08.呪

その日、幸村は後輩の赤也を連れて合宿所へ続く山道を歩いていた。

山道と言ってもきちんと整備されているので、歩くのにそれほど苦労はしない。

周りは自然に囲まれ民家もなく、空気の澄んだとても静かな場所だった。

用事があって麓の管理小屋まで下りていたが、真田達もそろそろランニングから帰って来る頃だろう。

合宿所に戻ったら次のステップへ移ろうと考えながら歩いていると、不意に猫の鳴き声が聞こえた。

足を止めて辺りを見回すがそれらしき姿は無い。

「幸村部長、どうしたんスか?」

「今、猫の鳴き声がしたような気がして……」

そう言い掛けたところでまた声がした。

今度は赤也にも聞こえたようできょろきょろと辺りを見回している。

「あ!また鳴いてる!」

「この声……子猫かな?」

弱々しい声が草むらの奥から度々聞こえて来る。

親猫とはぐれてしまったのか、それとも何らかのトラブルが起きたのか、何だか助けを求めているように聞こえる。

「……ちょっと様子を見に行ってみようか?何なら先に戻ってくれて構わないけど」

「部長だけ置いてったら俺が先輩達に怒られますって」

そう言って赤也は草むらをかき分けながらズンズン奥へと進んで行く。

その間も子猫の鳴き声は止まず、近づくにつれて少しずつ大きくなっていった。

「あれ?聞こえなくなっちまった……」

草むらに入って五分程経った時、突然子猫の声が聞こえなくなってしまった。

辺りを見回しても伸びきった雑草に阻まれて子猫の姿は確認できない。

「この辺りだと思うけど……」

二人で手分けして草むらの中を探っていると、ふと赤也が何かに気づいて前方を指差した。

「幸村部長!あれ!」

「!」

赤也が示した方向には古い洋館があった。

だいぶ前から放置されているのか、洋館の周りは荒れ放題で建物自体も相当ガタがきている。

こんな所に洋館があるのは驚きだが、それ以上に気掛かりだったのはその建物の裏から聞こえて来るこの鳴き声だった。

一段低くなった雑草を踏み荒らしながら洋館の裏へ回ると、元は裏庭だったと思われるそこに子猫の姿があった。

どうやって登ったのかはわからないが、池の中央にある大きな木の枝に震えながらしがみついている。

子猫の軽い体重では枝が折れる心配はなさそうだが、この高さでは当然手は届かない。

おまけに子猫のいる木を取り囲む池は長年放置されているだけあって、かなり濁っている。

池の深さもわからないし、むやみに足を入れたりすれば虫などに噛まれるかもしれない。

池の淵から子猫のいる木までは二メートル近くあるので、ジャンプする訳にもいかないだろう。

「これは……困ったな。ここからじゃ助けられそうにない」

「あの窓から手伸ばせば届くんじゃないっスか?」

そう言って赤也が指差したのは、子猫のいる枝の近くにある洋館の窓だった。

もしかしたら子猫はあの窓から枝に乗り移ったのだろうか?

しかし乗ってはみたものの、今度は高さが怖くなって動けなくなってしまったのかもしれない。

「確かにあの窓からなら救出できそうだけど……勝手に入るのはダメだよ」

「少しくらい大丈夫ですって!ここどう見ても廃屋だし、別に何も盗んだりしませんって」

幸村も別に赤也が盗みを働くとは思っていないが、長年放置されている建物はそれだけでかなりの危険を伴う。

不審人物がいないという保証もない。

しかし細い枝の上で震えている子猫を見ると、このまま放って帰る気にはなれない。

「……仕方ないな。子猫を助けたらすぐに出よう」

幸村の了承を得られた赤也は意気揚々と玄関へと向かった。

鍵が開いているとは思えないが、一階の窓には割れているものも多いので最悪そこから中へ入れるだろう。

泥棒みたいであまり気は進まないが、子猫の命が掛かっている以上仕方がない。

幸村はため息をついて赤也の背中を追い掛けた。


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