BENNU(番外編) | ナノ


▼ とどかぬ手(1)

「今日からウガン砦の隊長に就任するブロウ殿と、その補佐をするロイだ」
 副隊長を務めるライカンに紹介されながら、ロイは集まる視線に緊張して身体を強張らせていた。隣に立つブロウはといえば、紹介など面倒だとばかりに欠伸を噛み殺している。
 新暦二九二年。ガルシアの月、一日。
 今でも、この日は新たな任務地への期待と不安で、胸が苦しかったのを覚えている。


■ とどかぬ手


「ここがお前の部屋だ」
 砦内の案内が終わった夜、ライカンに案内されたのは四人一部屋の相部屋だった。扉を開けると、部屋の住人の視線が一気に自分に集まる。「皆、よくしてやってくれ」というライカンの言葉に、整列した少年達が敬礼して答えた。
 雪豹の風貌を持つフーベルダ族と、狐の風貌を持つイダルゴ族が二人。砦内で見かけたどの兵士よりも若い。どうやら、同じ年頃の兵士の部屋に宛がってくれたようだ。
 二段ベッドが二つ置かれた室内は狭かった。個人のスペースはほとんどなく、すでに三人の私物で溢れている。だがロイの抱えた小さな荷物など、ベッドの片隅で事足りる。抱きかかえるようにして握りしめると、「よろしくお願いします」と深く頭を下げた。
「ウガン砦は狭くてな。悪いが一般の兵に個室はない。仲良くな」
 一度だけロイの肩に手を置くと、副隊長は去って行った。扉の前でポツンと残されたロイに好奇の視線が向き、少しだけ居心地が悪い。緊張する。ここでは、上手くみんなと馴染めるだろうか――?
「はじめまして。俺はサンガ」
 フーベルタ族の少年が、ロイの前に立つ。彼の人懐っこい笑顔は、どこかほっとするものがある。差しだされたサンガの手を握り、握手を交わした。
「ロイです。よろしく」
「俺十三歳。君は?」
「十一」
「やったよニサ、テューラ。年下だ! ようやく俺にも弟分ができた!」
 声を弾ませながら、同室の二人にガッツポーズを決めて見せる。ウガン砦で最年少だったサンガは、後輩が入ってきた事が嬉しいようだった。
「俺はテューラで、こっちがニサ。兄弟だ」
「よろしくお願いします」
 イダルゴ族の兄弟とも握手を交わす。
「お前、もともと中央軍所属だったんだって?」
 頷くと、三人は感嘆の声を上げた。ニサが興味津々と言ったふうに身を乗り出して来くる。
「しかも、前線基地ヒューバートって聞いたぜ。それがなんだって、こんな田舎の警備隊になんかに来たんだ?」
「幹部たちが驚いてたぜ。『前線から新しい隊長が来る』って」
「言ってた言ってた。ざわついてたよな、上の連中。でも、実際見てみたら、そんな凄そうな印象ねぇよ。前線では遊撃隊の隊長だったとか噂が流れてるんだけど、本当なのか?」
「ロイも遊撃隊にいたの?」
「あの、俺は、」
「隻眼と額の傷はちょっと迫力あるけど。ぱっと見は人間だし、亜人と比べると小柄だし、ちょっと信じ難くてさぁ」
「そもそも、お前たちどうゆう関係? ロイはどう見ても生粋のジャハダ族だし、親子には見えないけど?」
「……ええっと、」
「ちょっとやめなよ! ロイが困ってる」
 質問攻めの二人とロイの間に入り、サンガが声を荒げた。
「ロイは前線からここまで、長い事旅をしてきたんだよ? 疲れてるに決まってる。今日はもう休ませてやろうよ。それに、二人は明日の朝一で調練場の雪かき当番でしょ。早く寝なよ」
「あ! しまった、忘れてた」
「やばい。絶対寝坊出来ない」
「話はまた明日な」「おやすみ」などと言いながら、騒がしい兄弟は二段ベッドの梯子を上る。イダルゴ族の兄弟が上段、下段がロイとサンガだ。兄弟がささやかな個人スペースを作ってくれるベッドカーテンを閉めると、部屋は一気に静かになった。
「じゃあ、明り消すよ」
 ロイがベッドに潜り込んだところで、サンガは言う。返事をすると、何も見えなくなった。
 ベッドカーテンを引く前に、ロイはふと窓を見た。今日の夜空は月が明るく、窓が闇を四角く切り取っている。闇に目が慣れる頃には、優しい月の光が散らかった部屋を薄く照らしていた。
 ここが、新しい俺の部屋。
 少しだけ、その同居人は騒がしい。
 でも――その賑やかさは、とても優しい感じがする。
 小さな旅の荷物を枕元に押しやり、ロイは眠りについた。


