15.触れてはならぬもの

――それは突然の出来事だった。

その日は雨で来週の予定に関するミーティングをブン太達としていた。

最初に異変に気づいたのはユキと柳だった。

昼休みとは言え、やけに廊下が騒がしいと柳生がドアを開けると、そこには想像を絶する地獄が広がっていた。

一体何が起きているのか……正確に把握できた者はいないだろう。

ただとんでもない異常事態が起きている事はわかった。

流されるままに迫り来る暴徒達から逃げて逃げて逃げまくって、俺達は1号館の2階にある図書室に立て籠もった。

その時にはまだ他にも逃げて来た教師や生徒達がいて、俺達も困惑しながら立ち竦んでいた。

――北門から逃げよう。

そう言い出したのは誰だったのか、よく覚えていない。

その場にいた半数くらいが賛成し、残りは恐怖心から動けなかった。

俺達も話し合ったが当然意見は割れた。

今出て行くのは危険だと主張する幸村やジャッカルに対し、柳や真田は今を逃せば脱出の機会を失うと主張した。

結局最後は幸村が折れて俺達は一階へと向かった。

でもそれは最悪の選択だった。

校内を徘徊する"ゾンビ"を避けながら学校を出て北門へ向かうと、外はもう戦場より酷い状態だった。

人が人を襲い凶暴化した犬や猫が町中を駆けずり回る。

一緒に図書室を出た教師や生徒のほとんどがその餌食となって俺達はまたすぐ学校に逃げ込む事になった。

その後の事は俺もよく覚えていない。

誰かがもう逃げるのは無理だ救助を待とう、と言い出してそれっきりになった。

「おーい、仁王。今日の掃除当番、お前だろぃ」

屋上でぼうっと空を眺めていた俺はブン太の声で我に返った。

「やっぱこんな所でサボってたのかよ。図書室広いんだからユキ一人にやらせんな」

「そういうお前さんもサボりに来たんか?」

「んな訳ねぇだろ。俺は夕食の為の食材を取りに来たんだよ!」

そう言ってブン太は庭園の方へと向かう。

園芸部不在となった今、庭園の片隅で育てられていた芋や人参などの野菜は俺達の貴重な食料源になっている。

校内にある非常用の乾パンなどは確保してあるが、あれでは味気もないし何より栄養不足が心配だ。

普段通りの食事は難しいかもしれないが、野菜が無事だったのは幸運と言えるだろう。

屋上に太陽光発電システム――いわゆるソーラーパネルが設置されていたのも幸運だった。

俺達はそれぞれ役割分担をして図書室を寝床に生活している。

最初は戸惑う事ばかりだったが、夏休み前の合宿だと思えば幾らか気が楽になるし、気の知れた仲間と一緒に生活するのは案外悪くないものだ。

人に合わせるのは苦手な方だが、学校生活の延長線上だと思えば仕方ないと割り切る事もできる。

「今日の夕食は何じゃ?」

「カレー。言っとくけどレンチンじゃないぜ?幸村君がルーを見つけてくれてさ。玉ねぎはないけど人参もじゃがいももあるし、腹いっぱい食えそうだ」

幸村君……か。

喉元に何かが引っ掛かるような気持ち悪さを感じるが、今ここでブン太と押し問答を続けても仕方がない。

「それは楽しみじゃ。なら少しは頑張るかのぅ」

「おー、頑張れ。つーか早く行ってやれよ!」

ブン太に促されるまま俺は屋上を後にし図書室へと向かった。

「待たせたぜよ」

「あ、仁王!もうっ、心配してたんだよ?どこにいたの?」

図書室に入った途端、ほうきを手にしたユキが子犬のように駆け寄って来るのを見て無意識の内に笑みが浮かんだ。

外は最悪の状況でもこうしているといつもの日常に戻ったような気分になる。

「あのね、向こうにある本棚を動かしてほしいの。中の本は全部出して置いたから、端っこに寄せるの手伝ってくれる?」

「了解」

新しく導入された本棚は全てハンドル式スタックランナーなので非力なユキでも動かす事ができるが、旧校舎から移動された本棚は昔のままなので空っぽでも結構な重量がある。

俺一人でも動かせるがお人好しのジャッカルが手伝ってくれた事もあり、掃除はあっという間に終わった。

「うん、だいぶ広くなったね!」

「助かったぜ。もう寝惚けた赤也に頭を蹴られるのは勘弁だからな」

少しずつスペースを広げていく内に図書室の中はまるで小さなキャンプ場に変わっていった。

快適とまではいかないものの、生活するには申し分ない空間だ。

調理場が2号館の理科室を代用しなくてはならないのは不便だが、一階に下りるリスクを考えれば文句は言えないだろう。

「そう言えば、昨日幸村君と何を話してたの?」

不意にユキがそう俺に尋ねた。

「昨日?」

「夜に何か話してたでしょ?二人共、暗い顔して……喧嘩でもしてるのかと思って」

「……」

また"幸村"か。

その名前を聞かない日はない。

誰と会話していても、常に幸村の存在がちらついて複雑な気分になる。

別に幸村に対して嫌悪感を抱いている訳ではないが、どうにも苛ついてしまう。

「ねえ、何を話してたの?本当に喧嘩してたの?」

心配そうな顔で詰め寄るユキの頭に手を置いて俺は適当に誤魔化した。

「何もないぜよ。そんな事より昨日見つけたダンボールには何が入ってたんじゃ?」

「あ!あのダンボール、缶詰がいっぱい入ってたの!結構色んな種類があって……」

楽しそうに話すユキを見て俺は安堵する。

つかの間の日常でも俺にとっては必要なものだ。

だから今はまだ壊す訳にはいかない。


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