BENNU(番外編) | ナノ


▼ やさしい手

「レニ、待ちなさい!」
 レニに母親の言葉など聞こえていなかった。玄関を飛び出し、大声を上げる母親を振り返りもせずに走ってゆく。
「待ちなさいったら! 今日は神父様がみえるといったでしょう!」
 神父という言葉にレニはつい振り返る。母親の険しい顔が、レニを睨んでいた。こっちに来なさいと威圧的な空気を纏い、小柄な体を一回り大きく感じさせる。
 くだらない。
 神様の話だかなんだか知らないが、レニにとっての絶対的な存在は父親だった。おおらかで優しく、柔らかな物腰なのに剣を握らせれば誰よりも強い。その頼もしい、大きな背中はレニの憧れだった。
 しかし今日、前線に出ている父親は家にいない。戦でしばらく家を空けるそうだ。七歳になり父について騎士の勉強をするようになったが、今回ばかりは連れて行ってはもらえなかった。今は父に代わり、叔父について学んでいる。
 家には小うるさい母親と、神を敬え、讃えろと馬鹿みたいに同じことを繰り返す教会の神父。しまいには、神は我々の父である、などと――
 思えるはずもない。父親は一人で十分だと、レニは神父の話を聞く気にはなれなかった。神を信じないわけではない。教えを請うなら、神父よりも父親に教えてもらいたかった。
「お父様に言いつけますよ!」
 またひとつ、母親が怒鳴る。レニは大きく息を吸い込み、玄関で腰に手を当てて凄む母親に言い返した。
「言いつければいいよ! 父上がおれになんて言ってたか、知ってる?」
 怪訝そうに首を傾げる母親に、レニはさも楽しそうににやりとした。
「『子どもは遊ぶのが一番の仕事!』」
 憤慨する母親を尻目に、レニは笑いながら家を飛び出していった。
 

