BENNU | ナノ


▼ 005 喧嘩

 力任せに放られた礫が舞う空は抜けるように高く、澄んだ水色だった。
 普段なら気持ち良く感じる冴え冴えとした早朝の空気も、朝を歌う小鳥の軽やかな囀りも、朝露を含んだ青々しい草木の香りも、今では全てが鬱陶しく苛立たしい。うっすらと紅潮した左頬につんとしみるような気がした。
 胸が締め付けられていた。自分でさえどう表現したらいいのか分からないが、さっきからずっときゅうきゅうと心臓が痛いのだ。憤りからか、呆れからか、悲しみからか、それとも寂しさからか――渦巻く思考を、頭を振って排除する。だがそれは一瞬消えてもすぐに渦を巻き始め、また胸を締め付けるのだ。そのことにたまらない自己嫌悪を覚えた。
「万物の父よ、我等を創りたもうた大いなる創造主エールよ。その御手に連なる生命の鎖の果て、険しき生の旅に惑う小さき我等に導きを。尊き祝福を与え賜え」
 毎朝毎晩繰り返される、神への祈り。もともと熱心なエラルーシャ教徒だったが、一年程前から狂信的になってきた母親。その行為にも母親にも、酷く辟易していた。
 俺の父は神なんかじゃない。いくら信仰心が篤くとも、神は信ずる者を助けてなどくれなかったじゃないか。俺の親父は――
 やり場のない思いを礫に乗せて空に放った。否、その思いを乗せたこと自体、無意識だった。自然と足がこの騎士団本部の中庭へと向き、その鉄礫を放らせたのだ。
 それは風を切り、真っ直ぐにある一つの窓へと飛んで行った。

「どうしたんだ、その左頬」
 早朝訓練で顔を合わせたレニの異変に、アークはすぐに気が付いた。
 隠すでもなく、「ああ、これね」とうんざりとした様子のレニは、仏頂面で柔軟体操を始めた。
「あの狂信者、俺が気に入らないのさ。やれエラルーシャの教えだのなんだの、朝っぱらからうざってぇ。馬鹿馬鹿しい」
 うっすらと紅潮した左頬をさすりながら、レニは毒づいた。ヘレ同盟国にとっての聖域、白の庭が炎上したことが大層嬉しかったようで、吉兆だと上気する母親と朝から口論してきたというのだ。その結末が、あの左頬なのだという。
「レニだってお母さんと同じエラルーシャ教徒だろ? なんでそこまで喧嘩するんだ」
「同じ? 冗談じゃない。過激派に足を突っ込んだ覚えはないね」
 アークの問いに、レニは吐き捨てるように答えた。
「勿論、エラルーシャの教えは知っているし神々の逸話にも興味はある。でも、それはいわば学問としての興味だ。特別神様なんか信じてねぇ。不真面目な信者なんだよ、俺は」
 だから揉めちゃうんだけどな、と小さく漏らしてから、レニは突然アークの腹を殴りつけた。
「何だよ」
「何だもくそもねぇ。やめだやめだこんなだせぇ話! おら、さっさと柔軟しろ病み上がり」
 そう締めくくってからは、レニにいつもの人懐こい笑顔が戻ってくる。アークが怪我で訓練を休んでいる間にあった事や他愛のない馬鹿話等をしながら、まだ気だるさの残る寝起きの体を解していった。
 アークがウッツに新聞を見せられたのが六日前。ナキア森での一件から、七日がたっていた。
 自宅療養をしていたアークの傷は、レニの適切な応急処置と医療班の治療の甲斐あって、軽い膿を出す程度でほぼ癒えた。まだ少しかさぶたが残っているものの、経過は良く動かしても問題はない。この日の朝、アークは七日ぶりに騎士団の早朝訓練に復帰した。
 久しぶりの調練場に立って吸う、早朝のひんやりと澄んだ空気がアークの肺を満たす。その冷たさが、気持ちの良い目覚めを与えてくれる。心地よい眠気のヴェールは徐々にはれ、きりりと身が引き締まるようだ。
 訓練前の柔軟運動を一通り終えたアークは、仕上げに軽く背伸びをした。
「柔軟は終わったか?」
