誰より大切に想っているからだ。
だからあまり私を誘惑しないでくれ。清廉には出来ていない。牙や爪を隠して、行儀良く振る舞っているにも限度がある。


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