■やさしい手


「遅かったじゃん」
「来ないかと思った」
「悪いなキック、ライナス。母上がうるさくって」
 フラムの中央広場、噴水が太陽の光をきらきらと跳ね返す昼下がり、レニは久しぶりに友人たちと待ち合わせをしていた。いつもは父親や叔父にくっついて騎士についての勉強ばかり。それは苦ではないが、やはり思う存分遊べる日はとても楽しみだった。その約束の時間を少し遅れてしまい、走って来たので息が切れる。
「そんな慌てなくてもいいよ。獲物は逃げやしない」
「えもの?」
 レニは首をかしげながら、年上の友人ライナスのにやりとした顔を見上げた。
「いいかレニ、おれたちはこれから狩りをするんだ」
「これは任務であるぞ、ヴォーテイル!」
「おれはヴォルテールだよ、キック」
「そうだっけ?」
 難しいからどうでもいいやと、キックはへらりと笑う。そして騎士を真似てびしっと敬礼しながら、レニに一本の棒切れを渡した。隣のライナスも、胸を張って敬礼の姿勢をとっている。これで今日どんな遊びをするのか、ぴんときた。騎士ごっこだ。
 棒切れを受け取ると、レニは剣を下げるようにベルトに挟んだ。そうしてから二人と同じく敬礼の姿勢をとって、わざと真面目ぶった顔をする。
「今日の敵はどこにいるのでありますかライナス隊長!」
 声を張る。ライナスはきびきびした動きで、中央広場から街の南へと抜ける通りを指差した。
「今日の敵はバルモア通りに巣食う怪物だ!」
 そういうが早いか、ライナスとキックはバルモア通りを目指して駆け出していった。
 レニは慌てて二人を追いかけた。道行く人にぶつかりそうになりながらも、懸命に年上の友人を追いかける。途中棒切れがベルトからずり下がり、何度も挟みなおしながらも、キックとライナスに遅れないように走った。
 バルモア通りを中ほどまで走ったところで、突然二人は通りからそれ細い路地に入った。まっすぐ走って行きそうだったレニの首根っこをライナスが掴み、路地に引っ張り込む。
「痛い! 何だよライナス」
「しっ! 怪物は目の前だぞ」
 ライナスに咎められ、レニは口をつぐむ。キックがレニの肩を叩き、路地から見える一軒のレストランを指差した。
 そのレストランは年季が入っているせいか、淡黄色の壁は少しくすんでいる。風に揺れる看板も、長い事油を差していないのかギイギイと耳障りな音を立てていた。しかし、店の前に飾られた真っ白な花が、そのレストランのまとう雰囲気を穏やかなものにしている。
「こんなところに怪物なんているのか?」
 レニが小声で問いかけると、キックに口をふさがれた。静かにしろということだろう。
 しばらく、黙ったまま様子を窺う。するとすぐに、レストランの扉が開いた。
「あの親子だぜ」
 キックが指をさす。一人の少年が、見慣れない肌の色をした男に手を引かれて出てきた。その二人を見て、レニは首を傾げた。キックは親子だと言ったが、あまりも似ていない。子どもは赤い髪に白い肌、親らしき男の方はフラムではめずらしい褐色の肌に金髪だ。ライナスとキックがにやりとする。腰のベルトにさした棒切れを、ぎゅっと握り締めていた。
 父親らしき人物がしゃがみ、少年に目線を合わせる。えらく心配そうに話しかけた。
「一人で平気か? 父さんも一緒に……」
「だめだよ、おとうさん。おとうさんがいなくなったら、だれがお料理作るの? お客さんが待ってるよ」
 父親がむうとうなる。このレストランの料理人なのだろう、白いシェフの服に黒いエプロンを腰に巻いている。
「しかし、お前この前……」
 心配そうに眉を顰める父親に、少年が首を振る。
「だいじょうぶだよ。今度は負けない」
「今度などあってたまるものか! やはり一緒に……」
「おとうさん」
 少年が、きっぱりとした口調で父親の言葉を遮る。
「行ってきます!」
 にっこりと笑ってから、少年は元気いっぱいに手を振って父親に背を向けた。父親は少年の小さな背中を見送っていたが、しばらくしてから心配を振り払うように首を振った。そうして、レストランの中に戻ってゆく。 
「行くぞ」
 父親がレストランの扉をパタンと閉めると、キックとライナスはそろって路地から飛び出した。父親に見送られた少年の後を、追いかけて走り出す。レニもそれについて走り出した。
 ゆっくりと歩いていた少年に、三人はすぐに追いついた。いきなり行く手を遮られた少年は、びくっとして足を止める。キックとライナスがにやにやしながら棒を振り、びくつく少年を威嚇した。
 おれよりも年上かな。
 ひとつ年上のライナスよりも大きな少年を見上げながら、レニは思った。しかし、その大きな体に似合わないびくついた態度が、気に入らなかった。情けないやつ。
 視線を伏せ、背を丸める少年の肩を、キックが突き飛ばす。ううっとうめいて、少年は簡単にしりもちをついた。少年が握っていた小銭が、ちゃらちゃらとバルモア通りの石畳に転がる。
「おい、もらわれっ子! 相変わらず情けないやろうだな」
「もらわれっ子のくせに、王都の通りを歩くなんて生意気だぜ」
「ち、ちがうよ……ぼくはもらわれっ子なんかじゃ……」
「うわ、しゃべんなよ。誰がお前と口きくかよ!」
 キックが舌を突き出しながら、棒の先で少年をつついた。ライナスも同じように、背中を丸めて頭を抱える少年を汚いものでも触るかのようにつつく。
 ライナスが、少年が落とした小銭を拾い集めた。
「ひい、ふう、みい……おいキック、レニ。こいつ50ネイカー持ってるぜ! 露店の焼き菓子が四つは買える」
「やめて! それはおとうさんのおつかいのお金だよ! この前だって君が……」
「うるせぇっ」
 小銭を取り返そうとした少年は、ライナスに突き飛ばされまたしりもちをつく。
 ふと、少年が睨み上げた視線と目があってしまった。レニの存在に気が付いた少年は、怪訝そうにレニを見つめる。見たことがない顔だったからだろう。そして、一人だけ手を出してこない。
 怪訝そうな表情が、一瞬すがるような顔になった。その顔に、レニはかっといらだちがつのった。
 気に入らない、気に入らない、気に入らない!
 誰かにすがってこの状況を打開してもらおうとする姿勢が、レニのいらだちに油を注いだ。どうして自分でどうにかしようとしない。ベルトに挟んだ棒を抜き、少年に向ける。少年のすがるような視線はすぐに消え、さっと青ざめた。
「なぁライナス、キック。どこの子どもかも分からない怪物やろうは、騎士がやっつけるんだよな?」
「おうともさ」
「そのとおり!」
 はやし立てる二人に、レニが意地悪く笑う。少年は、じりじりと後ずさった。歯ががちがちと鳴っている。
 レニはその少年に向かって、棒を振り下ろした。

