Chapter6

「これくらいでいいだろう。戻るぞ」

集めた薬や包帯などを巾着袋に押し込んで日吉が言うと、ユキはそれを受け取りながら強く頷いた。

怪我をした刻命の手当てをする為に二人は重傷の刻命を3年の教室に残して保健室へと向かった。

手当ての道具は一通り集めたが、保健室の中は無人で美月達の姿はどこにもなかった。

男子トイレで別れた黒崎も行方不明のまま、ただ机の上に置かれた蝋燭の火だけが空しく揺れていた。

校内にはまだ刻命を襲った黒服の男がうろついているかもしれない。

男の目的はわからないが、刻命を殴った時の容赦の無さといい、危険人物である事に変わりはない。

外部との連絡手段が無い以上、一刻も早くここから逃げ出す必要があるが……外にはまだ旧校舎から追って来た四つん這いの女が徘徊している。

それに正門の外はまるで空間をえぐり取ったかのように深い崖へと変わっている。

校舎から逃げ出した所でどうにかなるとは思えない。

一体何が起きているのか……わからない事ばかりだ。

考え込みながら歩いていた二人は、目の前に立ち塞がる壁を見て同時に足を止めた。

「え……嘘、どうして?」

B棟からC棟へと続く渡り廊下に突然現れた謎の壁……それは防火扉だった。

扉にハンドルはついているが力一杯回してもビクともしない。

「もしかしてさっきの地震で?」

二人が保健室のあるA棟に入ってすぐ大きな地震があったのだ。

立っている事さえできない程の揺れで二人に怪我はなかったものの、かなり肝が冷えた。

しかしたとえ地震で扉が閉まったにせよ、ハンドルさえ動かないのはおかしい。

錆びついている様子はないし、鍵穴なども見当たらない。

そもそも非常時に開く事のできない扉など何の意味もない障害物に過ぎない。

「遠回りになるが西から回るしかないだろう」

「そうだね……早くお兄ちゃんの所に戻らないとっ」

二人はB棟の廊下を通って西の渡り廊下へと向かったが、結果は同じだった。

仕方なく二階に上がると階段の前で誰かにぶつかりユキは巾着袋を胸に抱えたままよろけた。

「悪い!大丈夫か?……ってお前、ユキじゃねえか!」

「え?あ……宍戸先輩!?」

そこにいたのは氷帝学園3年の宍戸亮とその後輩・鳳長太郎だった。

鳳とユキは1年の頃から同じクラスで出席番号も近いので仲が良く、鳳とよく一緒にいる宍戸とも面識がある。

お互いに驚きの表情を浮かべながらも見知った人間に出会えてユキは少しほっとした。

「まさかお前らもここにいるなんてな。ったく、どうなってんだ……」

訳がわからないと言った様子で宍戸は頭をかき回す。

「先輩達はどうしてここに?」

「わからねえ。気がついたらここにいて、途中で白石に会ったんだけどよ。なんつーか、突然目の前で消えちまったんだよ」

「消えた?」

日吉が訝しげな目で宍戸を見るが、宍戸自身も戸惑っている様子だった。

「本当にそうとしか言えないんだ。黒い服を着た男に襲われて……突然校舎が揺れたと思ったら、いつの間にか白石さんも黒服の男も消えてて……」

鳳の言葉にユキはまた不安がこみ上げてきた。

何が起きているのかわからないが異常事態だと言う事はわかる。

悪い夢でも見ているのではないかと思うくらい、次々と不可思議な事が起きている。

ユキと日吉は今まであった出来事を話してC棟へ渡ろうとしたが、二階と三階の渡り廊下もやはり防火扉で塞がれていた。

「駄目だな。校内からじゃ向こうの校舎には行けねえ」

「外から回り込むしかないみたいですね……」

「でも外には……」

「ああ。あの気味の悪い女がいる」

4人は無言のまま昇降口の外を見やる。

雨音はどんどん強くなっているがあの女の姿は見えない。

「どうする?」

宍戸の問いに全員が押し黙る。

このままじっとしてても事態は好転しないが、ここにいれば少なくともあの女に襲われる心配はない。

自ら危険地帯に足を踏み入れるよりも、助けが来る事を期待してここに籠城していた方が良いのではないだろうか……。

そんな考えが過ぎるが、ユキは薬の入った巾着袋を握り締めて顔を上げた。