 隣で同じく念入りな柔軟運動を終えたレニに、声をかけられる。
 終わったよ――振り向きざまにそう言おうとしたアークは、すらりと剣を抜くレニにその言葉を忘れた。そのままレニは剣を構え、切っ先をアークに向ける。アークは慌てて少し遠ざかった。
「何だよ急に。危ないだろ」
「いいから構えろって。どうせこの七日で体がなまってるんだろう。俺が訓練前に少し相手してやるよ」
 にいっと唇の端をつり上げるが、親しみやすい笑顔はすぐに引っ込んだ。剣を構えたレニは、頬を引き締める。真剣なその表情がおふざけではないことを物語っていて、ぴりっとした緊張感まで肌に伝わってくる。
 アークは戸惑いつつも、その気迫に後押しされて剣を抜いた。
「ちょっと、ちょっと待てって」
「待たない。ほら、ちゃんと受けろよ」
 問答無用とばかりに、レニは剣を薙いだ。アークは、とっさにそれを剣の腹で受け止める。雲ひとつない早朝の真っ青な空の下、澄んだ空気にぶつかり合う金属の高い音が響き渡った。
 その剣のぶつかり合う音に、周りの少年達が振り返る。しかし、集まる好奇の視線に気が付かないくらい、アークは余裕がなかった。剣の柄を握った手が、レニの剣撃を受けびりびりと痺れる。この最初の一撃で、確信した。この鋭さ、いい加減な打ち合いをする気などない。
「手加減しろよ! 久しぶりなんだから」
 そう文句を叫ぶが、もう一撃、今度は下段から切り上げてくる。受ける。再びの金属音がし、アークとレニの剣がぶつかり合う。やはり、レニの小さな体から繰り出されるとは思えない、鋭い一撃だった。
 アークはレニの剣を力任せに押し返そうとするが、いとも簡単に受け流されてしまう。すぐさま、レニが次の一撃を繰り出す。どうにか弾くが、また間髪いれず剣を薙いでくる。剣が腕と一体化しているかのように、レニの動きは滑らかで素早い。アークはだんだんと息が上がり、早くもレニの剣撃に手が追いつかなくなってきた。
 気おされ、徐々に後ろに下がった。冷や汗をかきながら、レニの力に舌を巻いく。荒くなった息を整えながら、よほど文句を言ってやろうかと思った。
 ――レニの太刀筋に、僕がついていけるわけないじゃないか!
 しばらく握っていなかった剣は、やはり手に馴染まない。ぎこちなく構えつつ、迫ってくるレニとの間合いを保った。
 睨み合う。レニが一歩踏み出すたびに、アークはまた一歩下がった。
「おい、腰が引けてるぞ。本当にお前はでかいだけだな」
 後ろから飛んできた野次に、アークはかちんときて振り返った。にやにやと感じの悪い薄ら笑いをそばかすだらけの顔に貼り付けた、鷲鼻の少年がいた。目が合うと、鷲鼻の少年はにやりとした。
 肌が粟立つような気迫を感じた。しまった、と向き直ってももう遅い。切り上げてきたレニの剣に自分の剣を弾かれ、剣はアークの手を離れて宙を舞った。少し離れた所に、カランと乾いた音を立てて地面に落ちる。鋭く、重い剣撃――どうやったらこんなに上手く剣に力がのせられるのだろうと、痺れる手を振りながら思った。
 憤慨して鼻息を荒げるレニの剣の切っ先が、喉元に突きつけられる。
「お前なぁ、もうちょっと集中しろよ。相手から目を逸らすなんてこと、戦場でして見ろ」
 こうなるぞ、と怖い顔をしながらアークの喉元を切るまねをして、首の皮ぎりぎり所で切っ先を右から左へ滑らせる。アークはこくり、とつばを飲み込んだ。
 鋭く冷たい剣の切っ先は、人間の柔肌など容易く切り裂く。戦場にはその肌を切るか切らないかを選択する、慈悲や容赦という感情の居場所はない。
