BENNU(番外編) | ナノ


▼ とどかぬ手(3)

 それから少し、二人は眠った。
 ロイは夢を見た。久しぶりの、穏やかな雰囲気の夢だった。血の色もなく、自責の念に苛まれる事もない。
 誰かの広い背中を追いかけていた。父親だろうか。違う――ブロウだ。追いかけても追いかけても、距離が縮まらない。決して手は届かない。でも――いなくはならない。
 名前を呼んだ。そうすると、ちゃんと振り返る。
 手はやっぱり、届かないけれど。それでもちゃんと、俺を見てる――


「――おい! ロイ!」
 名前を呼ばれて、肩を揺すられた。夢の景色が遠ざかる。サンガ? なんだよ、俺は大丈夫だって――
「ロイ!」
 違う、サンガじゃない。声が低い。肩を揺する手が、大きい。これは――
「……隊、長?」
「……ったく、やっと目を覚ましたか」
「なんで、どうしてここが――痛っ!」
 驚いて飛び起きると、痛めた右足首に激痛が走った。先に目を覚ましていたサンガが、ロイの肩を支えている。
「ロイ、助かったんだ。俺たち、助かったんだよ」
 安堵のあまり涙目になりながら、サンガがロイを抱きしめる。それでもまだ、ロイは信じられなかった。
「探して……くれてたんですか?」
 ぼうっとする頭で、呟いた。ブロウはそれが気に入らなかったようで、眉を顰めた。
「何を言ってる。当たり前だ」
「当たり前……?」
 急に、恥ずかしくなった。俺は、なんて馬鹿な事を考えていたんだろう――!
 俯いたまま、何もしゃべれなくなってしまった。少しでもこの食いしばった歯を緩めてしまえば、次に飛び出すのは泣き声に違いない。「よかったね、ロイ」と声をかけてくれるサンガにも、頷くことしかできなかった。
「おい、サンガ」
 急にブロウに呼ばれ、サンガはびくりと身体を緊張させた。
「幼かろうが、お前も砦の兵士だろう。ウガン砦は、隊長である俺が預かったんだ。俺の許可なく死ぬことは許さない。ブリザードの日に廃坑で迷子だと? ふざけんな」
 低く唸るような声に、サンガが委縮する。
「だが――よくロイを守ってくれたな」
 言って、大きな手でサンガの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。サンガは一度だけ否定するように首を振ると、ついに泣き出してしまった。ブロウはまさか泣かれるとは思っていなかったようで、若干戸惑ったような、困った顔をしていた。
「隊長! 二人は無事だったんですね?」
 頭上から、ブロウと共にロイ達を探しに来た兵士が叫んだ。ブロウが返事をすると、捜索隊から歓声が上がる。
「隊長、先にロイを引き上げてやって下さい。怪我してるんだ」
 べそをかきながらも、サンガはロイに先を譲った。サンガを励ます様に肩に手を置いてから、ブロウはロイを抱き上げる。「しっかりつかまっていろ」と言うと、ロイを抱いていない方の腕でロープを掴み、引き上げるようにと指示を出した。


 砦の医務室に運びこまれ、手当てを受けた。ブロウはすぐにどこかに行ってしまったけれど、その間サンガがずっとそばにいてくれた。
 様々な人が面会に来てくれた。同室のニサ、テューラはもちろん、サンガに貴石蝶の話を吹き込んだテミスもやってきた。テミスのせいじゃないと言っても、ロイとサンガに謝りながら、「俺、もう二度と適当な事言わないよ!」と深く反省の色を示した。
 副隊長のライカンも、「無事でよかった」と声をかけに来た。そして、くすくす笑いながら思わぬ事をロイに耳打ちしてくれた。
「ブロウはここにいられないようだが、勘弁してやってくれ。仕事がたまっているんだ。俺に全部押し付けて飛び出して行ったからな」
 その夜、ロイは寝付けなかった。吹雪が窓を揺らす音が煩いからではない。なぜだか心がそわそわして、落ち着かなかった。
 目が冴えたまま、暗い部屋のベッドで横になる。ベッドカーテンは開いていた。となりのサンガも、同じようにまだカーテンを開いたままだ。
「ねえ、ロイ。俺の言った通りだったでしょ?」
 ニサとテューラを起こさぬよう、小さな声でサンガは言った。
「ロイは、隊長の『厄介者』なんかじゃないよ。ちゃんと探しに来てくれたもの。それに――俺、見ちゃった」
 真っ暗で何も見えなかったけれど、サンガが嬉しそうに笑ったような気がした。
「隊長、ロイが目を覚ました瞬間、すごくほっとした顔してたよ」


