Chapter5

薄暗い廊下、所々抜け落ちたその床を私は仲間の名前を叫びながら歩いていた。

一刻も早く理科室に戻らなければならない。

そうしないと××があの子に殺されてしまうかもしれない。

助けを求めて私は廃校を彷徨い歩いた。

誰でもいい、誰か大切な親友を助けてと。

でも私の声に応えてくれる人は誰もいなかった。

こんな時お兄ちゃんがいてくれたら、きっとすぐに飛んで来て助けてくれるのに……。

ここにお兄ちゃんはいないってわかってるけど、もうどうすればいいのかわからない。

「お兄ちゃん……」

心細くなって思わず呟いた時だった。

「……誰かいるのか?」

「!」

闇の奥から一人の青年が姿を現した。

顔に見覚えはないけど着ている制服には見覚えがある。

氷帝学園の近くにある白檀高校の制服だ。

私が事情を話すと彼は助けに行こうと言ってくれた。

青年に感謝しながら私は理科室へと急ぐ。

どうか間に合うますようにと願いながら扉を開いたけど、そこに××の姿はなかった。

代わりに私達に襲い掛かって来たあの女の子が無惨な姿で息絶えている。

まさかこれ……。

「そうとは限らない」

考えている事が顔に出ていたのか、青年が私の思考を遮るように言った。

ここは正常な判断ができなくなる異常な場所だから、××がやったとは限らないと。

私は少しほっとして、それから青年と一緒に理科室を後にした。

廊下を歩きながら、そう言えばまだ自己紹介もしていなかった事を思い出して私は口を開いた。

「そう言えば、まだ名前を聞いてませんでした。私は立海大附属中2年の"跡部ユキ"といいます」

「俺は白檀高校の"刻命裕也"だ。君も"幸せのサチコさん"でここに?」

私は頷いて会話を続けた。

やっぱりここに迷い込んだのは私達だけじゃなかったんだ。

刻命さんもお友達とはぐれてしまったみたいだし、この学校は何が起こるかわからない。

必ずここから脱出しようって皆と約束したんだもの。だからきっと大丈夫。

何があったって私達の絆は切れたりしない。

一緒に過ごした思い出を忘れたりしない。

だから……大丈夫。

必死にそう自分に言い聞かせていると、誰かに呼ばれたような気がして一瞬意識が途切れた。

次に目を開けた時、そこはもう廃校ではなかった。

「え?」

起き上がって辺りを見回すと、そこは清潔感のある学校の応接室のような場所で、ふかふかのソファーに私は座っていた。

「どうなってるの?……刻命さん?……ここ、天神小学校じゃない……」

安全な場所……なのかな。

でもここがどこだかわからないと不安になってしまう。

何か手掛かりはないかともう一度ゆっくり室内を見回した。

壁際の本棚にたくさん本が並べられているけど、どれも医療関係の本みたい。

横にあるハンガーには白衣が掛かっているし、ここは病院なのかな?

でも病室って感じじゃないし……。

「写真?」

ふと見ると机の上に写真立てが2つ並んでいた。

左側の写真には白衣を着た綺麗な女性と小さな男の子が映っている。

右側の写真には少し成長した男の子がテニスラケットと大きなトロフィーを抱えて笑っている。

テニスの大会で優勝した時の写真かな。

「あら、目が覚めたの?」

不意に声がして私は慌てて後ろを振り返った。

扉を開けて入って来たのは、白衣を着た女性だった。

少し容姿は変わってるけど写真に映っていた人に間違いない。

「あの……」

私が戸惑っていると、女性は優しい笑みを浮かべて向かいのソファーに腰を下ろした。

「まだ混乱しているようね。私はこの慈愛十字病院の院長・幸村カナエよ。廊下で倒れているあなたを見つけてこの院長室に運んだの」

「院長先生……?」

そこでようやく私は現状を思い出して慌てて立ち上がった。

でも眩暈がしてすぐにまたソファーに座り込んでしまった。

「大丈夫?まだ動かない方がいいわ」

「あの、日吉君は?私と一緒にいたはずなんですけど……」

「さあ……私が見つけた時はあなたしかいなかったけど」

「そうですか……」

日吉君、大丈夫かな。

どうして私だけ倒れていたんだろう。

頭がぼうっとして何も思い出せない。

「少し熱があるみたいだからここで休んでいた方がいいわ。心配しなくてもきっともうすぐ跡部君が来てくれるわ」

「え?」

院長先生の言葉に私ははっとして顔を上げた。

「"お兄ちゃん"がここに来るんですか?」

今度は院長先生がはっとなって私の顔を見つめる。

「え、ええ……。用事があって病院に残っていたら跡部君に会ったのよ。彼は異変の原因がこの病院のどこかにあるんじゃないかって調べに行ってるの。1時間程で戻ると言っていたからもうすぐここに来るはずよ」

「良かった……」

ほっとして胸をなで下ろすけれど、すぐにまた疑問が浮かんだ。

私……なんで景吾のこと"お兄ちゃん"って言っちゃったんだろう。

嫌だな……お母さんと先生を間違える子供じゃあるまいし、恥ずかしい……。

でも景吾が無事で本当に良かった。

そう言えばこの病院の院長先生とは知り合いだって景吾が言ってたっけ。

景吾がここに来るなら待ってた方がいいかな。

日吉君の事が心配だけど、私一人で捜しに行くより景吾と一緒に捜した方がいいよね。

「さ、少し横になって休んだ方がいいわ。ここなら安全だから何も心配しないで」

院長先生の言葉に私は大人しくソファーに横になった。

正直座っているのも辛かったから誰かが側にいてくれるのは有難い。

ふと顔を横に向けると机の上の写真立てが目に映った。

「そう言えばそのお写真、息子さんですか?」

「え?……ええ、そうよ」

院長先生は写真立てを手に取って嬉しそうに笑う。

「仕事が忙しくてすれ違いも多かったけど、しっかり者で自慢の息子なの」

「今、お幾つなんですか?」

「そうね、跡部君と同い年よ」

「そうなんですか……」

景吾と同い年なら息子さんもお医者さんなのかな?

家族か……お母さん達、心配してるかな。

病院に入院するのは昔から"日常茶飯事"だったけど、中学に上がってからはほとんどなかったのに。

お兄ちゃんにもまた余計な心配掛けちゃったな。

もっとしっかりしなきゃいけないのに。

「……あれ?」

今まで入院した事なんてあったっけ?

私、風邪だってめったに引かないのに。

変だ、何か記憶が混ざってる。

熱のせいかな?

もう考えるのは止めよう。

景吾が来てくれるならきっとなんとかなるよ。

大丈夫……きっと大丈夫だから。

私は何度もそう自分に言い聞かせた。

そうしないと自分が自分でいられそうになかったから。

まるで私の体の中に別の"何か"が入り込んでいるみたい。

……早く景吾に会いたい。

そうすればきっと私は"私"でいられる……。


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