ざく、ざくり、と踏みしめた枯れ葉が軽快な音を立てる。また一歩と歩みを進める青年からは耳に飛び込んでくるその愉快な音を楽しむ様子は見られなかった。逆に青年のまとう雰囲気の重苦しさはそれと対照的である。ここ鈴音の小路では、空間が切り離されているかのように木々が一年中赤やら黄色やらの鮮やかな色に紅葉していた。季節の移り変わりなど無縁のようだ。
その真ん中で紫色のやわらかいマフラーを風に舞わせたままにしながら青年はただ立ち尽くしていた。
その姿はぼうっと、空を見つめているかのように見える。しかし彼の視線は威厳と歴史を感じさせる塔へと注がれていた。

アメジストの瞳は遥か先の塔の頂点を捉え、千里先の物事を見据えるような強い芯をもって鈍く光っていた。



***「マリル、かわして水鉄砲!」
コトネの指示を受け、マリルはサッと近くの石へと飛び移って野生のオタチの頭突きをかわす。そして間を空けずに水鉄砲を繰り出した。『水鉄砲』という名称のわりには力強い一撃だ。見事マリルの攻撃は命中し、オタチは倒れた。


「よし、これで10連勝よマリル!この調子でもっとバトルしてレベルを上げようね」
「リルリル!」

コトネと相棒であるマリルは顔を見合わせて笑い、互いの決意を確かめあった。旅をするために慣れ親しんだワカバタウンを出てからキキョウジム、ヒワダジム、コガネジムと大して苦戦することもなく勝ち抜いてきた。そのため、全く調子に乗っていなかったといえば嘘になる。
実力不足であることと油断とが重なり、エンジュジム戦の結果は惨敗。4人目のジムリーダーなのだからそう簡単に倒せるわけがない。それからコトネはしばらくエンジュシティ近辺に留まって特訓を続けている。


「今日も頑張っているね」

新たなバトルの相手を探している最中だったコトネの耳に、だいぶ聞き慣れた優しい声が飛び込んだ。足音も立てずに近づいてくるところは相変わらずである。振り返るとそこには予想していた通りの姿があった。


「あっ、マツバさん!」

「きみのマリルはだいぶ強くなったように見えるよ。毎日の特訓の成果だね」

マツバは言い、ふふっと微笑む。そして大きな手でマリルの頭を撫でた(あたしに以外の人にあまりなつかない人見知りのマリルが、何の抵抗もなくマツバさんに撫でられていることには驚いた)。マリルはそのまま目を閉じてマツバに軽く擦り寄る。とても心地良さそうだ。


「このままいくと、きみたちに負けてしまう日も近いかもしれないなあ。僕ももっと修行を頑張らないとね」

「それはちょっとおだてすぎじゃないですか?あたし達も頑張ってますけど、マツバさんにはまだまだ敵わないですよ…」

「いや、そんなことはないよ。きみはなかなか飲み込みが早い。それだけではない何かも感じるんだ……強くなるよ、きっと」

「……………ありがとうございます…」これはよくある社交辞令の類いなのだろうか、それとも本音なのだろうか。コトネには図りかねたがマツバに褒められれば嬉しいのが本音である。動揺や喜びといったものがせめぎあう心中を悟られないようにしながら、コトネはそっと目を反らした。少し褒められたことがここまでの喜びを生むのは強くなったことに対する嬉しさだけではなく、大きな理由はコトネがマツバに密かに想いを寄せているところにあった。

もっとも初めのうちは自分をこてんぱんにしたマツバにいい感情は抱いていなかったのだが、関わって彼の人柄の良さなどに触れて感情が変化していくまでにそう時間はかからなかった。そしてジム戦に負けた当初の『彼を見返してやりたい』という修行の目的も『彼に認められたい』というものに変化していた。



「コトネちゃんはさ、」

「はい」

「僕に勝ってファントムバッジを手に入れたらまたアサギジムに向かって…、そうしてバッジを8個揃えるのが目的なのかな?」

「うーん、そうですね。やっぱりバッジは8個揃えないと!」

コトネは途端に目を輝かせて力強く語る。


「じゃあ、将来の夢はポケモンマスターとか?」

「そうなれたらいいですね…!」

まあ、無理だってことはわかってるんですけどね。あはは、と苦笑いで誤魔化しながら小さく付け加えてコトネは言葉を締め括った。いいねえ若い子は夢があって。そう言うマツバの表情は、どこか憂いを帯びているように見えた。