 先日のナキア森での一件が思い起こされる。化け物は、アークに情けなどかけなかった。レニは、化け物に容赦などしなかった。一瞬一瞬に、自分が次の瞬間呼吸ができ、心臓が鼓動できるかがかかっている。自分がやらねば、やられるしかない。それを、先日身を持って体験したばかりだった。
 治りかけの腕の傷が、ずくんと疼いた。
 レニは剣を収め、アークの後ろにいる鷲鼻の少年を睨みつけた。
「邪魔すんなよオレン」
 鷲鼻の少年が、顔いっぱいに散らかるそばかすを歪めて意地悪くにやつく。
「邪魔だなんてとんでもない。先輩としてちょっとした助言をしてやったのさ」
 そう言って、オレンはアークを見やり鼻で笑った。後輩に助言をする先輩の優しさはどこにもなく、明らかに人を馬鹿にする笑い方だった。
 オレンの言うとおり、自分は腰が引けていたのかもしれない。しかし、人を故意に苛つかせる態度に怒りを覚えた。冷ややかな視線で、オレンを見下ろす。
「そうゆうの、余計なお世話っていうんですよダリアス先輩」
「そうだぜオレン。嫌味なおせっかいも大概にしておけよ。この悪趣味野郎」
 威嚇するアークとレニに、オレンは肩をすくめた。
「おお怖い。ベッセル、入団当初の控えめな態度はどこにいったんだ? あの頃はこんな生意気な口はきかなかったのに」
「ダリアス先輩が突っかかってくるからでしょう。僕だってうんざりする事くらいありますよ」
 眉を思いっきり顰めながら、アークはオレンを見下ろした。
 アークはこの年上の先輩騎士、オレン・ダリアスが嫌いだった。ルフト(騎士区分)の中でも名門と名高いダリアス家の長子であるオレンは家柄や身分にうるさく、アークのようなダイン(平民区分:商業者・農業者・その他一般市民)やガナン(技能者区分)等の出身の騎士を嫌っている節がある。
 その中でも特に背が高く目立つのに、剣の腕がからっきしなアークはいい標的なのだろう。徴兵を受けて騎士団に入ってからというもの、目の敵にされている。近くを通るたびに嫌味を言われたり、些細な事で馬鹿にされたりして、いい加減うんざりしていた。いくら人当たりの良いアークでも、仲良くなりたいとは到底思えない相手だ。
 オレンは敵意をむき出しにして睨みつけるレニを歯牙にもかけず、ひたとアークを見据える。長身のアークを見上げてはいるが、その視線は明らかに人を見下す、冷たく驕った光を湛えていた。
「そうそう、傷の具合はいかがかな?」
 わざと気取ったように、アークに問いかける。その言葉にはアークへの気遣いの心など欠片も含まれておらず、不快感を覚えるほどだ。
「……先輩に気にしてもらうようなことじゃないですよ」
「何を言う! 可愛い後輩が怪我をしたんだぞ。ああ、なんてかわいそうなベッセル」
 オレンが大げさに胸を押さえて苦しむ振りをする。その下卑じみた演技に、アークは徐々に苛立ちを募らせた。落ち着け、いつも通り受け流してしまえばいいと、自分に言い聞かせた。安い挑発に乗るなんて、愚かな事だ。
 そう考えながら、アークは今にも飛び出していきそうなレニの腕をしっかりと押さえていた。喧嘩っ早いレニは、放っておいたら今すぐにでもオレンを張り倒しかねない。
 反論をしないアークに気を良くしたオレンは、声の調子を上げた。
「おい、お前いい年して暗い所が怖いんだってな。夜の森はさぞ怖かっただろうなぁ。班からはぐれるくらいだからな」
 怒りと羞恥に顔がほてる。耐えろ。こいつは僕の苛つく反応を楽しみたいんだ。ここで食らいついたら思うつぼだ――
「臆病な上に、でかいだけで剣の腕もない。そこの小さなお友達がいないと何もできない甘ちゃんだもんな。世話が焼けるだろう、レニ。俺ならこんな面倒な木偶の棒の友人になるなんて、御免だね」
 見下し、薄ら笑いを浮かべる。憤慨してオレンに掴みかかろうと暴れだしたレニを、アークは手に力を込めて抑えた。その手を、レニは鼻息も荒く振り払う。
