第八章 罪悪
「うぅ……あれ、ここ……」
意識を取り戻した千石は、辺りを見回してがっくりと肩を落とした。
「はあ……こっちが夢だったら良かったのになぁ」
まだ痛む頭を押さえながら立ち上がると、そこは窓が板と釘で打ちつけられた廊下だった。
地震の後、忍足、さやかと共に出口を捜していた時、斧を持った黒服の男に襲われた。
逃げるのに必死で足元の注意を怠った結果、どうやら腐っていた床に気づかず踏み抜き一階まで落ちてしまったようだ。
気絶している間に殺人鬼に見つからなかったのは不幸中の幸いか……。
「とにかく忍足君達と合流しなきゃ。ニ階に戻ってみようかな」
そう思い階段へと向かったのだが、先程まで何ともなかった階段にはまるで蜘蛛の巣のようにワイヤーが張り巡らされ通行できなくなっていた。
ワイヤーは指先で少し触れるだけで皮膚が切り裂かれるほど鋭い。
「これ……明らかに罠だよね?誰がこんな事を……」
見知らぬ誰かの悪意が見え隠れして気持ちが悪くなる。
だが一番の問題は、この階段が使えないと二階に上れない事だ。
反対側の廊下の奥にも階段はあるが、そちらは途中から完全に崩れ落ちていて上る事はできない。
「どうしよう……。ケータイも通じないし。……というか、そもそも忍足君の電話番号知らないや」
携帯電話の画面には相変わらず圏外の文字が表示され、電池ももう三十パーセントを切っている。
ミーティングルームで確認した時はまだ七十パーセントくらいはあったので、ここに来てからもうずいぶんと時間が経っているようだ。
時計が止まったままなので、正確な時間まではわからないが……。
「うーん……ん?」
階段の下で腕組みをしながら考え込んでいると、ふと廊下の奥にある扉が目に入った。
「あれ?あそこに扉なんてあったっけ?」
思い出そうとしても頭を打ったせいか、記憶がぼんやりしていて思い出せない。
気になった千石は廊下のつきあたりにある扉を開けてみる事にした。
また罠があると怖いので慎重に扉を開けるが、特に危険な物は見当たらない。
意を決して中に入ると、そこは更衣室だった。
「ロッカーが並んでるって事は……もしかしてここって更衣室?だったらあの奥に……」
部屋の奥にある扉を開けると、思った通り、そこはプールになっていた。
周囲は柵に囲まれているが上れない高さではない。
さやかはどうかわからないが、忍足なら問題なく乗り越えられるだろう。
「ここから出られそうだけど……学校の外ってこんな風になってたんだ。これじゃ道に迷っちゃいそう」
先程まで雨の音がしていたが雨は降っておらず、学校の周囲は深い森に包まれていた。
小学校なのだから人の通れる道は必ずどこかにあるだろうが、ここからは確認できそうにない。
しかし殺人鬼がうろつく校舎に留まるよりは安全だろう。
「それにしても……」
プールに視線を向けた千石は、これ以上ないほど顔をしかめて口を手で覆った。
水の張られたプールには幾つもの死体が浮かび、血と汚物が混ざりあった水はどす黒く変色している。
プール内には異臭が漂い、プールサイドにも人間の腕や指が転がっていたりする。
だがもはや死体を見過ぎて感覚が麻痺したのか何も感じない。
「どこかに綺麗な水は無いのかな……」
死体だらけのプールから視線を逸らしプールサイドを探索すると、水飲み場があった。
蛇口をひねってみたが水は出ない。
だが排水溝が詰まっているのか、雨水が溜まっていた。
多少濁ってはいるが手を洗う分には問題なさそうだ。
「はあ……やっと洗えた。あの地下室にはもう行きたくないよ」
汚れた手と服を洗って千石は更衣室へ戻ろうとした。
ところが、更衣室の扉の側には先程まではいなかった小学生くらいの男の子がいた。
扉の側にあるベンチに座ってうつむいているようだ。
「……また、あの子だ」
気を失う前にも何度か見かけた顔だった。
忍足やさやかは気づいていないようだったので何も言わなかったが、校舎の探索中、度々子供の霊を目撃していた。
凄まじく嫌な予感がするので目を合わせないようにして過ぎ去るのが精一杯だったが、これほど至近距離で見るのは初めてだ。
「平常心、平常心。フツーにしてれば大丈夫」
自分に言い聞かせながら扉に近づき更衣室に入ると、千石は深く息を吐いて肩の力を抜いた。
が、その時だった。
「うわぁああ!」
突然誰かに肩を掴まれて千石は悲鳴を上げた。
そのまま腰を抜かして床に尻餅をつくと、頭上から呆れたようなため息が聞こえて来た。
「耳元で騒ぐんじゃねぇ。忍足はどこだ?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには不機嫌そうな跡部がいた。
どこかで拾ったのか、右手には真新しい懐中電灯が握られている。
「あ、跡部君!?良かったぁ〜。というか脅かさないでよ!」
「てめぇが勝手にビビっただけだろうが」