 サンガが眠った後、ロイはベッドを抜け出した。真っ暗な兵舎の中を、壁に手を付きながら手さぐりで歩いた。寝静まった深夜の兵舎は、寝間着だけでは寒かった。足先からどんどん身体が冷えて行く。挫いた右足首が痛んだが、それでもロイはある部屋に向かって歩き続けた。
 ブロウの部屋の前で、ロイは足を止めた。でもいざノックをしようとしたところで、尻ごみしてしまう。
 なんて言って入れてもらおう――
 扉の前を右往左往するが、ノックをする勇気が出ない。諦めて部屋に帰ろうかとも思ったが、そんな事をしているうちに、なんと内側から扉が開かれた。寝間着姿のブロウが顔を出す。
「なんだ。煩いぞ」
「あの、えっと……」
 今さらながら、ブロウの部屋の前の廊下が、歩くたびに軋んでいた事に気が付いた。体重をかけてみると、ぎぎっと嫌な音を鳴らしている。
 急に恥ずかしさを覚えて、顔に熱が上がってきた。寝間着の裾を握りしめたまま、立ち竦んでしまう。
 ブロウは、黙ってロイの返事を待っていた。からからになった口の中で、舌がもつれる。
「……あの、俺……眠れなくて」
 やっとのことで言葉を発したが、ブロウはしばらく黙っていた。しまった。言うんじゃなかった。恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだったが、ようやく返って来た「そうか」という短い返事に、ロイは俯いていた顔を上げた。すると、扉をもう少し大きく開いて、ロイが通れるように脇にどいてくれる。
 部屋に入り、ブロウが扉を閉める。ベッドの毛布が、少し乱れていた。眠っていたのかもしれない。
「すいません。起こしてしまいましたよね」
「べつにいいさ」
 言いながら、ブロウはマッチを取り出して、サイドボード上のランプに火を付けた。真っ暗だった部屋に、じわりと優しい緋色が溶けて、闇を色付かせてゆく。炎の色――ブロウと瞳と、同じ色。廃坑の時とは違い、それはそわそわして仕方がなかったロイの心を、徐々に落ち着かせた。
「俺は寝る。本でも読んでろ。そのうち眠くなる」
 本棚から何冊か適当に引っ張り出してロイに手渡すと、ブロウはベッドに潜り込んだ。ロイに背を向け、眠ろうとする。
 ロイは本をサイドボードの上に置くと、ふっとランプに息を吹きかけた。再び部屋が真っ暗になる。ブロウが訝しんで身体を起こす気配がしたが、そんなのお構いなしに、ロイはブロウの隣に潜り込んだ。
「お、おい。何なんだお前は」
 戸惑うブロウの背中にしがみ付き、力いっぱい抱きしめた。温かかった。ロズベリーで助けてくれた時から、ずっと変わらないブロウの体温だった。
「ブロウ……ごめんなさい」
「……何が。今日のことか?」
「ううん、それもあるけど……いろいろ」
 廃坑でサンガが言っていた事、全てを鵜呑みにしている訳じゃない。だけど。
――当たり前だ。
 そう言って、ちゃんと探しに来てくれたのは、事実だから。
 出会ったあの日から、ちゃんと俺の側にいてくれるから。
 サンガに習って、少しだけ、少しだけ自分の都合のいい様に、考えてしまおう。
「……ありがとう、ブロウ――」


 翌日から、いつもの日々が始まった。砦の雪かきをして、調練をして、ブロウの事務作業を手伝った。時折現れるイラを除けば、いたって平凡な日々だった。
「これも頼む。ああ、こっちもな」
 作業中のロイの目の前に、ブロウは山の様な書類を積み上げる。そのほとんどは、隊長が処理すべきものだった。最近副隊長がロイ専用の作業机を入れてくれたのだが、それが拍車をかけている。押し付けられる書類は、増える一方だ。
「おっと、これもだな」
 もうひとつ書類を積まれた時、ついにロイの堪忍袋の緒が切れた。
「ちょっと! いい加減にして下さいよ、大人げない!」
 机を強く叩いて立ち上がり、怒りをあらわにしたのだが、なぜがブロウはそれを見て嬉しそうににやりとした。
「お、やっと吠えたな」
「はあ?」
「ったく、ずいぶん長い事腐ってたな。ようやく、『らしく』なったんじゃねえの」
 意地悪く笑いながら、ブロウはふかした煙草の煙をロイに向かって吹きかけた。咳込み過ぎて眦に滲んだ涙を拭いながら、ロイは書類の山を指さす。
「じゃあ……これ、わざとなんですか?」
「いや? そりゃもうお前に任せた」
「……隊長は何するんです?」
「一服」
「馬鹿言わないで下さい! 十一歳にこれだけ押し付けてサボるなんて、恥ずかしいと思って下さい!」
「あっはっは」
「何笑ってるんですか!」
 渡された書類を投げつけてやろうとして、ブロウを睨んだ。けれど――大きな手が伸びて来てぐしゃぐしゃと頭をなでるものだから、ロイはその勢いをそがれてしまった。
 その瞬間、心の中で何かがすとんと落ちた。
 俺はブロウの事を何も知らない。
 年も、種族も、出身も、何を考えているのかも。でも――なんか、まあ、いっか。
「おい、どうした。さすがに怒ったか?」
 急に黙り込んでしまったロイの顔を、窺うように覗き込んで来る。その頬を、隙ありとばかりに、わしづかんだ書類の束で張ってやった。ばらばらになった書類が、執務室に舞う。
「隊長の分は、返します。ちゃんと拾って、ちゃんと仕事してくださいね」
 にやりと笑いながら、ブロウに向かってそう言った。
「やってくれるじゃねえの」
「俺の半分の量もないでしょう。文句言わないで下さい」
「はいはい」
「ほら、早く。午後から調練の指揮をとるんでしょう」
 ロイに急かされながら、ブロウはようやく書類に向かい始める。
 今朝は空の機嫌がよく、ロイが換気の為に開けておいた窓から、気持ちの良い風が流れ込んで来た。それはロイの前髪を揺らし、窓へと視線を誘う。
 風の来た道には、いつもと同じ窓に切り取られた、いつもと変わらない砦の風景がある。
 それなのに少しだけ、いつもと違う色に見えた。


――これからも、俺は多分ブロウに何かを問い続けるのだろう。その答えは、いくらも返って来ないに違いない。でももう、それでもいいのだ。
 昔の事を知らなくたって、一緒にはいられる。この人の隣に、並んで立つことはできる。その距離は、少しだけ遠くとも。


 ブロウが無愛想ながらも、俺の隣に立ってくれているように。


Fin.

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