Chapter5

その日、刻命家に一人の客人が訪れた。

彼が刻命家を訪れるのは珍しい事だったが、顔見知りでもあった春菜は快く彼を迎え入れた。

「それで今日は一体どうしたの?あなたがここに来るなんて何年振りかしら」

「ユキはいないんですか?」

「ええ。先日来たばかりだし、今頃家で……」

「跡部邸にはいませんでした」

春菜の言葉を遮るように日吉が言った。

学生時代からユキと交流があった日吉は、刻命家にも何度か足を運んでいる。

テスト前のユキの勉強をみるのが主で、春菜とはあまり話した事はないが顔と名前くらいは知っている。

先に跡部邸を訪れた日吉は、そこにユキがいない事を知ってこの家へやって来たのだ。

「そ、そうなの。ごめんなさい。それならユキに電話をしてみたら……」

「その前に聞きたい事があるんです」

「私に?」

「……"篠崎"という家をご存知ですか?」

日吉の質問に春菜は訝しげな顔で首を傾げた。

何故そんな事を聞くのかわからないといった様子だ。

「いいえ。知らないわ」

「天神町にある廃屋です。……本当に知らないんですか?」

「知らないわ。どうしてそんな事を聞くの?」

「……」

日吉はしばらく黙り込んだ後、鞄の中から小さな巾着袋を取り出してテーブルの上に置いた。

「これを開けてみればわかります」

「?」

不思議に思いつつ春菜が巾着袋を開くと、そこにはイヤリングが片方入っていた。

飾りの一部が欠けてしまっているが、上品で綺麗なアクセサリーだ。

「それに見覚えがあるはずです」

「……いいえ」

「あなたの物でしょう」

「知らないわ」

イヤリングから目を逸らして春菜は否定する。

「この前会った時もこれと同じイヤリングをしていましたよね?」

「あなたの勘違いよ。色が似ているからそう思ったんでしょう」

「あのイヤリングはどうしたんですか?」

「あれは……失くしてしまったの。お気に入りのイヤリングだったけど、そんなに高価な物じゃないし、どこにでもある普通のアクセサリーだから諦める事にしたのよ」

「……」

日吉は深く息を吐き出すと真っ直ぐ春菜を見て言った。

「これは"ユキが作ったイヤリング"だ。ピアスをしない姉の為に手作りのイヤリングを渡したいと言って高校生の頃に作った物だ」

「!」

「あいつは昔から不器用なくせにプレゼントの類は全て手作りの物を渡していた。自分で作った方がたとえ出来が悪くても気持ちは伝わるからと」

「……」

「……小さい頃に"兄貴"にそう言われたからだと」

「!」

春菜の肩がびくりと震えた。

日吉を映し出す瞳が不安定に揺れている。

「あんたはあの家を訪れて何をした?これが家の前に落ちていた以上、あんたが篠崎家に行ったのは間違いない。何の為だ?どうしてあの場所を知っていた?」

「っ……」

日吉の問いに春菜は黙り込む。

まるで何かを堪えるかのようにぎゅっと強く手を握り締めて俯いている。

「……あんたが答えないなら、俺が代わりに答えてやる」

そう言うと日吉は鞄の中から一枚の写真を取り出して春菜に突きつけた。

「あんた達は"復讐"するつもりなんだろう?家族を殺したこの男に……」

顔の部分がズタズタに切り裂かれた写真を指差して日吉が言う。

誰が写っているのかもうわからないが、それを見て春菜は見るからに顔色が変わった。

「あいつが跡部さんと結婚して仕事を辞めた時からずっと胸騒ぎを感じていた。あれほど好きだった仕事をあっさり辞めた理由が俺には理解できなかった。でも……その理由が"刻命裕也の消失"なら話は別だ」