「こんな暗い所でいきなり肩を掴まれたら誰だって驚くよ!」
立ち上がりながら抗議するが、跡部は構わず背を向け廊下に出ようとする。
慌てて後を追い今まで何処にいたのか尋ねると、跡部は体育館にいたと言う。
どうやら千石のいたプールの丁度反対側に体育館があるらしく、そこの鍵を偶然見つけて調べていたようだ。
しかし何の手掛かりも得られず戻って来た所、更衣室の扉が開いている事に気づいて様子を見に来たらしい。
千石が今までの事を話すと、跡部はしばらく沈黙した後、冴之木七星が謎を解く手掛かりを握っていると言った。
「え!七星ちゃんに会ったの?」
「とんだ女狐だったぜ。奴は最初から失敗するとわかっていて例のまじないをブログに書いてたんだからな」
「それ……忍足君も言ってたけど、本当なの?」
「さあな。気になるなら本人に確かめてみればいい。まだ生きていたらな」
「そういう言い方は良くないよ」
「フン」
跡部にとって七星は、大事な妹を危険に晒した敵でしかないのだろう。
自信家で強引な所はあるが、基本的に跡部は女性には優しく接する方だ。
贈られた大量のプレゼントや手紙も一つ一つ確認し、バレンタインのお返しも忘れない。
だが跡部にとってこの世で最も大切な女性はユキだ。
彼女を危険に晒す人間は、男だろうと女だろうと関係ない、排除すべき敵だ。
近づいて来た七星を追い払った事は微塵も後悔していない。
「女の子に乱暴な事しちゃダメだよ!こんな所で一人で行かせて、何かあったらどうするの!?」
「っ……てめぇ!」
跡部は千石の胸倉を掴んで怒鳴った。
「ユキがこの死体だらけの学校にいるとわかってて言ってんだろうな!アーン?」
「!」
跡部の怒りが滲み出た目を見て、千石は自分の無責任な発言に気づいた。
出会った時から跡部は冷静に物事を判断しているように見えたが、それは全てこの異常な空間のどこかにいる妹を思っての行動なのだろう。
感情的になれば見えるものも見えなくなり、冷静さを失えば妹を救えなくなってしまう。
だから必死に自分を律して校舎の探索を続けていたのだろう。
そんな彼に間接的とは言え、大切な妹を危険に晒した女性を守れと言うのは酷な話だろう。
七星の真意はわからないが、七星のブログでこれだけの犠牲者が出ているのだから。
「ん?ブログ?」
跡部に胸倉を掴まれたまま千石はふとある事に気づいて首を傾げた。
「アーン?どうした?」
「あのさ、今気づいたんだけど……ここで死んでる人達ってみんな学生ばっかりだと思わない?」
校舎のあちこちに転がる死体はどれも無惨なものばかりだが、中高生が一番多いように思う。
時々小学生くらいの小さな死体も見かけるが、大人はほとんどいない。
「七星ちゃんって確かに有名人ではあるけど、知名度で言えばテレビに出てるような芸能人の方がずっと高い訳だし、あのブログだってそれほど有名な訳じゃないよ」
「……何が言いたい?」
「俺もよくわかんないけど、何か変だなって思って」
「アーン?」
「だってここにいる人達ってみんな"幸せのサチコさん"が原因でここにいるんでしょ?」
「だろうな。確認できる死体は確認してるが、だいたいの奴らがまじないの切れ端を持ってる」
「その人達が全員七星ちゃんのブログを見て、あのおまじないをやったとは思えないよ。だって七星ちゃんがブログにおまじないの記事を載せたのは、確か昨日の夜だったはずだよ」
ミーティングルームで千石に七星のブログを見せられた時は日付や時刻までは確認しなかったが、千石の記憶が確かならば、幸せのサチコさんのおまじないを載せた記事が投稿されたのは昨日の夜七時。
それから一日経過していると考えても、幾ら何でも犠牲者が多過ぎる。
白骨化している死体もある以上、ここにいる犠牲者全員が七星のブログを見ていたとは思えない。
「あのまじないはそんなに有名なものなのか?」
「だったら、普通これだけ行方不明者が続出したらニュースになってない?同じ学校の生徒が同時に何人も行方不明になってるんだよ?」
「……同時に、か。確かに不自然だな」
「でしょ?全国で同じおまじないをした人達が次々と行方不明になったら、きっと大騒ぎになってるはずだよ。でも俺はここに来るまでこんなに大勢いなくなってるなんて知らなかった」
毎日行方不明者が出ている以上、一人二人消えた所でニュースにはならないだろう。
しかし同じ学校の生徒が同時に何人も姿を消せば、マスコミが放って置かないはずだ。
なのに全くニュースになっていない事を考えると……。
「ここで死んだ奴は"現実世界から存在を抹消される"って訳か」
「あまり考えたくないけど、俺も同じ事を思ったよ」
深いため息をついて千石はがっくりと肩を落とした。
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