「あいつ、レニと同い年らしいぜ」
 手にべっとりと付いた焼き菓子の砂糖を舐めながら、キックが言った。
 バルモア通りを一番端まで行った先、南門前の広場での事だ。中央広場よりも安価な出店が多いため、よく三人でたむろしている場所だ。
 レニは驚きのあまり、頬張っていた焼き菓子の塊をごくんと飲み込んでしまう。咳き込んだレニの背中を、ライナスがさすってやった。
「うそだろキック。だってあいつ、おれがちょっと棒で叩いたらすぐ泣いたぜ」
「あいつ泣き虫だからな。簡単に泣くんだ。ははっ、いじめがいがあるよなぁ」
 砂糖まみれの指を舐めながら、レニは心底驚いていた。
 どうみても年上みたいなやつが、おれと同い年?
 その上泣き虫ときたものだ。レニは呆れと苛立ちに、鼻息を荒げた。
「信じらんねぇ。ライナスよりもでかいのに……むかつく」
「うらやましいのか、レニ。お前ちびだもんなぁ」
「そんなんじゃないよライナス! おれは別に……」
 反論しようとするレニをいなし、ライナスはレニに向かって棒を構えた。挑発するように、棒の先をくいくいと揺らす。レニもにやりとして、棒を構えた。しかしそのライナスにはレニではなく、キックが「おれが相手だ!」と棒を振り回して突っ込んでいった。
 ライナスとキックと思う存分遊んだ帰り、レニは再び日の傾いたバルモア通りを歩いた。別に昼間の少年が気になったわけではなく、その通りが帰り道だったのだ。例のレストランの前を通るのが、少しばかりうしろめたいような気もした。
 レストランまでもう少し。そのとき遠目に見えるレストランの前で、先ほどの少年がうろうろと扉の前を行ったり来たりしているのに気が付いた。どうやら、レニたちにちょっかいを出されてからまだ帰っていないようだ。無理もない。少年が父親に頼まれたお使いのお金は、レニたちがとってしまったのだ。帰りにくいのだろう。甘い焼き菓子でふくれたお腹が、少しだけ重くなった。
 少年の顔は今にも泣きそうだ。ドアノブに手をかけてはまた離すことを繰り返している。何度かそれを繰り返しているうちに、内側からドアが開かれた。
「遅かったじゃないか」
 父親がしゃがみ、少年と視線を合わせる。しかし少年は気まずそうに視線を伏せ、じっとつま先を見つめていた。
「あの、おとうさん……あのね」
 もじもじと手をもみ、目に涙をいっぱいに浮かべる。その少年の頭を父親がなでると、少年は堰を切ったように大粒の涙をこぼした。
「ごめんなさい、ごめんなさいおとうさん……ぼく、またとられちゃった」
「お前が悪いわけじゃない。ほら、泣くんじゃないアーク。男の子だろう」
 父親が優しい手つきで少年の頬をぬらす涙を拭う。少年は鼻をすすり、涙を必死にこらえた。
「そうだ。男の子は泣いちゃいかん。笑顔でいなさい」
 にっこりと父親が笑って見せると、少年もつられたように涙でくしゃくしゃの顔に満面の笑みを浮かべた。

「レニ、明日こそは神父様のお話を聞くのよ。一日中遊びまわるなんて、いけませんからね!」
 家に帰ってすぐかけられた言葉は、「おかえり」ではなく母親の説教だった。レニはそれをぶすっとしながら聞き流し、きょろきょろと周りを見る。
「母上。父上は、まだ帰ってこないの?」
「何を言っているの。昨日エイルダーレに向かわれたばかりよ。いつもひと月は戻らないでしょう?」
 怪訝そうに首をかしげて答える母親に、レニは小さく「そうだよね」と返事をして、自分の部屋へと向かった。
「ちょっとレニ、ご飯はいらないの?」
「いらない」
 振り向かずに返事をして、レニは部屋の戸を閉めた。着替える事も億劫で、そのままベッドに倒れこむ。
 アーク。アーク。あいつの名前はアーク。
 枕に顔を埋めながら、レニは頭の中で繰り返した。
 あんなふうに父親に泣きついたことなど、レニはしたことがなかった。七歳になった今でこそ一緒にいる時間が増えたが、今まであまり家にはいない父と過ごす時間は貴重なものだった。甘えた事など、数えるほどもない。幼いながらに、父と会うときははつらつとして元気な顔をしたかったのだ。憧れの父親に、自慢の息子だと思って欲しかった。
 それなのに、なんだ。あいつの甘えようは。
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をして、泣きながら笑った。父親の服にすがり付いていた。
 その光景を思い浮かべながら、レニは枕をぎゅっと握り締めていた。握り締めながら、なぜか息苦しさを覚えた。喉が焼けるようだ。
 ちりちり、ちりちり。
 いらだちに似た嫉妬心だ。しかし、幼いレニはそれが嫉妬心だとは分からない。ただ気持ちの悪い思いに息苦しさを感じながら、レニは毛布を頭から被って無理やり寝付こうとした。

