Overture 1



「まず始めに言っておく」
金の髪を風になぶられながら、エドはよく通るように心がけて、口を開いた。

今日は吹く風が強かった。無風の状態も困るが、こうも強いと通信障害が出るかもしれない。
嵐が近づいてきているんだろうか。夏を迎える前に、アメストリスは嵐の洗礼を受ける。空は晴れ渡っていたが、雲の流れが切るように早かった。
ご機嫌麗しくとばかりに挨拶したが、喝采はない。紳士淑女の皆さんと自分も続けるわけにはいかない。目の前に揃っているのは、濃紺の制服を身に纏い、銃口火器を携えた国軍兵士だ。
総統府で見るならまだしも、中央も外れののどかな景色の中では全くそぐわなかった。空と緑のコントラストが美しいこの村は自分の故郷に似ているかもしれない。しかし東部への輸送経路として、この駅は重要地点だった。
昨夜、中央と東部の境目にある駅を一つ占拠された。ご丁寧にも線路を修復不可能なまでに爆破してくれたから、復旧は時間がかかるだろう。


今は駅舎に駅員、そして乗客を人質に立て篭っている。経過から十三時間経っていた。まずはそちらをどうにかしなければいけない。
要求は軍政の改革だそうだ。ここで騒いだところで、何が変わるというのだろう。大体軍政を覆す英雄はお前達じゃない。
俺の大佐だ。
やっかいなのは人質の数が多いという事だった。全員無事に救出しなければいけない。傷一つつけるわけにいかない。
旅をしていた頃にも、列車内でテロリストに出くわした事がある。うまく撃退できたからいいものを失敗したら、どうなっていたか。あれは自分で責任を負うわけではなかったから、できた行いだった。
彼に貸しを作ったとはよく言えたものだと思う。さすが私の錬金術師だと囁いてくれた言葉に有頂天になっていた。
自分の行いは全て彼に返っていくという事を何もわかっていなかった。
今はわかっている。俺の行いは大佐の名誉と誇りに関わるって事を。

テロ制圧の陣頭指揮。初めての任務にはいいだろうとロイに下された。彼の思惑がどこにあろうと、必ず成功させてみせる。
国家錬金術師という専門外の人間、年端もいかない子どもを遣すとは、上は何を考えているのかと不平不満を隠そうともしない顔達。
見ていて気分がいい。直轄府で、研究の代わりに足の引っ張り合いに夢中になっている人間の相手をするよりもずっとましだ。
エドは不敵な笑みを浮かべて、手を広げる。
「俺のことはいけすかないガキだと思ってくれていい。実際俺は十七で、あんたらの子どもみたいなもんだろう」
笑いが起きる。失笑ではなく、親しみやすい声がいくらか混じっていた。
「そんな俺でも特技がある。錬金術にはそれなりに自信があるんだ」
言葉を切って手を合わせ、祈る。錬成陣を描く必要はなかった。両手を合わせれば、それが円環の代わりを果たす。途端に地面が隆起した。
この力であんた達を守る。だから安心してくれよと結んだ。感嘆の声を、もっとくれ。
皆に受け入れられる親しみやすい態度と言葉を、研究して来たんだ。


弟が今の自分を見たらどう思う。偽者だと疑ってくるのではないか。その時は、俺は本物だよと安心させてやろう。
でも大佐はそう言ってくれねぇんだ。昔みたいに話してはくれない。
五年も前に銀時計を得る為に中央で試験を受けた。筆記、精神鑑定。そして実技と。
試験の前日、ロイに総統府へと連れていかれた。隣が直轄府だと教えられ、合格して銀時計を手に入れれば、君の所属はあそこになると教えられた。

