Chapter3

「あ、ごめんお兄ちゃん、起こしちゃった?」

跡部が目を覚ました時、そこにはいつもと変わらないユキの顔があった。

そっと身を起こして辺りを見回すと、そこは見慣れた自分の部屋ではなくどこかの病室だった。

個室なので他に患者はいない。

「昨日はよく眠れた?お兄ちゃん無理ばっかりするから疲れが溜まって倒れちゃったんだよ。これからはちゃんと休まなきゃダメだからね!」

ユキの言葉でようやく記憶を取り戻し、跡部は大人しく頷いた。

悪夢のせいでゆっくり眠れていない事もあり、仕事中に倒れてこの病院……慈愛十字病院に運ばれたのだ。

窓から夕日が差し込んでいるのを見る限り、お昼過ぎからずっと眠ってしまっていたようだ。

するとそこへ刻命春奈が見舞いに訪れた。

ユキは春菜が持って来た花を受け取って病室を出て行く。

しばらく世間話をした後、春菜はふと思い出したように口を開いた。

「そう言えば景吾君、この病院の"院長先生"と知り合いだったの?」

「!」

唐突な質問に跡部は心臓が止まりそうになった。

だがすぐに冷静さを取り戻して春菜から視線を逸らす。

「いや……。どうしてそんな事を?」

「さっきロビーで院長先生に会って景吾君の事を聞いたの。ずいぶん心配してたし、古い付き合いだって言ってたけど……」

「そんな馬鹿な……。人違いでしょう」

かつての院長・幸村カナエとは確かに学生時代からの付き合いだった。

高校を卒業してすぐカナエに接触し、妹を取り戻す為の計画を進めて来たのだ。

だがカナエは天神小学校で命を落とし、その存在は現実世界から抹消された。

新しい院長とは面識もないし話した事さえない。

しかし……

「確か名前は……"幸村カナエ"先生だったかな」

「!?」

聞くはずのない名前を聞いて跡部は愕然とした。

カナエは確かに死んだ。

この世界に存在するはずがない。

天神小学校で死んだ者は、家族の記憶からもきれいさっぱり消え去ってしまうのだから。

「そんなはずは……。誰かと勘違いしているのでは?」

「でも確かに名札にそう書いてあったわよ。私の母より少し若いけど……景吾君のお母様と同い年くらいかな」

「……っ」

春菜から院長の話を聞く程に、それが幸村カナエだと思わざるを得なくなっていく。

悪夢の世界で死んだ誠二の存在は消えてしまったのに、一度は消えたはずのカナエが現実世界に存在している。

何が起こっているのかわからず跡部は混乱した。

とにかく事実確認をしようと病室を飛び出したところでユキに出会い、病室へと引き戻されてしまった。

「もう、ちょっと目を離すとすぐに動こうとするんだから。ダメだよ。まだ休んでなきゃ。過労で倒れたこと忘れたの?」

「そうよ、景吾君。今はゆっくり体を休めて」

二人に止められ、結局その日病室から出る事は叶わなかった。

だが消灯時間を過ぎてもゆっくり眠る事などできず、跡部は天井を見つめながらずっと考え込んでいた。

一番最初に天神小学校の悪夢を見たのは、結婚して日本に帰って来てすぐの頃。

あまりよく覚えていないが、昔見た悪夢に似ていたような気がする。

中学生時代に戻った自分が仲間と共に天神小学校に迷い込み出口を探してさ迷い歩く。

そして"赤い服を着た少女"に出会うのだ。

篠崎サチコ……異世界の天神小学校を作り出した存在。

サチコが今もなお天神小を彷徨っているとすれば、その犠牲者も増え続けているのだろう。

……もしかしてサチコは己の呪縛から逃れたユキを取り戻そうとしているのだろうか?

「っ……ユキ!」

居ても立っても居られず、跡部はベッドから飛び下りて病室の出口へと向かった。

誰に何を言われようと、やはり妹から離れるべきではない。

たとえ何があっても妹を守ると決めたのだから。

もう二度と大切な妹をサチコに渡してなるものか。

「こうしちゃいられねえ。とにかく奴の目が届かない場所へ……どこかの神社や教会にでも立て籠もるか?」

そんな事を本気で考えながら病室の扉を開けて廊下に出た時だった。

不意に後ろから誰かに口を塞がれて甘い匂いが鼻をついた。

拘束から逃れて後ろを振り返った時にはもう意識が朦朧としていて、廊下に立つ人物の顔はわからなかった……。


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