「止めんなよ! お前もちょっとは言い返せ!」
「落ち着いてよ」
 レニの腕を引っ張り、アークはそっと耳打ちをした。
「オレンの口車になんて乗るなよ。先に手を出してみろ、あいつの思うつぼだ。オレンは実際ああだけど、外面はいいだろ。隊長に受けがいい優等生と、悪戯三昧の問題児。殴り合いの申し開きをしたら、隊長がどっちを信用するかなんて目に見えてるだろ」
 レニはうっと言葉を詰まらせる。しかし、レニは「でも」と続けた。
「お前、あんなに言われて悔しくなのかよ。俺は悔しい。猛烈に腹が立つね」
 言って、レニはこぶしを握りしめた。
 しかし、顔を真っ赤にして怒るレニを見るだけで、アークは胸がすっとするようだった。どうしてレニがこんなに怒っているのか。それを考えると、オレンへの怒りなどアークにとって取るに足らないことだ。
「悔しいさ。でも、僕のことならどうにでも受け流せるから。物騒な事はあんまり好きじゃない」
 だから大丈夫、と言って、アークは肩をすくめて見せた。レニは納得いかないようだったが、「わかったよ」と、諦めたようなため息をついた。
「内緒話は終わったか?」
 からかうようなオレンの言葉に、アークとレニは視線を戻す。そのふたつの視線には、もうオレンの挑発に乗せられた怒りは宿っていなかった。
「ええ、終わりましたよ。二人の意見がまとまった」
「嫌味な先輩は、無視をするに限るってな!」
 レニがにやりとしながら、オレンに向かって言い放った。そうして、二人そろってオレンに背を向け歩き出した。
 しかし、二人が二、三歩足を進めたところで、急にオレンは声を凄めた。
「そのまま小汚いレストランに帰れ。お前みたいな木偶の棒は騎士団の面汚しだ、さっさと帰って戻ってくるな」
 二人の足が止まる。唾を吐き捨てるように言ったオレンの台詞に、アークは全身の血が沸くのを感じた。小汚いだと――
「お前なんかあのまま森でイラの餌になったほうが良かったんだ。お前みたいな身分の卑しい臆病者がいたら、騎士団の名が穢れる。足手まといなんだよ――」
「いい加減にしろよ!」
 アークが止めるよりも早く、再び頭に血が上ったレニはオレンにつかみかかった。胸倉を鷲掴む。余裕の表情をしていたオレンの顔が、首元を締められて次第に赤みを帯びてくる。
「お前! 言っていい事と悪い事も分からないのか。イラの餌になったほうが良かっただと? ふざけんな!」
「離せ、このチビ」
 威勢は良くとも小柄な体格が災いしてか、レニの拘束は簡単に振り払らわれ、突き飛ばされる。よろめいて悪態をつくレニを、アークが受け止めた。オレンの乱暴さに、また苛立ちの炎が胸の奥でくすぶり始める。嫌味を言われつつも振り上げなかったこぶしを、ぎりりと握った。
 振り上げるべきなのだろうか。感情のままに相手を殴ったら、この胸の奥にくすぶる怒りは晴れるのだろうか――こぶしに力を込める。流れ込んだ怒りの波が、熱を帯びたような気がした。
「乱暴は、やめてくださいよ」
「口だけは達者だな、臆病者。向かってくる根性もないのか」
「向かっていっても先輩を楽しませるだけでしょう。無駄な争いは避けたいんですよ、僕は」
「馬鹿が。それを根性なしって言うんだ」
 アークを完全に敵視したオレンの険しい視線が突き刺さる。
「俺はなベッセル、頭にきてるんだよ。この間の演習で確信したんだ、お前は騎士団のお荷物以外の何者でもない。臆病者で、根性なしの役立たずだ。さっさと騎士団から去れ! 異国の変な肌の色した蛮族の息子が、神聖な騎士団でのさばるなんて許されないんだよ!」
 アークの中で、何かが切れた気がした。
 父さんが、蛮族だって――?