今日のように風が強い日だった。風が舞い上げた埃が入らないように、何度も目を瞑った。そんな些細な事まで覚えている。門を越えた中の敷地は広すぎて迷路のようだった、自分の知っている景色とは全く違う、こんな場所に来たのは初めてだった。
もしここでロイと離れてしまったら、自分は外に出られなくなるのではないかとさえ思った。抱いた不安を顔に出してしまう、それを見たロイが心配しなくてもはぐれたりしない。もし君がいなくなったら探してやると笑ってくれた。
皮肉に見せかけた彼の優しさだった。
自分は何と答えたか。子どもじゃないんだから迷子になんてなったりしないと言ったはずだ。ロイはわずかに目を見張って、それから低い笑い声を聞かせてきた。笑って当然だろう。
建物の影が地面に落ちていた、ここを突っ切った方が早く門に出られるというロイの後ろを必死でついていった。
辺りに人気は全くなかった。ロイと二人きりだった。演習をやっているのか、遠くで大砲を撃つような音が聞こえた。
歩きながら、ロイが試験の前に一つアドバイスをしておこうかと言ってきた。
パフォーマンスは大事だぞ、エドワード・エルリック。例えば私のこの焔。
焔?と問い返せば、ロイは軍服の胸元から手袋を取り出してきた。それを両手に嵌めて、指を鳴らす。
次の瞬間、鮮やかな赤色の焔が、空気中の酸素を燃やして、すぐに消え去った。
幻のように掻き消えた焔に、エドは目を奪われる。
自分のように罪を犯したわけではない、しかし今彼は錬成陣を描かなかった。目を凝らせば、彼の手袋に錬成陣が刻まれている事に気づいた、火蜥蜴に火冠樹が円環に閉じ込まれている。
ロイ以外の人間が手袋を嵌めても、この錬成陣を読み解かなければ、焔は生まれないだろう。
だから私の二つ名は焔なんだと告げるロイの声は、耳に心地良い響きだった。
この程度の火焔、本来は短距離、少人数にしか効かないものだ。しかし人は焔に弱い。見た目の派手さに惑わされる。これを自分にぶつけられたらと思えば動揺する。
明日はせいぜい君も派手な技を見せてやれ。ロイの教えはいつも的確だった。軍人でなければ、彼は教師にもなれたのではないかと思う。
自分のような人間でさえ見捨てずに、ずっと手を掴んで導いてくれたのだから。
五年前にくれたロイの助言どおり、今日は総統府で披露したようなものを作り出せばいいと考えてやってきた。
例え、今ロイが何を言ってくれなくても。


パフォーマンスはどうやら成功したようだった。少しはましな人間じゃないかという雰囲気に変わる。挨拶と披露目はこれで終わった。後は実戦あるのみだ。
私の錬金術師に相応しい結果を期待していると、朝に総統府を出る時、ロイに肩を叩かれた。他の人間の目があったから、光栄ですと場に相応しい態度を持って答えてきた。
誰一人疑わない。
確かにあれはロイ以外の何者でもないだろう。態度、声、眼差し全てが同じなのだから。
自分に言葉をくれたのがロイなのか、身の内に潜む別のものなのか。わからなかったが、それが『本当』のあんたの言葉だと信じて、ここに立っている。
言葉のとおり、期待していてくれ。
突入のタイミングを図って合図、それが指揮を執る人間の役目だが、横にハボックがついていてくれる。叩き上げの彼が助言をくれるから大丈夫だ。
幾ら頼りになっても、全てを任せきってはいけない。これから先も軍でやっていきたいのであれば。軍に、いられるのか、どうかもわからなかったが。



制圧に時間はそうかからなかった。始まってしまえば、終わりはあっという間に訪れた。人質も無事に解放され、状況の聞き取りは下士官に任せる。テロリスト共は中央に移送だ。
後は線路の損壊具合を見て、なるべく早く資材と技工士を呼び寄せなければ。エドはやるべき事を、頭の中で数えていく。
錬金術でどうにかならないのかと尋ねられたが、無から有は作り出せない。破壊された部分の鉄が必要だった。結局は人の力に敵わない。
ここは街の体裁を取る村という規模だった。公共の建物は学校しかなく、そこを借り受けた。教室に並ぶ小さな椅子と机、それに教壇を久しぶりに見た。
リゼンブールにも学校はあったが大して通わなかった。そのせいか懐かしさは心に沸かない。手放しで賞賛をもらえるという程ではないが、及第点くらいはもらえるだろう。
本当に?
この程度の指揮。軍属であるならできて当たり前というレベルのものかもしれない。
中央からの連絡を待つ間、空いた部屋に案内される、隅に幾つか机と椅子があるだけのがらんどうの空間。
そばについていた兵士が下がっていき、ようやく一人になる事ができた。エドは古ぼけた椅子に腰を下ろして、深いため息をつく。肘を太腿に預け、顔を伏せる。

