インペリアル

生徒会室の壁に背を預けながら赤也は必死に自分を宥めていた。

少しでも気を抜くとソファーに座ってお喋りをしている二人の会話が耳に入り苛立ちが増してしまう。

ただ待っているだけというのも性に合わないのだが、単独行動は危険だし、そもそもユキを哲志と二人っきりにしたら何をするかわかったものではない。

ユキはすっかり穏やかな哲志の事を信用しているようだし、体の弱いユキをこれ以上無意味に連れ回すのも本意ではない。

「……ったく、何してんだよ」

半分八つ当たりだとわかっていても、ついブン太達に対する愚痴がこぼれてしまう。

あれっきり宍戸と鳳も姿を見せないし、電話ですぐに行くと言った割にはブン太達も遅い。

まあ単純に校舎内で道に迷っているだけなのかもしれないが。

赤也とて氷帝学園に詳しいユキがいなければ生徒会室の場所などすぐに忘れてしまっただろう。

だがブン太やジャッカルはともかく、宍戸と鳳は氷帝の生徒だ。

校舎内で道に迷うとは思えないのだが……。

それにさっきから妙に引っ掛かっている事がある。

それが何なのか、考え込んでもどうしてもわからない。

静かな場所で一人で考えればすぐに思いつくのかもしれないが、二人の会話が耳に飛び込んで来る度に苛立ちが増して、今まで考えていた事がすっぽり頭から抜けてしまうのだ。

「くそっ、俺よりあんな怪しい奴の方が信用できるってのかよ」

哲志が年上という事もあり、強く言い出せなかったのは仕方がないと思う。

だがお人好し過ぎるユキにも責任はあると思う。

「はあ……」

深いため息をついて赤也はぼうっと天井を見上げた。

わかっている。

これは単なる嫉妬だ。

哲志が怪しいというのは本音だが、今感じている苛立ちはそれとは全く関係がない。

相手が誰であれきっと同じように苛立ちを感じていただろう。

同じクラスになってユキと話すようになって、いつの間にか周りも認める大親友になっていた。

もともとあまり人見知りしない性格ではあるが、四六時中一緒にいれば飽きてしまう。

だがユキだけは何故かずっと一緒にいたいと思ってしまう。

テニスが好きだという事以外、ユキとはまるで共通点がないし趣味だって違う。

それでも一緒にいて苦痛を感じた事は一度もないし、ユキの事をもっと知りたいと思っている。

そして、それと同じくらいユキに自分の事を知ってもらいたいと思っている。

……正直に自分の気持ちを伝えられたら、きっとこんなに悩んだりはしないのだろう。

告白してフラれたら、それはそれでショックだが、いつまでもウジウジ悩んでいるよりよっぽどマシだ。

だが自分はそれでいいとしても、告白されたユキはどう思うのだろう。

両想いならいいが、そうでなければユキはきっと罪悪感を抱くだろう。

いつも他人の事を気遣ってばかりいる優しいユキは、自分が思う以上に悩み苦しむだろう。

自分の勝手な気持ちでユキを困らせるのは本意ではないし、今の関係だってそう悪いとは思わない。

ただもう少し側にいたいと思うだけ。

困った時は一番に頼って欲しいし、楽しい事も嫌な事も共有できたらいいと思ってしまう。

でもそれはやっぱり自分の一方的な感情であって、ユキが望む事ではないのだろう。

数日前からずっとユキは一人で悩んでいる。

近くにいればそれくらいわかる。

いつもなら真っ先に相談してくれるし、答えが見つからなくても一緒に悩んで迷ってあげられる。

それが自分達の関係で、自分とユキの距離感だった。

でも今は、どんなに近くにいてもずっと遠くにいるような気がする。

手を伸ばせば届く距離なのに、心だけは絶対に重なる事がない。

それが例えようもなく寂しいのだ。

「……」

とうとう耐え切れなくなって、赤也はトイレに行くと言って生徒会室を出てしまった。

すぐに後悔が押し寄せるが今更後には引けない。

かと言って生徒会室を離れるのは危険過ぎる。

もしあゆみのように哲志が突然豹変してユキに襲い掛かったら助けられるのは自分しかいない。

「……何やってんだろうな、俺」

ぼやきながら何をするでもなく扉に背を預けたまま腕組みをして待つ。

数分ここで時間を潰して部屋に入れば怪しまれる事はないだろう。

暗い廊下とは言え、二人の会話はほとんど耳に入らないので気分転換にもなる。

「そういやさっき引っ掛かったの何だったっけ……なーんか違和感あったんだよなあ」

首を傾げながら考え込んでいると、不意にあゆみの鬼のような形相が頭に浮かんだ。

ユキに訳のわからない事を叫びながら襲い掛かっていたが、あの時確かに誰かの名前を呼んでいたような気がする。

「何だっけ……うーん……何か痴話喧嘩みたいだったよな。ユキの事も泥棒猫とか言ってたし」

あゆみの衝撃的な最期を目撃してしまったせいか脳が拒否して記憶が曖昧だが、恋人の名前でも叫んでいたのだろうか。

「もうちょっとで思い出せそうなんだけど……つーかなんでそんなのが引っ掛かるんだ?」

考えれば考えるほどわからなくなっていく。

それでも他にやる事がないのでじっと考え込んでいると、ふっと一つの名前が頭を過ぎった。

「"持田"……そうだ、あいつ確かに持田って言ってた……」

何度も頭の中であゆみの声を再生する。

薄暗い美術室で何かに取り憑かれたようにあゆみは叫び続けていた。

「持田君って言ってたよな……それってやっぱりあいつの事なんじゃ……」

そう思って顔を上げた瞬間、目の前を何かが過ぎった。

「うぐっ……!」

視界が揺れて体に鋭い痛みが走る。

静電気が走ったように指先が痺れて赤也は冷たい床の上に倒れ込んだ。

「!」

叫ぼうとした名前は声にならないまま意識の水底へと消えていった……。

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