「マツバさんにだって、なにか夢があるんでしょう?」



「――――――………」



しばらくの沈黙。

(その間マツバさんの瞳は、どこか遠くを見ているように虚ろだった)(そう、マツバさんはよくこんな目をしている。その度に、あたしがまだまだ知らないマツバさんの面を思い知らされる)
なにかまずいことを言ってしまったのだろうか、コトネは思いを巡らせてからマツバはホウオウを追っているのだという話を聞いたことを思い出した。取り敢えず場を繋ぐために言葉を発さなければと口を開いたところで、マツバの切なげな低音がやけによく響いた。


「…そうだね、うん。僕にも夢がある……」それは自分に言い聞かせるかのような言い方に聞こえた。まだ瞳は虚ろなままである。

「途方もない夢に思えるけど、僕はそれを叶えるために幼い頃から修行を積んできた。いつか叶うって信じてるよ」

明るく言うけれど、どこか隠しきれない諦めに似たものを滲ませているマツバ。その様子を見て、コトネは一人合点がいった。
(ああ、マツバさんが遠くを見るような瞳をしているときは夢を思い描いているんだ)(遥か先の、ホウオウに思いを馳せて。)

それは、コトネにとって少し寂しいことでもあった。二人で話しているときにもしばしばその瞳をしたりするし、ふとした瞬間に一人でいるマツバを見かけるときはいつもそんな様な瞳をしていた気がする。空いた時間の多くを過ごしているという鈴音の小路でも、マツバは物思いに耽っている時間が長いそうだ。それほど強く夢を追うマツバの姿にまたひとつ尊敬する点を見出だすと同時に、マツバを惹き付けてやまないホウオウが少し羨ましくもなった。


「マツバさんの夢が、叶うといいですね」

「ありがとう。コトネちゃんもね」

ざあっ。風が強く吹き付けて、木の枝に辛うじて掴まっていたか弱い葉たちがふわりと舞い、揉まれ、そして足元に落ちてゆく。風が肌寒くなってきたことで気が付いたが、もう辺りは夕焼け色に染まっていた。



「もうじき日が落ちる…。僕はそろそろお暇するね。ちゃんと暗くなる前に帰るんだよ?」

「分かってますってー。あたしはもうそんなに子供じゃないですし」

「はいはい。じゃあね、また明日」

「もう……。はい、また明日」

ひらひらと軽く手を振ると、マツバはくるりと方向転換してあっという間に夕暮れの中に溶け込んで行ってしまった。あの方向だと、また鈴音の小路に向かっているのだろうか。

コトネは、細身ではあるが広い背中を見えなくなるまでじっと見つめていた。
あの背中に追い付きたい。それがコトネの願いだった。知れば知るほど自分はマツバに不釣り合いであることを思い知らされるばかりだし、ほんの数ヶ月の付き合いでは知らないことがまだまだたくさんあることも理解しているつもりだ。彼はゴーストポケモンのように掴みどころがなく、触れられたかと思えばまたするりと手から離れていってしまう(届かない、届けられない、近くて遠い……)
ホウオウを追いかけるマツバの背中を追いかける。勿論マツバも立ち止まってはくれない。互いに一方通行の追いかけっこ、追い付けるのか?それさえも分からない。
(今のままじゃあ何ひとつマツバさんと並べない)(努力の量も、身長差も、バトルも、ひとつでいいから追い付きたいの)




(だからまずは、エンジュジム戦に勝ちたい!)




そうしたら、少しでも近づける。そんな期待をコトネは抱いていた。もっと強くなり、バトルだけでもマツバと対等以上になれるようになりたい。ひとつでいい、マツバに追い付けるものがあれば、と。

その為にはもっと特訓をしなくては。




「よーしマリル、明日からも特訓がんばろっか!」

「リルリ!」

100822

(あたしは追いかけたい訳じゃない。追いかけられたい訳でもない。ただ、一緒に並んで歩きたいの)(待ってて、あたし今すぐあなたを負かしてみせる!)
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