兵士の命を預かる司令官は、いついかなる時でも冷静に。
侮られる事なかれ。媚びる事なかれ。一線を画し尊敬と畏怖を集める存在であるべき、だそうだが到底自分の器ではなかった。
つくづく彼を尊敬する。
扉は閉めていなかった。廊下を軋ませる軍靴の音が、こちらに向かってくる。顔を上げて待っていれば、声をかけてきたのは、さっきまで横についていてくれたハボックだった。
ロイが昔馴染みの彼を一緒によこしてくれた。自分にあんな真似を強いるくせに、こうやって気にかけてくれる。今回は助かった。ハボックは旅をしていた頃から知っている。信頼のおける大人だった。

「さっきはよかったですよ。俺がついていなくても、全然平気じゃないすか」
まさかと、エドは笑みを見せた。こっちこそさっきはすげぇ助かったと礼を言う。幾ら礼を言っても言い足りなかった。
ハボックが呼びに来たという事は、総統府から指示が下ったんだろう。
エドは椅子から立ち上がる。気づいて両の手袋を剥ぎ取った。自分が思っている以上に、体は緊張していたらしい。
右手は機械鎧だから構う事はないが、左の指先が冷えて痺れていた。そこに体温が戻ってくるには時間がかかりそうだ。情けないと思う。使える人間になるのは、まだまだ先の話という事か。

「少尉がついててくれたから、どうにかやれたんだ」
この場で心許せるのは彼だけだ。一人でもそんな相手がいると、違うものだと知った。
上手いっすねぇと彼は笑ってくる。どこで誰が聞いているかわからない。ハボックは普段のように、気安い口調は叩かない。自分達の間には歴然とした階級差があるからだ。
それも来年になれば、一つ縮まるだろう。
「上手くねぇよ、本当に少尉のおかげだって……ああ、こうやって少尉って呼べるのも、後少しなんだよな」
呼び慣れた階級が変わる。喜ばしい事のはずなのに、一抹の寂しさが伴った。来春には昇進式がある。ハボックはそこで星を増やすだろう。

そして彼もまた一つ階段を昇って行く。余程の不祥事でも起こさない限り、もはやそれは決定事項だった。
「まだどうなるかはわかんないっスけどね。今日は良かったです。本当に。鋼の錬金術師殿に何かあったら俺は大佐に合わせる顔がない」
「そうかな、俺が失敗したらもう君には任せておけないとか言ってくんじゃねぇかな」
だから俺は絶対失敗できないんだと、嘘をつく。周りの大切な大人達さえも欺く。

皆が知る彼のイメージ、それを崩さないように話を合わせて笑うが、きちんと笑えているのかどうかもわからなかった。
「それだけ大佐は期待してんですよ。あの人、もっと幕僚が必要なんだから」
ロイは来年、准将の地位を頂く。肩章から星が消える、残るのはラインだけ。しかし彼であれば再び星を得ていくのは容易な事だ。
昇進のスピードは群を抜いている。イシュヴァールの功績はそれ程に大きい。そしてもう一つ。昨年、北部で起こった内乱を片付けた。
北の大国が絡んでいるという噂が流れ、収束に時間がかかるだろう。その前評判を覆し、鎮圧のスピードは上層部の予想を上回るものであった。
司令官としての才能は他を圧し、寄せ付けない。

イシュヴァールに行ったという兵士が言っていた。たまにああいった人間がいるのだと、戦争という女の機嫌を取るのが上手く、愛される男が。
その通りかもしれない。ロイと同様の地位にあるのは、皆壮年の男だ。その中で一人彼の存在は異質だった。あれだけ整った顔をしていれば、女と名のつく者なら愛さずにはいられないのではないか。