 我慢の限界だった。血が沸騰し、燃え上がった怒りの感情に押さえが利かなくなりそうだ。
 許せない。
 使い古した油のようにどろどろした黒い感情が湧き出し、沸いた血を一気に頭に上らせる。アークは支えていたレニの体を脇に押しやり、オレンに向かって飛び出していった。
 素早く詰め寄ったアークは、先ほどのレニと同じようにオレンの胸倉を鷲掴んだ。そのまま首が閉まるのもかまわずに持ち上げると、オレンのかかとが地面を離れ、体重を支えるには頼りない爪先立ちになる。オレンの怒りの表情は苦悶の表情に変わり、空気を求めて苦しそうに歪んだ。
「僕のことはどうとだって言うがいいさ。でも父さんの事何も知らないくせに悪く言うなんて許せない! 父さんは蛮族なんかじゃない。取り消せ!」
 オレンの胸倉をつかんだ手を乱暴に揺する。それに合わせて、オレンの体がぐらりと揺れた。苦しそうに呻く。
「アーク、そんなに締めてちゃしゃべれないぜ」
 アークの腕を叩き、レニが制する。アークは突き放すようにして、オレンの胸倉を離した。突然支えを失ったオレンは、一気に気管に流れ込んできた空気にむせ、咳き込みながら地面に座り込んだ。
 見下げてくるアークとレニを、オレンは恨めしげに睨み上げた。呼吸が整うと素早く立ち上がり、こぶしで手のひらを叩いてみせる。謝る気はないということだ。
 このオレンの態度に、ついにアークとレニの堪忍袋の緒が切れた。二人そろって挑発に乗り、こぶしを揉んで指を鳴らす。
 一触即発の、ぴりぴりとした空気が流れた。次に誰かが手をぴくりとでも動かせば、殴り合いが始まってしまいそうだ。
 しかし、オレンはアークを睨み付けた目をすっと逸らし、アークの後ろに視線を向けると一瞬顔を曇らせた。舌打ちして、くるりと背を向けてしまう。
「逃げるんですか」
 アークの挑発に、オレンは乗らない。無視を決め込み、アークたちから離れていった。
 オレンの戦線離脱に、レニは怒りが半分、もう半分は拍子抜けしていた。せっかく臨戦態勢だったこぶしの力を抜く。
「なんだぁ? 言うだけ言って逃げやがった」
 アークも訝しく思ったが、オレンが自分の背後に視線を向けたことを思い出した。振り返ってみると、訓練を開始するために現れた隊長が、調練場の門扉の所に立っていた。合点がいった。オレンは隊長の不評を買いたくなかったのだ。
 オレンは大人からの評価を気にして行動し、先ほどのような相手を罵る言葉は周りに大人がいないときにしか口にしない。特別媚びたりおべっかを使ったりはしないものの、大人の前では良家の長子らしい品のある優等生に早変わる。自分に突っかかってくるだけでなく、その激しい裏表もアークは苦手だった。
 隊長は誰かを探しているのか、きょろきょろと少年兵で溢れる調練場を見回している。アークに続いて振り返ったレニが、隊長を見るなりさっとアークの陰に隠れた。
「えっ、何?」
 嫌な予感がよぎる。レニは頭を掻きながら、へらりと笑った。そして、よりしっかりアークの陰に自分の体を隠した。
「おい、しっかり壁になってくれよ。見つかっちまう」
 またか。当たって欲しくなかった予感の的中に、オレンへの怒りで力んでいた体が脱力した。呆れのあまり、すっかりと毒気を抜かれてしまった。
「今度は何したんだよ。こんな朝っぱらから……」
「こっち向いてしゃべんな! ばれちゃうだろ」
 肘で小突いてくるレニに、アークは肩をすくめて背を向けた。
 深いため息をつきながら、調練場を見回す隊長を見やる。意図せず目があってしまい、アークはどきりとした。途端に、口を真一文字に結んだ隊長が、アークに向かって歩を進めてくる。アークの陰に隠れてレニの姿は隊長からは見えないはずなのに、その足取りは確信に満ちていた。
 隊長が近づいてきていることにまだ気が付かないレニは、にやにやと笑っていてどこか楽しそうだ。
 アークたちのひと悶着も落ち着き、それぞれに柔軟運動や素振りを始めた少年兵たちの間を、隊長は縫うようにして近づいてくる。そばを通られた少年兵は隊長が向かう先を予測して「またか」と呆れ、またある者は「今度は何だろう」と興味深げにアークたちを見た。
 再び集まる視線に、先程よりも心に余裕のできたアークは顔に熱が集まるのを感じた。原因を作ったレニを怒ってやりたいが、今は大人しくしているべきだと思いとどまった。これ以上注目を集めるのなんて、ほとほとごめんなのだ。
「レニ、残念だけどさ、隠れたいなら僕のそばにいないほうがいいんじゃない」
「なんで」と問いかけるような視線を向けるレニ。答えようとしたアークの肩に、手が置かれた。
「ベッセルの長身はいい目印だからさ、ヴォルテール」

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