アイジョウ

幸村達が武道場で襲撃を受けていた頃、ユキと赤也は宍戸、鳳と共に地下の渡り廊下まで来ていた。

生徒会室で受けた電話によれば、ブン太とジャッカルがパソコン実習室もしくはPCルームにいるらしい。

二人のいる場所が氷帝学園だと決まった訳ではないが、可能性がある以上放って置く訳にはいかない。

パソコン実習室は南棟の地下にあるので、カフェテリア前の渡り廊下から南棟へ渡ろうとしたのだが、渡り廊下は防火扉によって完全に分断されていた。

「くそ、ダメだ。レバーが動かせねえ」

「まさか氷で固めてあるなんて……」

「セメントじゃないだけマシかもしれません。これは氷が溶けるまで待つしかなさそうですね」

「誰だよ、こんな事した奴!」

「デスゲームとかいうふざけた放送してた奴だろ。……それより、どうする?ここで待ってても当分溶けそうにねえぞ」

宍戸の言葉に鳳も頷き、四人は防火扉の前で話し合った。

その結果、二手に分かれて校舎の探索をする事にした。

「じゃあ三階と四階は俺と長太郎が調べる。下は任せたぜ」

「うん、わかった。二人共、気をつけてね」

「ユキさんも気をつけてください」

階段へ向かう宍戸と鳳を見送って、ユキと赤也はカフェテリアの探索を始めた。

「バーナーとかあれば氷を溶かせそうだけど、さすがにカフェテリアには置いてないかな……」

「こっちが厨房か?」

カウンターの奥にある厨房を調べてみるが、氷を溶かせそうな物は見つからなかった。

代わりに折りたたみ式の果物用ナイフを見つけたので一本拝借して赤也はそれをポケットに入れた。

「他に使えそうな物はねえな」

「隣は図書室だけど行ってみる?」

カフェテリアから西へ進むと、ずらりと本が並んだ図書室になっていた。

本棚の奥には机と椅子が並んだ閲覧スペースと、一つ一つ仕切りで区切られた自習室がある。

「んー……何もねえなあ」

本棚の間を歩きながら辺りを見回していた赤也は、曲がり角で何かにぶつかり慌てて懐中電灯を持ち直した。

「悪い!よそ見して……え?」

「痛た……」

ぶつかったのはユキかと思ったのだが、そこにいたのは見慣れぬ女子生徒だった。

赤也にぶつかった女子生徒も明かりのついたロウソクを手にしながら驚いている。

「あ……良かった。やっぱり他にも人がいたんだ」

「その制服、氷帝じゃないよな?あんたもここに閉じ込められたのか?」

「うん、気がついたらここにいて……。私は如月学園高等部の篠崎あゆみ。あなたは?」

「俺は立海大附属中2年の切原赤也っス」

「よろしくね。……切原君も友達とはぐれたの?」

「いや、はぐれたっつーか……もしかしたらここに先輩達がいるかもしれなくて」

「そっか……じゃあ一緒に捜さない?私もクラスメートとここに来てはぐれちゃったんだ」

「いいっスよ」

赤也が同意した時、そこへユキが通り掛かった。

女子生徒を見て驚いていたが、すぐにほっとしたように笑みを浮かべる。

「赤也、その人は?」

「ああ、さっき会って……」

「……」

赤也が説明している間もあゆみは何故かじっとユキを見つめていた。

ユキが状況を理解して自己紹介をすると、あゆみは握手をしようと差し出された手に思いきり何かを突き刺した。

「ヒッっ!痛っ!!」

「ユキ!?」

白い掌には一センチ程の刺し傷ができている。

すぐに赤い血が溢れ出してシャツへとこぼれ落ちた。

「てめえ何しやがんだ!!」

激昂した赤也があゆみを突き飛ばすが、あゆみは彫刻刀を握り締めたまま再びユキに襲い掛かった。

「この泥棒猫!!さっさと"持田君"から離れなさいよ!!」

「痛っ!や、やめてっ」

髪の毛を鷲掴みにされてユキは痛みに顔を歪める。

すぐさま赤也が割って入ってユキを背中に庇うが、あゆみは鬼の形相でユキを睨みつけていた。

「な、何なんだよ、お前……っ」

「どうしてそんな女を庇うの?その女は私から持田君を奪おうとしてるのに……!」

「はあ!?誰だよそれ……そんな奴知ら」

「殺してやる!!」

「!」

再び襲い掛かって来るあゆみを突き飛ばして赤也はユキの手を掴んで逃げ出した。

「ユキ、とにかく逃げるぞ!」

「う、うん!」

血塗れの手を庇うように胸元に引き寄せてユキは頷いた。

そのまま図書室を出て階段を駆け上がりトイレの前を通過すると、赤也は近くにあった教室に飛び込んで懐中電灯の明かりを消した。

「お前はそこのロッカーの中に隠れろ!」

「赤也は?」

「俺は机の下に隠れる!」

それぞれ暗闇に身を潜めると、足音が近づいて来て教室の扉が開かれた。

「持田君どこ〜……出て来てよ……私と一緒に帰りましょう?」

闇の中にぼんやりとロウソクの明かりが浮かび上がる。