ロイの面影がエドの脳裏を過ぎる。明日には、その彼に逢う。何をされるんだろう。また好きにされるのか。今は忘れろと、想いを心の奥底に閉じ込める。
行こうかと、ハボックの腕を軽く叩いて促す、廊下を歩きながら、ハボックは背後から話しかけてきた。
「鎮圧完了って、大佐の耳に届いたんですから。成功を喜んでくれているはずですよ」
「そうだな……早く俺は大佐に認められたい」
己の影をじっと見つめながら、エドはそう答えた。この建物を出たら、きちんと顔を上げて歩かなければいけない。

もし彼が変わってしまわなければ、ハボックの言葉どおり、今頃どう思っているか気になってしかたなかっただろう。
喜んでくれるか、それとも失望しただろうかと。エドは奥歯を噛み締めて、伏せていた顔を上げる。
目にするのは遠く東に連なる山脈、空気は花や草木の甘い匂いを含んでいた。見れば見るほど、自分の故郷に似ている。

一年前に、弟の体を取り戻して旅を終えたが、未だ故郷には戻っておらず、理由をつけて弟にも逢っていなかった。
嘘を見抜かれるのが怖いからだ。
旅の後に自分達兄弟には、好きな事をやる権利が与えられた。弟は大学に行きたいと望み、自分は軍人になると決めた。
あの夜までは純粋に彼の役に立ちたかったから。あの夜を越えてからは、もう一つ目的ができた。目的の為にはそばに在らなければいけない。
だから軍に残りたいと願ったのだ。

秘密を知っている自分を軍部には、置きたくないはず、銀時計の返還を命じられるかもしれないと思ったが、意外にも彼はそれを聞き届けてくれた。ただし期限を切ろうという条件をつけられたが。
どんな事をすれば期限を伸ばしてくれるんだ。それに期限とはいつまでを指すのかと尋ねたが、ロイは笑うばかりで教えてくれなかった。
あの男の言葉だ。ただの脅しや冗談ではない。しかし今を持っても、その真意はわからない。


ロイの許可を得た後、十六という年のせいで、士官学校に入れられるかと思ったが、国家錬金術師の特権である少佐相当間の地位があった為に、教育機関には進まなかった。
理論や精神論など本を読めば十分だし、演習なら総統府でもやっている。そこに参加して学べばいいと告げられ、そして彼直属の部下という立場に置かれた。
周りの皆は、それを何も不思議に思わなかった。手駒として使う、この時の為に彼は後見人となり、自分を援助してきたのだろうと見られたからだ。

彼の部下という形で紹介された。値踏みするような視線を浴びたが、そばにいたロイは、ただの妬みと羨望だ。気にするなと囁いてきた。優秀な錬金術師は皆が欲しがるものだと。
こうなる事をわかっていたから、今まで自分を公の場に連れて来なかったのか。
しかるべき年になったら連れていってやると言うきりで、軍の任務など与えられた事もなかった。
そうだ、例外があった。

十四の時に一度だけ、セントラルの練兵場に連れていかれた。
あれはロイと錬金術の威力を競うというものだった。始める前までは対等に戦えるんじゃないかなんて思っていた。それが愚かな自惚れであると、すぐに知る事となったけれど。
幾ら才能があろうとも子どもは使い物にならないと周りに知らしめる為に、容赦もなくロイに焔を浴びせられた。
自分の甘さと共に、火傷というものは後を引く傷なのだと知った。

出逢ってから甘い顔ばかり見せて、望みを聞いてくれなかった事などなかった、男の冷徹な目を見たのは、あれが初めてで、再び見る事になろうとは思ってもいなかった。
平気だ。どんな目で見られようとも。どんな事を強いられようとも。
本当のあんたが戻ってきた時、この状況を褒めてくれたら俺はもうそれだけでいい。彼が誇れるような存在になりたくて、この一年できる限りの努力をしてきたのだから。


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