二話目:旧校舎の鏡
では次は俺が話そう。
俺は柳蓮二、3年だ。
例の旧校舎が取り壊されるのは残念だが、老朽化したまま放置して置くのは危険だからな……仕方ない。
あの旧校舎には何度も足を運んだが行く度に新しい発見がある。
まるで情報の宝庫だな。
今にも崩れそうなあの校舎がこれほど興味深い存在になろうとは俺も思っていなかった。
もうだいぶ前から老朽化が進んで倉庫としても使われなくなっていたし、いずれ取り壊されるだろうと特に気にも留めていなかった。
だがあの日、俺はそれまでの自分の常識が覆される決定的瞬間に立ち会い、それからあの旧校舎によく足を運ぶようになった。
今ではもっと早く気づくべきだったと後悔している。
……と、前置きが長くなってしまったな。
すまない、俺の悪い癖だ。
ではその時の話をしよう。
ある日俺はクラスメートの吉岡という男子生徒に声を掛けられた。
吉岡とは特別親しい間柄という訳ではない。
まともに話したのもあの時が初めてだったような気もする。
そんな吉岡が唐突に俺に相談したい事があると言って来た。
丁度部活も終わって暇を持て余していたからな。
話だけでも聞こうと俺は承諾し、人気のない場所で吉岡の悩みを聞いた。
その悩みというのは吉岡が交際している目黒啓子という女子生徒に関する事だった。
何でも旧校舎の踊り場の鏡には、不思議な伝説があるらしい。
夜中の三時三十三分三十三秒に鏡に両手を合わせると、異次元の世界へ行けると。
無論、夜中の学校に忍び込む者などいない。
それに、たとえ異次元に行ったとしても帰って来られる保証もない。
だから試す者など誰もおらず、ただの怖い噂として一部に語り継がれていたらしい。
ところが、話を聞いてみると、どうも彼女はそれを試したようだ。
ある日吉岡は彼女に打ち明けられたそうだ。
「学校に来てもおもしろくない。家では、両親がケンカばかりしてる。だから、あの伝説が本当だったら、異次元の世界に行きたい」と。
家庭の悩みなど色々抱え込んでいたのだろう。
そして彼女は吉岡に言ったそうだ。
「もし吉岡君が私のことを愛しているのなら、一緒に異次元に行ってくれる?」
吉岡は、迷わず答えた。
彼女は、とても喜んでいたそうだ。
それで二人は夜中の学校に忍び込んだんだ。
まるで、駆け落ちでもするかのように。
逃亡する先が最果ての地ではなく異次元ではあるが。
二人は、少しも怖くなかった。
むしろ希望に満ちていたらしい。
刻々と、その時が迫って来る。
チャンスは一度しかない。
三時三十三分三十三秒丁度を逃すと、異次元には行けないのだから緊張もするだろう。
そしてついに、運命の時が来た。
二人はその瞬間、鏡に両手をついた。
……ところが。
吉岡は、僅かにタイミングを外してしまったようだ。
吉岡の見ている前で、彼女の姿が霧のように薄らいで鏡の中に吸い込まれた。
後には吉岡一人が取り残され、呼べど叫べど返事はない。
鏡にも自分の姿しか映らない。
これが夢であってくれと、吉岡は願った。
だが現実は違った。
次の日から、目黒啓子はいなくなった。
それからというもの、吉岡は毎晩学校に忍び込んでその鏡の前に立ち、時間になると鏡に手をついていたと言う。
それでも微妙にタイミングがずれるのか、何度やっても一度も成功しないらしい。
それで悩んだ末、誰かに手伝ってほしくて俺に相談したと言うんだ。
目黒という女子生徒がいなくなった事は俺も知っていた。
クラスは違うがそういう話はどこからともなく広がっていくものだ。
けれど、鏡に吸い込まれたという話は聞かなかった。
行方不明だとか、家出したとか、登校拒否になったとか、事情を知らない者達は好き勝手に噂していたが。
俺は正直に言うと吉岡の話を信じてはいなかった。
恋人が急にいなくなって精神が不安定になっているのだろうと思っていた。
しかし吉岡は、
「頼むよ。僕、どうしても目黒さんに会いたいんだ。きっと、一人で寂しがってるよ。僕が行くのを、ずっと楽しみに待ってるはずだよ。助けてくれよ」
と、そう今にも泣きそうな顔で何度も懇願した。
冷静な判断力を失っている状態では幾ら説得しても時間の無駄だろう。
これは一度目の前で伝説を試して、それが不可能である事を証明するしかない。
そう思った俺は吉岡と放課後に会う約束をした。
吉岡は嬉しそうに笑っていたな。
そういえば、あいつの笑った顔はあの時初めて見たような気がする。
最初で最後の、あいつの笑顔だ。
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