人魂のようにふらふらと彷徨い、そしてロッカーの前で止まった。

「あれ〜、なんかこの辺すっごく臭ーい。お肉が腐ったような臭いがする……」

「っ……」

ロッカーの中に隠れたユキは手の痛みも忘れて息を殺すが、あゆみはクスクスと笑って彫刻刀でロッカーの扉を叩いた。

「そっかあ。汚い雌豚の臭いがするんだあ。ちゃんとお風呂入ってるー?ふふふ」

あゆみは歪んだ笑みを浮かべると突然ロッカーの扉を蹴り始めた。

「この汚い泥棒猫!雌豚!あんたなんか要らないのよ!!」

「っ……」

「どうしてあんたが持田君と一緒にいるの!?どうして私じゃないの!?あんたは邪魔なの!消えてくれる?」

何度も何度もロッカーを蹴りながらあゆみは怒りをぶつけるように叫び続けた。

「はあ……はあ……っ」

あゆみが肩で息をしながらふと視線を下に向けると、足元に何かが落ちていた。

拾い上げてロウソクの明かりで照らしてみると、それは綺麗なバレッタだった。

一目で高級品とわかる上品な作りに美しい彩色。

慌ててロッカーに隠れた時にユキが落とした髪留めだった。

「あ……!」

「!」

思わず上げてしまった声に驚いて口元を押さえるがもう遅かった。

「……ふふふ、そっかあ。これ……"中嶋さん"のなんだあ」

あゆみは汚い物でも持つように指先でバレッタをつまむと、ロッカーの隙間から見える位置まで持ち上げて口元に笑みを浮かべた。

「ねえ、これどうすればいい?捨てちゃっていいかなあ?」

「っ……」

暗いロッカーの中でユキの目が不安に揺れる。

あゆみが持っているバレッタは、兄・景吾からのプレゼントだった。

入院中に兄から贈られた物で、ユキが好きな不思議の国のアリスをモチーフに作られた、世界で一つだけの髪飾りだった。

生まれつき病弱で満足に出歩く事もできなかったユキは、不思議の国を冒険する少女に憧れて、いつかアリスのように自分の知らない世界を冒険してみたいと思うようになった。

それを知った兄が命に関わる大きな手術を控えていた妹に、このバレッタをプレゼントしたのだ。

妹の夢が叶うように。

絶望に囚われず、希望だけを見ていられるように。

手術が成功し学校に通えるようになった今でも、アリスのバレッタはユキにとって希望の象徴のような物だった。

自分に生きる意味をくれた兄の大きな愛を感じられる大切な贈り物。

それを失う事は自分の体を切られるより辛い事だった。

「返事がないなあ。じゃあ捨てちゃっていいよね?汚いし」

「!」

あゆみがバレッタを握り締めて手を振り上げる。

床に叩きつけるつもりなのだとすぐにわかった。

「やめて!!」

命を狙われている事も忘れてロッカーからユキが飛び出すが間に合わない。

「!」

もうダメかと思ったその時、あゆみの手が宙で止まった。

「いい加減にしろよ」

「!」

闇の中で赤也があゆみの腕を掴んでいた。

机の下に隠れていた赤也は、ユキより一瞬早く飛び出してあゆみの腕を掴んだのだろう。

同じクラスでユキと仲が良い赤也は、シスコンキングとあだ名されるほど妹を可愛がっている跡部と仲が悪かった。

練習試合で顔を合わせても犬猿の仲と言われるほど喧嘩ばかりしていた。

だがユキが兄からプレゼントされたバレッタをどれほど大事にしているのか良く知っているし、跡部兄妹が傍から見ればカップルに見えるほど仲が良い事も知っている。

嫉妬心がないと言えば嘘になるが、だからと言って見過ごす事はできない。

「赤也……っ」

ユキが今にも泣きそうな表情で赤也を見上げる。

それがよりいっそうあゆみの気持ちを逆なでした。

「離して!」

「うわっ!」

あゆみは彫刻刀を振り回して赤也の手を振り解くと、握り締めたバレッタを廊下の方へ放り投げた。

「くそっ!」

とっさに赤也が床を蹴って落下するバレッタの下に滑り込むが、それこそがあゆみの作戦だった。

「死ね!!」

「!」

赤也が離れた隙を狙ってあゆみが無防備なユキに彫刻刀を振りかざす。

だがその刃がユキを切り裂く前に、後ろにあった棚に足がぶつかって上に乗っていた石膏像が大きく傾いた。

「あ!」

ユキが気づいた時にはもう目の前からあゆみの姿が消えていた。

ガシャン!という大きな物音と共にあゆみの体は床に叩きつけられ、彫刻刀を握り締めた腕だけを残して棚に押し潰されていた。

「あ……うそ……そんな……っ」

目の前で起きた出来事が信じられず、ユキは真っ青な顔でふらふらと尻餅をつく。

赤也が駆け寄って来て何か叫んでいても、ユキの耳には何も入らなかった……。

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