二ノ刻 双子巫女
暗い山道を歩きながら宍戸亮は深いため息をついた。
バスにあった大型の懐中電灯を持って来たおかげで足元の確認には困らないが、だからと言って夜の山道は歩きやすいものではない。
バス停を出発した頃はまだ空も茜色で木々の間から夕日が差し込んでいたのだが、もうすっかり日が落ちてしまった。
何故こうなったかと言えば、非常時に備えて跡部が持って来ていた電波発信機……通称ビーコンと呼ばれる小型の発信機に奇妙な反応があったからだった。
跡部がシスコンキングと呼ばれるほど妹を溺愛している事は氷帝なら誰でも知っている周知の事実だが、ユキの持つビーコンがバス停から離れて山の奥深くへ消えた事は驚きだった。
妹に何かあったに違いないと確信した跡部は忍足達が止めるのも構わず一人で山の中へ入り、そのまま跡部を放って帰る訳にもいかず、仕方なく宍戸が付き添う事になったのだ。
「おい跡部!どこまで行く気だよ!もうすぐ夜になっちまうぞ。諦めて応援呼んだ方がいいって!」
険しい山道を歩きながら宍戸が説得を続けるも、妹の身を案じる跡部は始終不機嫌で耳を貸そうとしなかった。
連日の特訓で疲れているとは言え、幸村達の到着が大幅に遅れている事は宍戸も気掛かりではあったが、ここで無理をすれば二次災害を招きかねない。
「待てよ跡部!これ以上進んだらバス停に戻れなくな……」
めげずに説得を続けていた宍戸は、ふと跡部が立ち止まった事に気づいて口を閉じた。
佇む跡部の正面には古びた鳥居が立っている。
不思議に思いつつも跡部に歩み寄ると、跡部は険しい表情で鳥居の奥を見据えていた。
「何だ、あれは……」
「どうかしたのか?」
「あれを見てみろ」
宍戸は跡部が指差した方へ視線を向けるが、鬱蒼とした森が広がるばかりで特に気になる物は見当たらなかった。
「何もねえじゃねえか」
「アーン?てめえの目は節穴か?」
跡部は尚も鳥居の奥を指差してあれを見ろと言うが、宍戸には何の事かさっぱりわからなかった。
「本気で見えてねえのか?」
「だから何をだよ。もういいからさっさとバス停に戻ろうぜ。監督に電話して事情を話せばなんとかなるだろ」
「……」
跡部はじっと鳥居の奥を見つめると、宍戸が止めるのも聞かずに鳥居を潜って先へと進んだ。
茂みの向こうからまだ微かに歌声が聞こえて来る。
宍戸は気づかなかったようだが空耳ではないし、先程見えた人影も見間違いではないだろう。
「おい、いい加減にしろよ跡部!これ以上進んだら本気で戻れなくなるぞ!こんな山奥じゃ携帯電話だって使えねえし、非常用の無線機も忍足に渡したままだろ!」
どんどん奥へ進む跡部を追い掛けながら宍戸が叫ぶが、跡部は止まらず、そのまま茂みの向こうへ消えてしまった。
跡部を追って鳥居の奥へ進んだ宍戸は、ふと茂みの中にぽつんと佇む道祖神に気づいて足を止めた。
「地蔵?……これ"双子"なのか?変わった地蔵だな……」
気にはなったがこのままでは跡部を見失ってしまうので、宍戸はちらちらと後ろを振り返りつつ先へと進んだ。
しばらく獣道を進んで行くと、木々が分かれて小高い丘の上に出た。
鳥居の近くではごうごうとかがり火が燃えている。
丘の中心には丸い大岩があり、その周囲には注連縄が張り巡らされている。
「おい、跡部、ここって……」
丘の下を見下ろす跡部に近づいた宍戸は、眼前に広がる光景に言葉を失った。
月明りに照らされた日本家屋。
人気のない通りの奥には門があり、その先には一際大きな屋敷が建っている。
「なんでこんな所に村が……。跡部、知ってたのか?」
「アーン、知る訳ねえだろ。地図にも載っていない場所だぞ」
「じゃあなんで真っ直ぐここへ来たんだよ。ユキを捜すんじゃなかったのか?」
「人影が見えた。薄気味悪い連中だったが、奴らに聞くのが手っ取り早い」
「人影?」
そう言われて宍戸は森の中で跡部がしきりに鳥居の向こうを指差していた事を思い出した。
「まあここまで来ちまった以上仕方ねえか。もしかしたらここに立海の奴らがいるかもしれねえし、とっとと見つけて戻ろうぜ」
二人は辺りを見回しながら坂を下りて村の中に入り、逢坂家と書かれた家の玄関をノックした。
「……返事がねえな。誰もいねえのか?」
「入ってみればわかるだろ」
「おい!」
宍戸が止める間もなく跡部は玄関を開けて囲炉裏の間へと乗り込んだ。
辺りを見回すが人の気配はないし、置いてある物も何だか随分と古びた物ばかりだ。
「跡部、勝手に入るなよ。怒られても知らねえぞ」
宍戸の言葉を無視して部屋の中を見回していた跡部は、ふと一瞬、
葛籠の中を覗き込むユキの姿が見えて廊下の奥を見つめた。
「跡部?」
「……」
破れかけの暖簾に遮られた廊下の奥は暗闇に包まれていて何も見えない。
だがそこに妹が立っているような気がして、跡部は廊下の奥へと進んだ。
片手で暖簾を持ち上げると、左手に仏間へ続く扉があった。
ここに初めて足を踏み入れた跡部は、その先に何があるかなど知る由もなかった。
だが何故か荒れ果てた仏間の様子が頭に浮かんで、跡部はそっと扉を開けて中へ入った。
「ここは……」
想像した通りの光景に一瞬足が竦む。
奇妙な力に操られているような気がして気分が悪い。
だがここにユキがいたのなら何か手掛かりが残っているかもしれない。
「跡部、どうしたんだよ。さっきからちょっと変だぞ」
訝しげな顔で宍戸が声を掛けるが、跡部は構わず仏壇の前の葛籠に近寄って中を覗き込んだ。
すると葛籠の底にリンゴくらいの大きさの機械が転がっていた。
古い写真機のようだがフィルムはまだ残っているようだ。
「何だ、それ。カメラか?」
「アーン、カメラ?これがか?」
「レンズついてるし、それポラロイドカメラじゃねえのか?俺もそこまで古いのは初めて見たけどな」
宍戸の言うポラロイドカメラとは、撮影した写真を自動で現像してその場で確認できるカメラの事である。
現在ではデジタルカメラや携帯電話のカメラ機能などが発達して普及した為あまり見かけなくなってしまったが、この写真機はかなり古い物のようだ。
「どうやって使うんだ?」
「はあ?お前、カメラも使った事ねえのかよ。ちょっと貸してみろ」
宍戸は写真機を受け取ると葛籠の前に立っている跡部に向けてシャッターを切った。
しかしその直後、レンズ越しに跡部の背後に人影が見えて宍戸は慌てて写真機を下ろした。
「跡部!後ろに……あれ?」
「何だ?」
「今確かにお前の後ろに女が……」
辺りを見回しても他に人影はなく、隠れられそうな場所もなかった。
跡部の背後にあるのはこの写真機が入っていた空の葛籠と壁だけで、人が立っていられるようなスペースもない。
「気のせい……なのか?」
薄暗い仏間が気味の悪い空間に思えて、宍戸は半ば押し付けるように跡部に写真機を返した。
1/3