※最終回のSSです。


11 June 2010



兄弟の旅は終わったが、リゼンブールに住まうわけではないらしい。

錬金術によって苦しむ人々を救う為、再び旅に出ると言う。志がどれ程崇高でも、理想だけで腹は膨らまない。
東方司令部を訪れた子どもから話を聞いた時、旅の資金はどうするのかとまず疑問が浮かんだ。銀時計を返すついでに大佐に逢いに来たんだと笑うエドは、この先何をして稼いでいくつもりだと次いで不安になった。
口座にある研究資金は私的に流用できないよう、動かせる額は決められている。何より銀時計を返上すると言う。そうなれば口座は凍結だ。
軍の鎖を所持する理由はもはやなく、持っているように命じるわけにもいかない。
執務室のソファに座って、中尉も怪我が治ったみてぇでよかったと笑うエドに、きついことは言いたくなかった。わざわざこうして訪ねてくれたのだ。
一応大佐にも世話になったから挨拶回りなという意地張った言葉であったが、その気持ちが有り難く、嬉しかった。

俺が西回りで、アルが東回りで世界を知る為に旅するんだと壮大な計画を聞いた瞬間、不安どころか目眩さえ覚えた。まだ視力が安定していないのかもしれない。
弟もおらず、今度は一人で?
やめたまえと危うく喉まで出かかった。せめて誰かについていってもらった方がいいと言おうと思ったが、ここで口を挟めば機嫌を損ねるのはわかりきっている。
ろくでもないことを言い放ってから、まだ数ヶ月しか経っていない。あれを持ち出されれば、降参だと手を上げるしかなかった。
金さえあれば世の中、大概のことはどうとでもなる。
心配を始めてもきりがなく、問題は一つずつ解決していくに限る。なるべく早く済ませた方がいい。

「私も君に話したいことがある。国家錬金術師は職を辞す時に慰労金が出るんだ。今まで軍に奉職してくれた礼として、遠慮せず受け取りたまえ」
「……軍に?でも俺、大したことしてねぇよ」
「あの日、協力してくれただろう。十分だ」
銀行に行って口座をつくっておいでと言った時、少し怪訝な顔を見せてきたが構わず話を進める。
十二か、そこらの頃に全面的に騙されてはくれないかもしれないが、すぐには気づくまい。
当座の分を入れてやろう。
わかったと頷くのを見て、口座をつくったら私に教えるんだ、電話をかけるようにと言い聞かせる。へいへいという適当な返事はいつものことなので気には留めない。
上官に対する口の聞き方ではないと言った夜のことをふと浮かび、もう二度と言えないとも思う。
あんな叱責を与えることはできないというのが半分、軍から離れれば階級という鎖から解き放たれるという想いが半分だった。



「司令部のコードも変わった。忘れないように。ここに繋がらなくなるからな」
口頭では間違うかもしれないからそばに来てくれとロイに望まれる。
大佐がいう慰労金の話はどこかおかしいぞと思うものの、ひとまず彼の望みを叶える為、エドはソファから立ち上がった。
そうだ、大佐ではなく准将なのだった。マスタング准将。何だか違う人間のように感じられたので、今日だけは大佐でいいかと思うことにした。
きっと彼も怒らないだろう。
椅子に腰掛けるロイの隣に立つと、机に紙を置いて、コードを記していってくれた。関節が浮かんだ手の甲や、節くれだった指をじっと見つめる。俺もいつかこんな手になれるんだろうか。五年ぶりに取り戻した右手はまだ筋力が戻る途中で、左に比べ、まだ幾分か細かった。
ロイの伏せた眼差しをこちらに向けたい。

「なあ、目、治ったんだよな」
問いかければ、すぐにも顔を上げ、その両眼で見つめられる。ロイの視力を奪われた時、その視線は定まっていなかった。俺が見ると大佐は真っ直ぐに見つめ返してくれるのに、それがなくて怖かった。
鋭い濃藍の眼差しを再び見つめることができて嬉しい。
「ああ、君の顔を見ることができる」
これより嬉しいことはないと、ロイは薄く笑いかけてきた。大佐も俺と同じことを思ってくれたんだ。今は優しい大佐の顔をしてくれている。
笑み一つでこの男の印象は随分変わる。きつかった表情が優しくも見えて、それが不思議だった。

あの時は優しくなかった。あんな昏い目を見るのも、ひび割れた低い声を聞くのも、最初で最後であって欲しい。おそらく願った通りになるはずだ。
「……大佐はもう俺にあんな口聞かねぇか」
何を指しているか、察したロイは笑みを深める。
「誓うとも。二度と言わない」
鋼の、と囁くような声で。銀時計を返上すれば二つ名も消え失せる。自分が、准将になった彼を大佐と呼ぶように、望む限りは、いつまででも銘で呼びかけてくれるのだろう。
「二度と言わないなら、俺が留守にしてても悪さするんじゃねぇぞ」
「悪さとは」
だがそこは油断ならない男のこと。
子どもが可笑しいことを言うといわんばかりの態度をロイは見せてきたので、睨みつけると、君の言う通りにと改めてくる。どこまで信用できるかあやしいものがあった。

大佐には俺がついててやらねぇとって思わせられる。大佐は頭に血が昇ると見境つかなくなる人間だってわかった。俺がいなきゃやっぱり駄目なんだ。
「俺の言うこと聞いた方が身のためだぜ。『慰労金』ありがとうな」
これで借り一つとカウントする。忘れずに覚えておく。大佐が俺にしてくれたことは全部。
「昔のように騙されてはくれんか」
苦笑と共に、行っておいで、鋼のと告げる声が少し寂しげだったので、心配することなんてないんだと言い切ってやる。
「また大佐に逢いにくるからそんな顔するなよ、俺は大佐の錬金術師なんだから」
例え何一つ錬成できなくても、大佐は俺のことをそう想ってくれるはずだ。
大人って寂しがりだなと笑うと、大人の中でも私は特に寂しがりの部類なんだと答えてきた。哀れに思うなら電話をかけて欲しいとも請われる。声を聞かせて安心させてくれと。
「いいぜ、大佐は寂しがりの上に甘えたがりだって俺は知ってる」
君には敵わないと笑う男の表情は誰より優しい。


大佐が俺に貸しをつくって、俺は大佐に借りを返していく。ずっと大佐を助けて行くっていう約束を忘れてはいないから、また逢えるはず。
ここに戻ってくるから、どうか迎えて欲しい。
お茶でもどうかと誘ってくれたら、今度は意地を張って断らずに頷くから。その時を楽しみに世界を回ろう。


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