×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

East Blue


そして少女は心臓をなくした

コビーとルフィのファーストコンタクトは衝撃的なものだった。
何せルフィは、海から流れてきた酒樽から現れたのだ。
裏表のない物言いに振り回され、でたらめな強さに驚かされ、目指すものが正反対である事に困惑したが、総じていい出会いだったと思う。

それと比べて恭へ感じた第一印象は「怖い」だった。
彼女もまた、ルフィと一緒に酒樽から出て来た人だ。
しかし思った事をぽんぽん口にするルフィと違い、彼女は何も言わずひっそりと立っているだけだった。

「何だこりゃ、棺桶か?お前が入ってたやつよりオンボロだな」
「一応…船です」

どうやら彼女はルフィと知り合いではなかったらしい。しかも棺桶に入っていたなんて、彼女の身に何があったというのか。
戸惑うコビーの視線に彼女は気付いていたが、それでも何も言わず微笑とも呼べない小さな笑みを作るだけだった。

全く無口という程ではないし、感情がない訳ではない。
名前もすんなり教えてくれたし、ルフィの伸びた腕に目を丸めていたし、あれこれと話すルフィの会話にも短く相槌を打っている。
けれどそれすら異様なまでに声が小さく、コビーはその静けさが気掛かりだった。
加えて彼女の曇った眼だ。
まるで磨りガラスのように光を通さず、何を考えているのか解らない澱んだ眼をしている。
静けさも相まって薄ら寒い雰囲気を漂わせていて、コビーはそんな恭が少し怖く思えた。

「恭何も食ってねェじゃねーか!これ食え!」
「…いい。お腹空いてない」

その暗い雰囲気の恭に構わず、ルフィはあれこれと彼女に話しかける。
彼女がさり気なく自分達から離れたがっている事にコビーは気付いていたが、意図的か無自覚かルフィはそれを良しとしなかった。
食事に行く時も海軍基地に行く時も、別行動を取ろうとする恭の腕を掴んで連れ回す。
知り合いでもない、偶然出会っただけの他人の筈なのに、どうしてここまで気にかけるのだろう。

「俺は今、一緒に海賊になる仲間を探してるんだ。こいつは仲間第一号」
「え…?」

と思っていたが、どうやらルフィの中では既に恭は仲間としてカウントされていたらしい。
罪人として縛られているロロノア・ゾロにルフィがさらりと恭を紹介し、彼女は腕を掴まれたままぽかんと口を開けていた。

「…私、仲間になるなんて言ってへんよ?」
「おう!」
「…ならへんよ?」
「やだ!俺が仲間にするって決めたんだ!」

本人の意見を聞いちゃいない。恭はもちろん、ゾロも塀の外にいるコビーも揃って顔を引き攣らせた。
けれどコビーはルフィの奔放さに呆れる一方、その方が恭にとってもいいだろうとどこか納得していた。
過去は不明だがずっと悲しそうな顔をしている彼女は、今にも消えてしまいそうな危うさがある。ルフィと一緒に居ると別の危険性はありそうだが、自由と活気に溢れる毎日が送れる。きっと恭も元気になるだろう。
話し方ちょっと訛ってるんだな、と恭の素が垣間見えた事も嬉しく、塀の方へ戻って来た二人をコビーは笑顔で出迎えた。

危ういというコビーの評価が的中したのは、この数十分後の事だった。


  *  *


海兵の息子がゾロとの約束を違えていることを知ったルフィが、その息子を殴りゾロの元へと走って行った。コビーが恭の手を引いて追いかけたが、肝心のルフィはゾロの近くに見当たらない。
ゾロ曰く、彼の刀を取り戻しに海軍基地の中に乗り込んだらしい。やっぱり無茶苦茶だがルフィらしい。

「おい、いいのか?俺に手を貸せばてめェが殺されるぞ」
「僕はこんな海軍見てられない!恭さん、そのポーチにナイフか何か入ってないですか!?」
「ない」

とにかくできる事をしようと、コビーはゾロの縄を解き始めた。
自分がなりたいのは、力で市民を脅かす海兵ではない。力で市民と平和を守る海兵だ。
ルフィが海賊王を目指すように、自分も夢に向かって堂々としていたかった。

「か…海賊王だと…!?意味解って言ってんのか!」
「えへへへ…僕も驚きましたけど、だけど本気なんです!彼はそういう人、うわっ」

突然、それまで何もせずただ突っ立っていた恭がコビーを突き飛ばした。次いで響いた乾いた音。
転んだコビーが上体を起こすと、さっきまで自分が立っていた所で恭が片膝を付いていた。
肩を抑える手からは血が溢れている。