 厩の裏手にある排水路に屈みこみ、嘔吐した。汚水と混ざり合って、饐えた臭いが鼻につく。
「ロイはどうした?」
「ああ……裏で吐いてるよ」
「またか? いつになったら慣れるんだ」
 厩の中からする苛立った声に、小さく舌打ちをする。
 聞えてるよ。いつも声がでかいんだ。
「大目に見てやれよ。あいつまだ十一だ」
 話し相手を宥めるような声がしたが、それはロイの悔しさを大きくさせるだけだった。
 年なんて、関係ない。俺はただ、役に立ちたかった。
「それにしたって、ただの馬番だろ。戦にも出てないくせに」
「人間の返り血が駄目なんだと。あいつはまだ『人間』を敵だと思えないみたいだな」
「はあ。前線で何言ってんだ」
「ロズベリーの出身らしいぜ」
「なるほど。……五年経ってもまだ人族共存の幻想を捨てきれない甘ちゃんってわけだ」
「まあでも、隊長も酷いよな。そうゆう子供に、てめえで殺した人間の返り血に塗れた馬の世話させるんだぜ」
 ブロウの愚痴へと話が移り、怒りで拳を握った。
 違う、俺が無理を言ってブロウの近くで働けるように頼んだんだ! 少しでも早く軍属について、側で手伝いたかった。必要とされたかった――
 全く甘い考えだと思い知らされたが、ロイは戦に出る意志だってあったのだ。それが、軍属に着いてから戦うのは専ら己の嘔気とのみだった。人間の血が、怖くて仕方がない。ブロウの馬を洗って、毛を梳いてやるたびに、血生臭いにおいに嘔気が込み上げる。
 情けない。俺はブロウの足を引っ張りに来ただけじゃないか――
「なんにせよ、お荷物だよ。厩は託児所じゃねえ」
「おい、ロイに聞える」
「別にいいさ。逃げ出してくれりゃ厄介者がいなくなる。万々歳だ」
「そんな事になったら隊長に殺されるって。一応、あれの保護者なんだぞ」
「遊撃隊に入れるだけ入れて、あとはすっかり放任じゃないか。それのどこが保護者だよ。隊長だって、あいつが逃げ出してくれれば厄介払いができると思ったんじゃないのか?」
「まさか。でもなあ……――」
 二人の言葉が、ロイの最も脆い部分を抉る。
 ブロウの足を引っ張る『厄介者』。
 それはロズベリーの廃墟で拾われてから五年、徐々に心の奥深くを膿ませてゆく、消えない不安だった。


「冴えない顔だな。眠れなかったか」
「……いえ。別に」
 翌日の朝、ブロウに隊長の執務室へ来るようにと呼ばれた。昨晩見た夢のせいであまり眠れず、酷く気分が悪かった。疲れの残る顔をしていたようだ。
 隊長の執務室は、よく整理整頓されていた。前任の隊長が殉職して一年、なかなか後任が決まらなかった間は副隊長のライカンが代理を務めていたようだが、なかなかに几帳面な男らしい。数々の資料や地形図、報告書の束など、全てがきちんと本棚に並べられている。
 それを眺めながら、ロイは溜息をついた。ブロウが隊長となった今、これがぐちゃぐちゃになるのも時間の問題だ。
「お前にはこれから俺の補佐をしてもらう」
 言いながら、ブロウは書類の束をロイに渡した。その分厚さと重さに、少しよろける。
「まだライカンが集計していない先月の煤発生の報告書だ。お前がまとめろ」
 ブロウは本棚に向かうと、いくつか見本や参考になりそうな資料を引っ張り出す。無造作にロイの足元に放っていくうちに、本棚は早くも整然とした様を失った。
「これ、全部ですか?」
「当然だ。俺は別の事をする」
「何を?」
「周辺地域の把握」
「……こっちの方が、大変そうですね」
「うるせえ。俺は計算が嫌いなんだよ。お前は得意だろ」
「苦手ではありませんけど」
「早くやれ。午後は調練だからな」
 ブロウは椅子に浅く腰かけ、行儀悪く机に足を乗せた。綺麗に磨かれた机の表面が、泥で汚れる。そんなことなど全く気にせず地形図を開くと、手元の詳細な資料とを見比べながら情報を頭に入れ始めた。
 前線では感じる事のできなかった充足感が、胸をどきどきさせる。
 ここでは、ブロウを手伝える事がある。俺、ちゃんと役に立てる――?
 ブロウの靴がすぐ横に迫る机の端で、ロイは早速作業を始めた。


 この日から、ロイはブロウの補佐と調練で忙しい日々を送る事になった。それ以外にも煤が発生すれば随時イラ退治に駆りだされたり、災害等が起きれば人命救助や事後処理に呼び出されたりした。また依頼が入れば、近隣の町の雪かきだってした。
 本来、ウガン砦は同盟国最北端の鉄鉱石採掘所、ボースロン鉱山の警護のために作られた砦だった。しかし近年その採掘量はぐんと減り、僻地であるこの地区は早々に見切りをつけた人々が去るのも早く、あっという間に廃坑となった。守る対象を失ったウガン砦は、今ではすっかり地元の治安維持が仕事となっていた。
 そんなウガン砦での日々は、前線基地にいる頃と比べたらとても穏やかなものだった。
 それでもたまに、前線基地にいた時の夢にうなされる事もある。人間を深く憎む兵士の中でたった一人怯えるという、血の色の夢だ。それを見る度、身体の芯から震えながら目が覚める。
 夢の事は、ブロウに言わなかった。足を引っ張りたくなかったのだ。前線基地にいるときは、その意地がロイの心を病ませていった。しかし今は――支えてくれる友達がいた。
「おはようロイ。気分はどう?」
 毎朝ベッドから出る度に、同室のサンガがにこやかに声をかけてくれた。彼のまとう温かい雰囲気に、いつも悪夢の残像から救い上げられる。どんな最悪な気分だったとしても、「うん、いいよ」と笑って答えることができるのだ。

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