そろそろと伸ばされる手がある。向かう先は、ひどく手荒に負ったそこかしこの傷だった。その傷を負った男は今、身動きが取れない。瀕死に近い怪我を負わされて、海楼石の手錠をはめられて、おそらく彼にとってはある一定の意味しか持たないイスに座らされている。怖がるように、焦がれるように、リユの手はローへと伸びる。

こんなことに力を使いたくないとでも言いたげに、開いた目蓋から冷たい眼差しが覗いた。

「触るな」
「…でも、ロー」
「オペオペの実の能力者が素人に治療されるなんざ、笑わせる」
「それは、…そうかもしれないけれど…」


所在なげになった手を匿うように、リユは持っていた救急箱をぎゅうと握りしめた。一般家庭用の、どこにでもありそうな救急箱。…これしかなかった。
「…でも、海楼石の手錠をはめられた手じゃあ、あなた、できることもできないでしょう」。けぶるような睫毛をうつむかせて、それでもその場から逃げ出せずにぽつりとこぼす。そんなリユを、ローは鼻で笑った。


「無力なリユ、お前はなにもできないだろう」
「…………」
「思った通り、昔のままか。なにひとつ出来ない弱者の象徴。度が過ぎて、いっそドフラミンゴに気に入られた異色のファミリー」
「…………そうね」
「反論しないのか」
「だって本当のことだもの。ずっと若様に大切に置いてもらってるけど、不思議よね」


リユはなぜかしみじみと言って、それからしばらく目を泳がせて、ローが座らされた“ハート”のイスの近くに侍るように座った。先刻、リユの大事な若様はローのことをひどく痛めつけていた。泥を拭き取るのと、消毒液を、…ぶっかける? ふっかける? くらいはリユでもできる。人生24年、どうにかこうにか、これでもちゃんと生きてきたのだから。広い静かな部屋に救急箱を不馴れに扱うガチャガチャと騒がしい音だけが響いた。
ローは呆れたような目でかつての家族を見、忌々しそうに舌打ちをした。予想していたよりもよっぽど、あの頃のままほけほけと成長してしまったらしい。


「お前、バレたらドフラミンゴに殺されるぞ」
「わたしは若様を信じてるから、平気」
「…いくら可愛がられていようと、」
「信じてるから、平気。殺されても、平気なの」
「お前はバカか」
「そんな今更な」


身動きの取れないローを、リユは甲斐甲斐しく世話をしようとした。あらかじめ濡らしてきた布で肌をざっざと拭き、救急箱に入っていた消毒液を文字通り上からぶっかける。が、加減を間違えて消毒液は床に滴るまでにこぼれる。
一瞬静止したリユは空になった消毒液を放り投げて救急箱から新品を漁り、ローは思わず天を仰いだ。


「子ども嫌いのコラソン」が、唯一理不尽な苛めをしなかった相手だった。一度、ぶん投げたら受け身なんてロクに取れないまま重傷を負って、体に少々傷を残してしまって以来、コラソンはリユに手を出さなくなった。他のただ怖いもの知らずで転がり込んだ愚かな子どもと同じか、ベビー5やバッファローのようなタフさがあれば、話は別だったのだろうが。

冷たい言葉をかけるたびに、リユはますます吹っ切れていくようだった。おずおずとしていた動作に迷いがなくなっていく。リユはためらうことなく3本目の消毒液に手をかけた。

「痛めつけがいがあるように治療するのか?」
「…もういい。勝手に言ってなさい、諦めてないんだろうと思って来てあげたのに」
「それなら手錠の鍵くらい持ってこい」
「残念。そんな大事なもの、若様がわたしに預けてくださるはずがないでしょ」
「……“鳥頭”リユ」
「バッファローが面白がってつけたそれは忘れなさい」


リユが頬を膨らませる。ローの足元とリユのワンピース越しの膝はすっかり消毒液でびちゃびちゃになっていた。それでも一応、傷には真っ白な、清潔な包帯があてがわれようとしていた。ローは瞠目する。…ないほうがマシ、のほうかと思っていたが。

注がれる視線にも一向に気づかず、リユの手のひらは包帯に弄ばれている。

「…ローが何を考えているのかわかんないけど、わたしは、ローに生きていてほしい。若様がその手でローを殺したりはしないでほしい」
「なに甘い事言ってる。なにも出来ないお前が」
「…言うだけは、タダだし」


非常に無駄に、豪快に、そしてヘンテコに、包帯の嵩は増す。

「…わたし、“七武海”も“工場”も、正直どうでもいいのよね」
「……へェ」
「わたしの好きな人がみんな元気なら、それでいいや」
「その中におれもはいってるのかよ」
「はみ出しっ子は子供のすることよ」


ばちり。ローを見上げたリユの視線とリユを見下げていたローの視線がかち合った。13年ぶり、1コ上の冷めていた男の子の面影を見つけて、やっぱり元気な方がいいとリユは微笑んだ。






∴それが愛だと気づくまで







title by.彼女
151006