「え……!?」

春菜の目が大きく開いて日吉の姿を映し出す。

「どうして"裕也"の事を……っ」

日吉は頷いて話を続けた。

「あの日、俺も同じ場所にいた。深夜に電話で呼び出されてあいつが入院していた慈愛十字病院へ行った」

「!」

「そこで俺は、同じように病院から呼び出されたと言う跡部さんとあいつの兄貴に会った。でも今考えると、俺達が集まった時点であの病院はもう異世界に通じていたんだ」

「異世界……?」

「似ているけど違う別の世界……言わば悪夢の世界に俺達は入り込んでた。それがあの人の計画だった」

「……」

「目的はわからない。でも一つだけはっきりしている事がある」

日吉はそこで言葉を区切ると、切り裂かれた写真に視線を落としながら口を開いた。

「あの時、あの場所で、跡部さんは刻命裕也を殺すつもりだった」

「!」

「病院側に刻命裕也の連絡先は登録されていないし、跡部さんも呼び出されていない。とすればあいつの兄貴を呼び出したのは跡部さんしか考えられない」

「……」

「俺がユキに電話で呼び出されて病院に来た事は、跡部さんにとって不都合な誤算だったんだろう。だから俺だけ途中で弾かれた」

現実世界に戻り何事もなく進む日常を目にして日吉は困惑した。

本当の事を話しても誰にも信じてもらえず、同じ悪夢を体験したはずの跡部は何故か頑なに真実を否定した。

悪夢など見ていない、刻命裕也という人間など知らない、お前の勘違いだろうと。

真実を知っていてもそれを証明する手立てはなく、結局そのまま日吉も日常へと戻ったが、腑に落ちない事が多々あった。

その内の一つがユキと跡部の結婚だった。

跡部の方はともかく、ユキには跡部と結婚する意思など無いはずだった。

ユキは跡部に恋愛感情など抱いてはいないのだから。

「……どうしてそんな事が言い切れるの?」

日吉の考えを聞いた春菜は、真剣な表情で日吉の目を見返した。

「あいつが愛してたのは、"兄貴"だろう」

「!」

「氷帝に通っていた頃、跡部さんが自分の兄貴に少しだけ似てると言ってた事がある。……それが跡部さんと交際した理由なら、あいつが本当に好きだったのは跡部さんじゃない」

「……」

「……否定しないって事は、あんたも気づいてたんだな」

「……」

春菜は無言のまま小さく頷いた。

多忙な母親に代わってユキの面倒をずっとみて来た春菜は、ユキの良き理解者であり相談役でもあった。

勉強の悩み、友達との付き合い方、そして恋の悩みもまた春菜にだけは打ち明けていたのだ。

だから春菜はよく知っていた。

ユキがどれほど真剣に兄の裕也に恋をしていたのか。

決まっている事だからと妹の恋を否定するのは簡単だった。

けれどそんな事は苦しい恋をしている妹自身が一番よくわかっている。

それでも愛する気持ちは抑えられない。

他の誰が否定しようとも、自分の気持ちを偽る事だけはできない。

「……おそらく跡部さんはユキの目の前であいつの兄貴を殺すつもりだった」

「っ……」

「俺は途中で追い出されたから、あいつの兄貴がどうなったのかはわからない。でもあんた達が弟の復讐をしようとしているのなら、跡部さんの計画は成功したんだろう。それが刻命裕也の消失という結果を生み出した」

春菜の目にじわりと涙が浮かぶ。

切り裂かれた写真にはもう憎い男の面影などどこにも残っていないのに、それでも言い様の無い悔しさと悲しみがこみ上げて来る。

「……あいつは……ユキは、跡部さんをどうするつもりなんだ?あんた達は妹の復讐に手を貸した。そうなんだろう?」

「……」

「あいつは何をしようとしてる?篠崎家であんた達は一体何を見つけたんだ?あそこには何があった?」

身を乗り出して問い詰める日吉の耳に、別の声が飛び込んで来た。

「"本"だ」

振り返ると居間の出入り口に長男の誠二が立っていた。

彼は真っ直ぐ日吉を見つめて言った。

「"どんな願いでも叶う本"。それがあの家にあった物だ」

「願いが叶う……?」

「信じられないだろう。だが事実だ。あれが何なのかは俺も知らないが、願いを叶えるには"何か"を代償にしなくてはならない」

「代償?」

「あれは、あるいは悪魔が書いた本なのかもしれない。魂と引き換えに願いを叶える……そんな風に思えるような……」

「……そこに跡部さんへ復讐したいとでも書いたのか?」

「そうだとも言えるし違うとも言える。確かに跡部景吾への復讐に手を貸したのは事実だが、ユキが本に願ったのはあの男への復讐じゃない」

「何?」

「復讐というのは所詮自己満足でしかない。たとえそこに正当な理由があったとしても、第三者からすれば復讐などただの八つ当たりに見えるだろう。だからこそ復讐は自分自身の手で行わなくては意味がない」

「じゃあ一体何を願ったんだ!?」

「……」

日吉の問いに誠二は深いため息をついて答えた。

「……"幸福"だ。自分が一番幸せになれる方法を選んだ。ただ、それだけの事だ」


1/4

prev / next
[ BackTOP ] 
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -