肉を刺し貫く感触に、本当はあの時一瞬、息が出来ず止まった。
怪我をするのには慣れたけれど、怪我をするあの瞬間の痛みにだけは、決して慣れないだろう。焼ける火を押し付けられたように、肩が痛く熱く叫び声を殺して、両足で立ち、相手を睨みつける。氷結の錬金術師、あいつの詳しい背景なんて知りたくない。大佐が敵と言ったから、敵のはずだ。じゃなきゃ、こんな事怖くてやっていられなかった。

最終的に決着をつけたのは大総統で、果たして自分は役に立ったのだろうかとも思う。傷を負ったのは、骨折り損という奴ではなくて?
荒い金属の断面で刺し貫かれたから、跡が残るはずだ。神経を損傷していないなら、それで構わない。跡なんて顔だろうと、どこにだろうと残っていい。

箔がつくだろうと弟に言うと、兄さんは馬鹿だね、僕がついていなきゃどうなるのと優しい声で笑ってくれた。



05 April 2009



体が傷を治そうとしているせいか、入院している最中はやけに眠かった。眠って目覚めと、その繰り返しだった。幾らでも眠れた。
昨夜夜にあれだけ眠ったのに、午後の暖かさが気持ちよくて、現実と夢の境を彷徨っていると、扉の影に誰かの気配があるのを感じ、アル?と声をかけた。もう帰って来たんだろうかと不思議に思う。
せっかく中央にいるのだから、図書館に行って調べてくれとアルに頼んで、まだそう時間は経っていないはずだ。

硬い靴音がした。これはアルじゃない。長身に、黒いコート。濃紺の軍服。それはよく見知った男だった。
大佐と呟くと、彼は左目を眇めた。
「見舞いに来たぞ。鋼の」
嫌な男が現れものだと眉を寄せれば、そんな顔をするなとロイは歩み寄ってくる。近づくなよと威嚇すると、離れていては何の意味もないと返される始末だ。
負った傷は肩。両足は平気だ。立って逃げようかとまで思った。逃げる場所など、どこにもないのに。中尉や弟がいるところなら、幾らでも生意気な口を叩いて、悪態もつけるけれど、二人きりになると何を話していいかわからなくなる。
結局、迷っている内に、ロイは軍靴の音を聞かせ、ベッドの際に立った。自分のすぐそばに。左手を伸ばせば、すぐに届く距離だ。コートを掴もうと思えば、あっけなく叶う。触れられるわけがないけれど。


ロイの影が毛布に落ちた。その毛布を右手で握ると、皺が寄る。鋼の、と銘を呼ばれる。目を伏せているのもおかしな話なので、思い切って顔をあげた。俺はあんたを相手に緊張なんてしないと心の中で言い聞かせているのに、心臓の脈はやけに早まっていく。だって大佐が俺に逢いに来てくれる理由がない。
「……あんた暇なのか。真昼間から俺のところに来て。大佐なのに」
現れた早々、憎まれ口を叩く自分はさぞかし良くない子どもなんだろう。
「暇なわけではないが、様子がどうか知りたかった。傷は?」
「平気だ。こんなもん。痛くもねぇし」
それは嘘だった。本当は痛い。治りかけのせいか、じくじく痛む。でも大佐に言えるわけがないし、痛み止めを飲む程でもない。
そうか、とロイは頷くにとどめてきた。
きっと大佐には、俺が痛くないって嘘ついてるのも、緊張してるのも全部わかっているんじゃないか。でも今日ばかりは、大佐も嫌味を言ってこない。普段なら、嘘ばかりつくなとか、そういう事を言われる。
大佐が嫌味言わねぇの、俺が怪我してるからかな。怪我してるから、優しくしてくれるのか。

冷たく厳しい、この男が自ら足を運んでくるのだから、特別な待遇だと思ってもいいのだろう。
贔屓を受けているなんて嫌味を言われた事もあるけれど、国軍大佐である男が、たかが子飼いの錬金術師を見舞ってくれるのなら、その言葉はあながち外れていないかもしれない。