「恭さん!ち、血が…!!」
「お前…!」

四つん這いのまま慌てて恭の元へ寄るコビー。ゾロも、不気味なほど静かだった女の突然の行動に目を剥いた。
ゾロでさえ気付くのが遅れた銃撃に、この女はいち早く狙いまで察知したのだ。ひ弱に見えるが、遠くからの銃撃の経験があるらしい。
けれど負傷した女とさらに弱そうな少年では、どう考えても勝ち目がない。二人でさっさと逃げた方が得策だろう。

「俺はいいんだ、一ヶ月耐えれば助かるんだから。早く行…」
「助かりませんよ!あなたは三日後に処刑されるんです!!」

しかし約束を信じきっているゾロをコビーははっきり否定した。
疑わないゾロもゾロだが、それでも人の気持ちを踏みにじる海軍は許せない。
海賊を応援するわけでは決してない。それでもこんな間違った海軍の思い通りになるくらいなら、ゾロも恭もルフィと一緒に逃げてほしい。
恭に肩を貸そうとしたところでいくつもの足音が近付いて来た。

「そこまでだ!モーガン大佐への反逆につき、お前達三人を今この場で処刑する!!」
「面白ェ事やってくれるじゃねぇか…てめェら四人でクーデターでも起こそうってのか?」

銃を構えて並ぶ海兵の奥から、一際大きな男が悠然と歩いて来る。聞かずとも解る。この男がモーガン大佐だ。
屈強な身体に片手は大きな斧。それなりに実力はあるのだろう。けれど町の様子から、正義を名乗るに値しない男である事はもう知っている。

「ロロノア・ゾロ…てめぇの評判は聞いていたが、この俺を甘く見るなよ。貴様の強さなど俺の権力の前には、カス同然だ…!!」
「メタリカ」
「ぐっ…ごハッ!?」

コビーの顔の真横を細い腕が通った。聞き慣れない単語が聞こえた瞬間、目の前にいた海兵達が血を吐いて崩れ落ちる。
暫し瞠目したモーガンは、射殺さんばかりの目付きでコビーの斜め後ろを睨み付けた。
ほっそりした声が広場に響く。

「私、正義って嫌いやの。お金と権力を誤魔化すだけのハリボテだらけやから」
「恭、さん…?」
「そんなものに囲われてまで生きてたくない」

ここまで長く恭が話すのは初めて聞いた。やはり恭も、この海軍の横暴さに怒っているのだろうか。
コビーとゾロは彼女の方へ振り向いた。
ゾッと悪寒が走った。

「見せかけだけのまやかしの正義に縋るくらいなら私は――」

―笑ってる。
―今までにないくらい嬉しそうに、

「まっすぐ筋の通ってる悪を守って、死にたい」

二人の脳内で早鐘が鳴る。
恭はただ二人を守るためだけに動いた訳ではない。寧ろ自分の目的のために二人を理由にしようとしている。
先程の行動で海兵は完全に彼女一人に照準を合わせている。好都合とばかりに恭は両腕を広げ、銃口に向かってゆっくり歩いて行く。
ダメだ。このままだと取り返しのつかない事になる。
震えてまともに動かない身体で恭に手を伸ばした時、足元に大きな影ができた。

「ゴムゴムの〜〜〜隕石!!」


   *  *


ああ、やっと望みが叶う。
銃口を歓迎するように腕を広げたその時、頭上から聞き覚えのある声と共に巨大な何かが降ってきた。
誰かの石像だったようで胴から下のような形をしたそれは、恭達三人と海軍を隔てるように、大きな音を立てて地面に叩き付けられた。
呆然としている恭の元へ、朦々と上がる土煙の中から誰かがこちらへと歩いて来る。帽子のシルエットから、誰なのかは明白だ。
コビーが彼の名を口にするよりも先に、彼は行動を起こしていた。

「お前ぇ!!今何しようとした!!」

揺れる視界。ガツンと大きな音。後から顔にやってきた、燃えるような痛み。
いつの間に地面に伏せていたのか、恭本人にも気付けなかった。
聞き覚えのある声の初めて聞いた剣幕に、恭はノロノロと上体を起こす。ちらりと目線だけ上げると、少し離れた所に怒りの形相のルフィ。
何しようとしたかなんて、解っているくせに。