「私、外に出てみる」

鳳が驚いたように目を見開くが、ユキは真剣な目で玄関扉の前に立った。

「おい!」

思わず日吉が肩を引っ張る。

「こうしてる間にもお兄ちゃんは苦しんでるの!早く行って手当てしないと……」

恐怖心からか手は震え足元もおぼつかないが、ユキは意を決して扉に手を掛けた。

「……」

そっと鍵を外して扉を開ける。

激しい雨の音と生温かい風が体に纏わりつく。

だが女の気配は感じない。

ユキはなるべく濡らさないよう巾着袋を服の下にしまって胸に抱え込むと一気に駆け出した。

その後を日吉が追い、彼の後を宍戸と鳳が追い掛ける。

地面を蹴る度に泥水が跳ね視界が雨でぼやけるが、それでもどうにかC棟の非常口前に辿り着き、雪崩れ込むように4人は校舎の中へ飛び込んだ。

「はあ……はあ……っ」

心臓がドキドキして呼吸が乱れるが、女に襲われる事もなく全員無事に目的地に到着した。

「なんとか来れたな。早く行こうぜ」

宍戸の言葉に頷き、ユキは巾着袋を取り出して3年2組の教室へと向かった。

暗闇に包まれた廊下は相変わらず不気味な雰囲気が漂っていたが、これでやっと兄の傷の手当てができると思うとユキの足取りは自然と軽くなった。

現状を解決する糸口はまだ掴めていないが、兄が目を覚ませばきっとなんとかなる。

小さい頃からずっとユキにとってのスーパーマンは兄の裕也だった。

だからたとえ理由なんかなくとも、兄がいれば事態は好転できるとそう信じていた。

「お兄……」

教室の扉に手を掛けようとしたユキは、突然後ろから誰かに腕を掴まれて床に転んだ。

その弾みで胸に抱えていた巾着袋が落ちて、中に入っていた包帯が床に転がり白いラインを描いた。

痛みを堪えながら顔を上げると、暗闇の中にぼうっと立つ大きな人影があった。

闇に溶け込むような黒いコートと右手に握り締められた錆びた鉄パイプ。

刻命と白石を襲った犯人がそこにいた。

「離れろ!!」

宍戸の声に鳳がその場を飛び退き、日吉が床に転がったままのユキの腕を引いて立たせる。

黒服の男は鉄パイプを握り締めたまま静かにユキ達の顔を見回した。

暗いので男の表情はよくわからないが凍り付いたような青い瞳だけは見えた。

その瞳がユキの姿を捉えて大きく見開かれる。

「!」

男がユキと日吉に近づくのを見て、宍戸は慌てて男の腕を掴んで止めた。

「おい、何する気だ!!」

「宍戸さん!」

鳳の声に男の動きが一瞬止まる。

その隙に日吉がユキの手を掴んで廊下を駆け出した。

男がよろめいたのを見て宍戸と鳳もその後に続く。

4人は刻命のいる3年2組の前を通り過ぎて西の階段を駆け上がった。

「あいつ……!」

二階に上がっても男は4人を追って来た。

仕方なくそのまま3階へと上り廊下を駆け抜けるが、B棟へ続く渡り廊下は防火扉で塞がれ他に逃げ場はない。

東側の階段を使えば一階に戻る事はできるだろうが、男に追われている状態ではとても刻命の手当てはできない。

せっかくここまで来たのに刻命を見捨ててまた外に逃げる事になってしまう。

だがそれではユキが納得しないだろう。

危険だとわかっていても兄を助けたい一心でここまで来たのだから、その兄を見捨てて逃げる事はできないだろう。

「っ……くそ、仕方ねえ。俺が囮になる!お前らはその辺の教室に隠れてろ!」

宍戸はそう言うと足を止めて廊下の真ん中に仁王立ちした。

「何言ってるんですか宍戸さん!そんなの無茶ですよ!」

「無茶でも何でも誰かが囮になんねえとあいつから逃げられねえだろ!」

「宍戸先輩……!」

「早く隠れろ!あいつを撒いたら俺もすぐに合流する!」

「でもっ」

「兄貴を助けたいんだろ!いいから早く隠れろ!」

「!」

ユキは悲痛な表情を浮かべるが言われた通りに近くの教室へと飛び込んだ。

日吉もその後に続き、鳳は何度も後ろを振り返りながら仕方なく教室の中に身を隠した。


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