「大佐、見舞いに来てくれたっていうんなら、見舞いの品は?」
「私が顔を見せたんだから、十分だろう」
それ本気で言っているのかと問えば、もちろんとロイは頷く。
「手ぶらなんて大佐だせぇ、かっこわりい。ありえねぇ」
持てる限りの悪態をついた。眉を寄せて、顔をしかめて。可愛くない子どもを、わざと演じた。
「手ぶらではない、嘘だ。可愛い鋼のに、私がそんな真似をするはずがない」
可愛いだとか、よく言う。口の上手い男だ。言うべき相手を間違えている。十五の自分に、そんな事を言っていないで、女に使えばいいのだ。

時間の進みが遅いのか、早いのかよくわからない。彼が来てくれて、どれだけ経った。数分か、数十分か。後どれくらい二人きりで話せる。
「じゃあ土産は何だよ。あんた何も持ってねぇじゃねぇか」
手を、とロイに言われ、右手を差し出す。ロイはコートのポケットをさぐったかと思うと、幾ばくかの菓子を機械鎧の手の平に落してくれた。
包み紙に巻かれたキャンディ、銅貨くらいの大きさがあるキャラメル。他にはチョコレート。これは予想していなかった。
どこで?どんな顔をして、大佐は買ったんだ。驚き故に黙っていると、気に入らないかと尋ねられた。一応もらっておくと答えると、密やかに笑う気配がする。菓子で喜ぶ子どもだと思われてしまった。違う、断ったら大佐が傷つくかもしれないからだ。
「鋼の。早く傷を治せ。旅に出なければいけないんだろう」
立ち止っている猶予はないと、暗に教えてくれる声。言われなくてもすぐ治すと、ロイを見上げた。
「すぐ治して、それでセントラルなんてさっさと出てく。あんたこそ俺の機嫌なんて取ってないで、俺の実績だけ期待してればいいんだ」
「それも期待していよう。君は私の錬金術師なのだから」
大総統閣下が褒めていた。私も誇りに思うと、ロイは優しい言葉をくれる。傷を負ったのが無意味ではなく、何もできなかったわけではないと、示してくれる。

ロイを背をかがめてきて、顔を寄せてきた。整った男の容貌が間近に。本当に、と問うと、本当だと返してくれる。大佐が本当だと言うのなら信じてみようかなと、声にする事はできなかったけれど、心で告げた。
そこで会話は終わった。君の顔も見たし帰ろうと、ロイは背を翻す。二人きりの時間など、あっという間だ。心臓の動悸も、収まっていた。大佐と一緒にいるのも、こうやって少しずつ慣れていくんだろうか。

扉へ向かうロイへ、呼びかけなければ。この男は声をかけなければ振り向いてくれないに、違いない。今日ここで聞かなかったら、聞けなくなる。こうやって訪れてくれた事さえ、幻か夢かとさえ思ってしまうかもしれない。
なあ、大佐と声にする。すると彼は呼び掛けに応えてくれた。
「これ、大佐が買ったのか」
ロイはわずかに目を見張り、薄く苦笑を浮かべてくる。鋭い暗色の両眼が空気に滲むように緩んで、笑うと優しい男にも見える。だからずるい。冷たいのか、優しいのかわからなくなる。
「そうだ。恥ずかしかったぞ」
「大佐のそんなところ見たら、俺笑うかもしれねぇ」
「酷いな。君を想う私に対して」
また来ると、それが最後の言葉だった。


大佐の言う想うと、俺の想うっていうのは違うとわかっているけれど、やはり嬉しい。ロイがいなくなれば、また一人だ。部屋には静寂が戻り、扉の方から看護師の声が、かすかに聞こえる。
もしかしてこれが報償だったらどうしようかと思いながらも、ロイの持って来てくれたキャラメルを、口にほおばった。
名誉の負傷まで負ったわけだし、ここは情報の一つでもねだろうと考えていたのに。こんな少しの菓子で許すと思ってもらっては困る。だったら受け取るのを拒否した方が、よかったのだろうか。
大佐に、こんなもんで俺は騙されねぇからって言うべきだっただろうか?でも大佐が勝手に置いていったんだ。食べてもいいはず。
それにこのキャラメルは相当うまい。口の中に甘い味が広がり、負った傷の痛みが和らぐような気がした。


これくらいの傷なら、後数日で退院できるはずだ。また来るとロイは言ったけれど、俺が大佐に逢いに行く。ここを出て、大佐に報告に行くついで、この菓子をどこの店で買ったか聞いてみるとしよう。
そしてアルが戻ったら食べさせてやるんだ。食べたいものリストに加えておかなけりゃいけない。


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