第六章 誘起
「天神小学校……何だ、ここは」
教室の張り紙に記された日付と学校名を見て、跡部は不機嫌そうに舌打ちした。
おまじないを終えて、気がつけば周りの様子が変化し、見慣れぬ木造校舎の中にいたのだ。
一緒にいたはずの忍足と千石の姿はなく、廊下にはとても作り物とは思えない人間の死体がゴロゴロ転がっている。
ここまで来るともはや怖いというより現実感がなさ過ぎて夢でも見ているような気分になる。
だがこれではっきりした。
ユキは立海テニス部の面々とおまじないをしてこの天神小学校へ飛ばされたのだ。
ここが現実かどうかはわからないが、この学校のどこかにユキはいるのだろう。
だとすれば、こんな所でじっとしている暇はない。
それに……と跡部は教室の後ろにある白骨死体を振り返って考え込んだ。
先程この教室に入った時、あの白骨死体の近くに"人魂"が現れて跡部に忠告したのだ。
ここで死ぬと魂が縛られ永遠に死の苦しみから逃れられなくなる。
そして赤い服の子供と眼鏡を掛けた女子生徒には近づくな、と言われたのだ。
自分のようになりたくなければ、と付け加えて。
その言葉の意味はよくわからないが、いずれにしろこんな場所で見知らぬ人間を信用できるはずがない。
この世に人魂が存在する事も驚きだが、そんな事は気にするだけ無駄だと早々に気持ちを切り替え、跡部は教室を出て廊下を歩き始めた。
廊下に転がっている死体の年齢や性別はバラバラで、明らかに他殺だとわかる死体もある。
視認するのも苦しい死体もあれば、もはや人間なのか肉片なのかわからない死体もある。
とにかく死体、死体、死体……見ているだけで頭がおかしくなりそうだ。
こんな場所に妹がいると思うとゾッとする。
ユキは同じ年頃の少女と比べると、大人っぽく落ち着いた性格をしている。
病院での闘病生活が長かったせいで世間知らずな所はあるが、人の心の変化に敏感で、相手への気配りを絶対に忘れない子だ。
その思いやりの強さが、時には自分を苦しめる事になるので、跡部としてはもっと自分を優先して欲しいと思っているのだが……。
華奢な外見からは想像ができないくらい、ユキは芯が強く並大抵の事には動じない度胸を持っている。
だが幾ら度胸があったって、怖いものは怖いのだ。
ただその恐怖心を表に出して暴れるか、内に秘めて必死に我慢するかの違いでしかない。
信頼できる仲間が側にいるのならまだ良いが、もし跡部と同じように一人でこの場所をさ迷っているのだとすれば、いずれ限界が来るだろう。
一刻も早くユキを見つけてこの得体の知れない地獄から救わねばならない。
「……チッ、ここも行き止まりか」
崩れ落ちた床板を見て跡部は忌々しげに呟いた。
教室もそうだったが、廊下も床板が傷んでいて下手に体重を掛けると踏み抜きそうになる。
窓が割れてガラス片が散らばっている所もあるし、内蔵だか何だかわからない血の塊が転がっていたりもする。
それをこの暗闇で携帯電話のライトだけを頼りに判別するのは、想像以上に疲れるものだ。
幾ら跡部の視力が良くても、暗闇をずっと凝視し続けるのは辛い。
だからと言ってほんの一瞬でも注意を怠ると、腐った床板に気づかず踏み抜いてしまいそうになる。
全くもって忌々しい学校だ。
仕方なく引き返そうとすると、廊下の曲がり角で一人の女子生徒に出会った。
着ている制服に見覚えはないが、高校生のように見える。
眼鏡を掛けた落ち着いた雰囲気の女子生徒だ。
「あなたもサチコさんのおまじないでここに迷い込んだんですか?」
「まじない?」
そう言われて頭に浮かんだのは、ユキのメモにあった"幸せのサチコさん"と書かれたおまじないの事だった。
死体のインパクトが強過ぎて、おなじまいをやった事などすっかり忘れていた。
「あの紙切れが原因だとでも言うつもりか?」
「あれはただの紙切れではありません。遊びだと思って手を出すと痛い目を見る」
「そう言うてめぇもあのまじないとやらをやったんだろ?」
「私はここに先生を捜しに来たんです。和服の男性を見かけませんでしたか?」
「さあな」
素っ気なく答えて跡部はさっさと歩き出した。
ここで見知らぬ女子生徒と呑気にお喋りをしている時間はない。
女子生徒は何か情報を持っていそうだが、それが真実だとは限らない。
なら自分の目で見て確かめた方が早い。
そう結論付けた跡部は、女子生徒を無視して階段を下りた。
だがすぐに足音が追い掛けて来る。
「あなたも仲間を捜しているんですか?なら一つだけ忠告しておきます。あなた達の中に"裏切り者"がいます。でなければ、あなたはここには来ていない」
女子生徒の言葉に、跡部は足を止めて後ろを振り返った。
この女子生徒の意図はわからないが、彼女が何者であろうと跡部には関係がない。
「アーン?裏切り?それがどうした?」
忍足と千石のどちらか、あるいは両方が何かを企んでいたとしても、二人を恨むつもりなど毛頭ない。
それを見抜けなかった自分が間抜けだったというだけの話だ。
「だいたいあいつらは小細工ができるほど頭は良くねぇ」
二人が聞いたら怒られそうな反論の仕方だったが、女子生徒にはそれで十分だったようだ。
押し黙った女子生徒を見て、跡部はふとある事に気づいて納得したように頷いた。
「てめぇがあの人魂が言ってた女子生徒か」
「え?」
「
冴之木七星とか言ったか?」
「!」
跡部が発した名前に女子生徒が僅かに反応を示した。
思った通り、この女子生徒が例のブログを書いた張本人、七星のようだ。
「てめぇの言った事が本当だとすれば、そんな危険なまじないとやらをなんでネットでバラまく必要がある?てめぇは最初からこうなるとわかってたんだろ?」
七星自身の知名度はそれほどでもないが、友人のラジオ番組に出演したのがマズかった。
七星の友人である大上さやかはタレント活動をしている女子高生で、特に同年代の少女達に人気がある。
彼女のラジオ番組に出演した事をきっかけに七星の存在も中高生達の間で広まり、その結果、七星のブログを見て"幸せのサチコさん"を実行する犠牲者が増えてしまったのだ。
跡部からそれを聞いた七星は、自分が例の記事を投稿したのは数時間前で、そんなに多くの人間が見ているはずがないと主張した。
「ならそこに転がってる奴らは、何故その紙切れを持ってる?どうやら例のまじないが原因だと言うのは本当の事らしいが、裏切り者がいると言っていたのはただのハッタリのようだな。そう言えば疑心暗鬼になって慌てふためくと思ったんだろう」
「うるさい!何も知らないくせに、勝手な事を言うな!」
「フン、ならとっとと俺様の前から失せろ。てめぇなんかに構ってる暇はねぇ」
「っ……」
七星は鋭い目で跡部を睨みつけると、そのまま跡部の横を通り過ぎて行った。
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