ウロボロス
その日、俺は姉に頼まれて姉のテニスサークル仲間と一緒にテニスコートに立っていた。
どうしてこうなったのかと言えば、姉が大学で"弟自慢"をしたのがそもそもの発端だろう。
立海の中等部が全国大会で二連覇した事はテニス関係者の間では有名な話だったし、そのせいで注目を集め今年は雑誌にも大きく取り上げられて俺達の顔も名前も知れ渡っていた。
その噂を聞きつけた姉のサークル仲間が是非俺にコーチをして欲しいと姉に頼み込み、姉の熱意に負けて数日間特別コーチを務める事になったのだ。
面倒な話ではあったが避暑地で涼めるのならそう悪くはないし、真田の暑苦しい顔を見ながら灼熱地獄の中で走り込みをするよりはよっぽどマシだ。
相手は大学生だし、コーチと言っても簡単なアドバイスをするくらいで本格的な指導をする訳じゃない。
避暑の合間にバイトをするくらいなら良いだろうと、俺は姉の旅行につき合う事になった。
……その事件が起きたのは二日目の夜だった。
姉の友人の一人がインターネットで見つけたという"おまじない"をやらないかと提案し、サークル仲間ではない俺も強引に巻き込まれて参加する事になってしまった。
それというのも、そのおまじないを掲載していたブログが冴之木七星という女子高生霊能力者で、彼女が弟子入りしている作家が怪奇小説家の鬼碑忌コウだったのだ。
オカルト好きの姉は彼の著作は勿論、雑誌に掲載されている記事さえ後生大事に保管しているほど熱狂的なファンだった。
その為、何の疑いもなくおまじないに参加し、そしてあの"事件"が起きた。
気がついたら俺は見た事もない木造校舎の教室にいた。
壁に貼られた古びたプリントには"天神小学校"の文字と、俺が生まれるずっと前の日付が記されている。
窓から見える景色は霧に包まれた深い森。
そこが現実ではあり得ない異様な場所だという事はすぐにわかった。
それからはもう地獄だった。
目につくのは明らかに殺害されたとわかる無惨な死体ばかり。
鈍器を持った大男に生者への怨みが暴走して牙を向く子供の幽霊……。
死への恐怖と怨念が渦巻くその場所で、出口を探すどころか正気を保っている事さえ難しかった。
どこまで行っても闇からは逃れられない。
つかの間の安息もすぐに断末魔によって打ち消されて、迷い込んだ人間は次々と魔物の餌食になっていった。
……正直に言えば、俺はあまり"生きること"に対してそれほど執着していなかった。
別に社会に不満がある訳でも、家庭環境に問題がある訳でもない。
ただ自分が酷く曖昧で、仁王雅治という存在にそれほど価値があるようには思えなかった。
だからたとえここで息絶えようとも、それが俺の運命だったのだと素直に受け入れるつもりでいた。
幸村達との約束を破るのはまあ多少心苦しくもあるが、俺の代わりなんて幾らでもいる。
レギュラーが一人抜けたところで、王者立海なら候補なんてすぐに見つかる。
ただ姉だけは、この地獄から救い出してやりたかった。
誰よりも聡明で気高い姉に、見るも無残な肉塊に成り果てる運命など似合わない。
別に贅沢を言うつもりはないが、好きなように生きて自分の思うがままの人生を歩んで欲しかった。
姉のサークル仲間は全員死亡し、残ったのは俺と姉の二人だけだった。
迫り来る闇から逃れるように、あるいは悪魔によって導かれるがままに、俺達は地下防空壕へ足を踏み入れていた。
この異様な空間に出口などある訳がない。
そんなわかりきっている事実を、どうしても受け入れられずに俺達は足掻き続けた。
悪魔が描いたシナリオを打ち破る事はできなくても、難癖をつけて貶すくらいの事はしてやりたかった。
……姉は死んだ。
何度も胸をメッタ刺しにされて、気づいた時にはもう息をしていなかった。
姉を殺した犯人を俺は憎んだ。
ここから一生出られないのだとしても、犯人を見つけて復讐してやると誓った。
地下防空壕の奥にある坑道。
その中で見つけた女子高生の死体。
その死体が握り締めていた"鏡"を見るまでは。
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