「死のうとしただろ!!」

解っているならなぜ聞いたんだ。
相変わらずこちらの話を聞こうとしないルフィに、恭は沸々と苛立ちが沸き上がるのを感じた。顔を見たくなくて再び目を伏せる。

「死ぬんじゃない。在るべきところに還るだけ」
「撃たれて帰れる所なんかねェ!」
「やとしても自分の命をどう使おうが勝手でしょ」
「お前は俺の仲間だぞ!勝手に死ぬなんて許さねェ!」
「仲間になるなんて言ってない」
「死ぬくらいなら俺達と冒険したらいいだろ!」
「私の“冒険”はもう終わったの!!」

我慢ならず恭は声を荒げた。
心の中の一番弱っている場所に、土足で踏み込まれた気分だった。
押し殺していた本音が口を突いて飛び出してくる。

「家族から友達から故郷から引き離されて!ようやく手に入れた居場所も仲間も奪われて!仇すら失った!」

「もう何も残ってない!もう何も欲しくない!息をしてるのも、心臓が動いてるのすら苦しい…!」

「会いたい…地獄にいるあの人達に!私のためを思うなら会わしてよ!!」

彼らを失った光景が頭から離れない。
あの世があるかなど知らないが、それでも彼らのいない世界で生きていたくなかった。
優しいコビーにも楽しそうに夢を語るルフィにも暗い胸の内を知られたくなくて、そっと独りになろうと思っていたのに、この男のせいで台無しだ。
一通り喚いて暫し沈黙が続いた。

「…本当にいらねェのか」

不気味なほど静かな声だった。
視界に足が映り今度こそ顔を上げると、目の前までルフィが近付いて来ていた。
「それ」とルフィが指差したのは、恭の左胸――丁度心臓がある場所だ。

「いらねェなら、俺がとってもいいよな?」

とる、とは。まさか抜き取る気なのか、心臓を。
先程までの思考と真逆になるような発言をするルフィに疑問を感じたが、ゆっくりと頷く。
するとルフィは恭の胸倉を掴んで無理矢理立たせた。至近距離なのに帽子の影で目元が見えない。
何を考えているのか解らないが、息の根を止めてくれるなら願ったり叶ったりだ。

「後で返せっつっても返さねェぞ」
「言えるか。さっさと取って」
「絶対だからな」
「しつこい!早よやれ!!」

ドッという鈍い音。
その瞬間、恭の呼吸も、鼓動も止まった。





「カハッ…ゲホ、ッゴホゴホゴホ!」

どのくらい意識が飛んでいたのか。咳を繰り返し、恭は再び呼吸を始める。
胸を貫かれたような強い衝撃があったが、まだ自分は息ができるらしい。

「…盗った!」

頭上から聞こえた声。意識を失った時に倒れたのか、地面に座り込んでいる恭の顔にかかる人影。
バッと勢いよく見上げると、右の拳をこちらに突き出すルフィ。

「今、お前は一回死んだ!」
「…は?」
「一回死んだんだから、今からお前の命は俺のモンだ!!」

その拳でルフィはドンと己の左胸を叩く。
まだ生きている。生かされている。

「“盗って”もいいっつったのはお前だぞ!」

島中に聞こえる大声が、恭の全身を駆け巡る。
なんてことだ。やはりこの男は本人の意見など聞いちゃいなかった。

「これから恭は俺と一緒に海賊になるんだ!いろんな島行って、いろんな奴と会って、いろんな冒険するんだ!海賊が死んだら地獄行きだから、そん時は土産話持ってそいつらに会いに行け!」

「それまでは!俺がいいって言うまでは!勝手に死ぬことは許さねェ!!」

「船長命令だ!!!」

帽子の下から現れた黒い目が恭の目を射抜く。
騙し討ちや言葉遊びができなさそうなこの男は、言葉の揚げ足を取ってまんまと恭の生殺与奪の権利を握り取ってしまった。

「っ…無茶苦茶や…!」

息も鼓動も苦しいと言うから僅かな間だけ止めた。命を盗っていいと了承を得たから今後の人生を奪った。地獄にいる仲間にも会わせるが今すぐにとは言っていない。
卑怯だと言っても相手は海賊。言い負かされた恭が悪いのだ。
それでも諦めきれない恭にルフィがぽつりと零した言葉は、彼女の記憶を震わせるには充分だった。

「そいつらだって恭に笑ってほしいんじゃねェの?」

―すまない……どうか、幸せになってくれ…

ついに恭は顔を手で覆った。
それは、共に戦うと言った恭に“彼”が遺した最期の言葉。絶望に塗り潰され、恭本人は忘れかけていた言葉だった。
会ったことがないはずなのに、どうして彼の気持ちがわかるんだろう。