 次の日もレニは神父の話を聞かそうとする母親を振り切り、キックとライナスとともに遊びまわった。遊びに行く先は、主に例の少年のいるレストラン。花の世話をするためにたまに外に顔を出す少年を捕まえては、「怪物退治」の名目で追い掛け回した。
 次の日も、またその次の日もレニたちは少年を追い掛け回した。そうして何日かがすぎると、いつしか少年はレストランから一歩も出なくなった。
「なぁ、あいつ今日も出てこないぜ。つまんねぇなぁ」
 キックが棒でレストランの店先に飾ってある花をつつきながら、つまらなそうにあくびをした。レニも棒で花をつつきながら、何とはなしに花びらを散らしていく。真っ白い花弁が、ひらひらと地面に落ちる。その花弁を、ライナスが踏んづけた。
「今度見つけたら今まで以上にとっちめてやろうぜ。おれらから逃げ回るその根性なしなところ、叩きなおしてやらなくちゃ」
「だれが、だれの根性を叩きなおすんだって?」
 不意に頭上から降ってきた険しい声に、三人はびくりとした。恐る恐る、声の主を見上げる。レニがしまったと思うのと同時に、強く腕を引かれていた。
「は、放せ怪物め!」
「私が、怪物?」
 少年の父親は驚いたように一度目を見開くと、すぐに眉をしかめた。
「……肌の色のことか? だからアークにちょっかい出していたのか」
「そ、そうだ! ライナスとキックが、あいつは怪物に拾われたもらわれっ子だって……」
 レニはライナスとキックを振り返るも、二人はすでに逃げたあとだった。突然一人にされたレニは、駄々っ子の様にうめきながら、手をばたつかせて解放を求めた。しかし、やはり大人の力にはかなわない。
 父親の後ろにあるレストランの扉を少し開いた隙間から、少年が様子を窺うように覗いている。その目は、レニを明らかに恐れていた。
 依然ばたつかせていたレニの手が、思いもよらず少年の父親の腹に当たってしまった。全力で暴れていたせいかかなりの力で殴ってしまったようで、短くうっとうめいて背中を折る。扉の向こうに隠れていた少年が、あっと声を上げた。
「おとうさん!」
 扉を開け放ち、レニに向かって突進してくる。今までレニに追いかけられてべそをかいていた顔とはまったく違い、少年の顔は真っ赤だった。本気で怒っている。
「おとうさんに何するんだよ!」
「ウ、わ」
 殴られた痛みで突然手を離され、不安定な体勢だったレニは、少年が走ってきた勢いそのままに突き飛ばされた。どちらかといえば、体当たりにも近かったかもしれない。
 不意打ちを食らったレニは、そのまましりもちをついた。突進の勢いの止まらない少年が、同じくバランスを崩してレニの上に倒れこむ。自分よりも大きな体に押しつぶされ、そのときに受身を取ろうとした肘を擦りむいてしまった。
「い、痛い……」
 泣かないように、レニは歯を食いしばった。こんな傷で泣くもんか。
 しかし目の前にある少年の顔を見て、レニは一瞬きょとんとしてしまった。自分よりも、少年のほうが泣きそうな顔をしているのだ。もうその顔に、レニへの怒りは見て取れない。
「だ、だいじょうぶ? ぼく、かっとなちゃって……」
 少年はおろおろしながら、レニの肘から流れる血を抑えようとポケットからハンカチを取り出した。不器用な手つきで、それを肘に巻いていく。
 少年はレニに何度も「ごめんね、ごめんね」と謝った。まるで自分がとんでもない悪い事をしてしまったように、泣きながらそう繰り返す。その少年の優しさが、レニには痛かった。今までの自分のしてきたこと思うと、穴があったら入りたい気分だった。
 「悪い事」したのは、三人でお前を追っかけまわしたおれの方だろ――
「強い子だ。泣かないんだな」
 少年の父親が、レニのそばにしゃがむ。以前レニが遠目に見ていたように、少年の父親はレニの頭を優しい手つきでなでた。それから、少年が不器用に巻いたくたくたのハンカチを、もう一度きちんと巻きなおしてくれる。
「……ごめんなさい」
 謝罪の言葉が、俯くレニの口から自然とこぼれた。その言葉ともに、胸の奥からぐっと気持ちがこみ上げてくる。それは大粒の涙となって、レニの目から溢れた。
「ちゃんと謝れるなんて、えらい子だ」
 少年の父親が、レニの涙を拭いながらほめてくれる。レニは何度も何度も小さな声で謝りながら、おさまらない涙を流し続けた。
 少年が、レニに右手を差し出す。その顔はやはり涙でくしゃくしゃだったが、にっこりと柔らかい笑みを浮かべていた。
「なかなおり、しようよ。ぼくアーク。君は?」
 自分よりも幾分大きな手が、レニの手を待っている。レニは鼻をすすり、少年と握手する。その手は温かく、少年のふわりとした優しさが手を通して伝わってくるようだった。
「おれ、レニ・ヴォルテール。レニって呼んで」


Fin.

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