「…海賊王…なるまで死なん?」
「絶対になるって決めた!その為に死んだって別にいい!」
「…死なんって約束は、してくれへんのか…」

誤魔化しもしない、恐ろしいほど真っ直ぐな覚悟だった。
覚悟とは暗闇の荒野に進むべき道を切り開く事――仇の一人だった少年が、恭にとっては最悪な状況で言った言葉だ。
自分を敵視する者、自分を憐れむ者、許しを請うように話す者もいる中で、彼だけは淡々とあった事を語っていた。
頂点を目指す者は共通して、図太い神経と強い覚悟を持っているらしい。自嘲気味に恭は笑う。
それでも彼女の眼には、一筋の光が差していた。

「わかった。海賊になる」
「本当か!?」
「途中で嫌って言ってもついて行く。私の人生(心臓)を奪ったのはお前や。地獄まで連れて行け!」
「よっしゃー!!」

先程までの雰囲気が一変し、笑顔で両腕を上げるルフィ。そのポーズのまま回れ右をしてゾロの元へ駆けていく。
人の生き方を百八十度転換させておいてリアクションはたった一言なんて、あっさりを通り越して薄情な船長だ。
しかし仲間になると決めたからには、目の前に迫る敵意を払わなければならない。壁となっていた石像が崩れ始め、聞こえる怒号が大きくなっている。
切れて血が滲む口を拭い、恭はゆっくり立ち上がった。


   *  *


「お姉ちゃんすごい。怪我の治りが早いのね!」
「えっと…うん、ちょっとね」
「手を翳して血を吐かせたり銃痕や頬の腫れが数分で治ったりするのは、ちょっとでは済まないですけどね」

恭とゾロの仲間入りまでのやり取りと比較すると、モーガンとその息子のことはあっさり蹴散らしてしまった。
その後空腹で倒れたゾロを引き摺り、村の少女とその母親がお礼にとご馳走してくれる料理にありつく事になった一行。
ゾロにおにぎりを渡そうとした事で縁ができたその少女は、食事より先に手当だと恭を自分の寝室に連れて行ったが、ワイシャツを脱いで現れた肩口は傷が殆ど塞がっている。ルフィが遠慮なく殴った頬もいつの間にか腫れが引いていた。
ドアを挟んで聞いていたコビーはつい半目になった。体力未知数のルフィとゾロで霞んでいるが、恭も能力が未知数だ。

「はい、替えのシャツ。お母さんのなんだけど」
「ありがとう」
「えっと…それでね…その、首のって…」

初めて会った時は機械のように生気を感じなかったが、今は人間味のある恭の様子に少女はそっと肩の力を抜いた。そして白い肩に薬を塗り大きい絆創膏を貼ったところで、少し照れくさそうに話しかける。
貰ったワイシャツに腕を通していた恭は、目線を受けて自分の胸元を見下ろした。手当てを受けている時から気付いていたが、首にかかっている物が気になって仕方ないらしい。
余りにもキラキラした目で見てくるので、それを首から外して少女の掌に乗せてやった。わぁ!と小さく歓声が漏れる。

「きれいな指輪!ダイヤがついてる!」
「大切な人から貰ったの。失くしたくないからネックレスにしてる」

少女は目を輝かせて掌に乗せられた指輪を手に取った。
プラチナ製で小さなダイヤモンドが一つ付いているそれは、母が指にしている物に雰囲気が似ている。
暫く眺めてから両手でそっと返すと恭はチェーンを首にかけ、指輪を隠すようにシャツのボタンを閉じた。

「ルフィ、私嘘ついた」
「むぁ?」
「何も残ってないなんて言ったけど、大事な形見が残ってた」

着替えを終えて寝室を出た恭は、頬を膨らませたルフィにぽつりと零した。
ネックレスも、唯一の手荷物であるウエストポーチも、最近発現した能力も、全てかつての仲間達がくれた物だ。
あの時ルフィに心臓を奪われていなければ、それに気付く事すらできなかった。
奪われたものではなく、残っているものの大切さに気付けたのも、やはりルフィのおかげだった。

「そっか。よかったな!」
「うん」
「ほら早く食え!全部食っちまうぞ!」

死のうとしていた時は無理矢理食べさせようとしていたくせに、生きようと思い直した途端そうではなくなるらしい。
ルフィの向かいの椅子に座ると、少女の母親が恭の分の食事を持ってきてくれた。何の因果か、いい匂いのするトマトリゾットだ。
口の端を食べカスだらけにしてニカッと笑うルフィに笑い返し、数日ぶりにスプーンを手に取った。

見知らぬ海が広がる世界で、海賊に奪われた恭の心臓は再び動き始めた。