BENNU | ナノ


▼ 024 古の王国

「さあ。長い、長い、昔話をしようか」
 開いた突き上げ式の窓から、透明な朝日が注いでいる。薄いヴェールのような透明な光りの帯に細かな埃がきらきら舞って、空気のうねりを映し出す。その光りに埋もれるダアトの表情は、逆光の暗がりに隠れ、読みとることができなかった。
「約三百年前に竜族がこの大陸を蹂躙した争い、『世界の嘆き』が起こった理由を、君は知っているかい?」
 問われ、アークは首を振った。
「すみません、僕、歴史とか聖典の内容については、あまり……」
「聖典、及び歴史書には」と、ラナが引き継ぐ。
「『世界の嘆き』以前の旧暦の時代、ここエパニュール大陸には一つの国が興っていた。その国の名は、『エラグリフ王国』――竜族が統べる国だった」
「そのとおり」とダアトは頷き、宙に手をかざした。指先から薄紫色の光が溢れ、一頭の竜を象っていく。さらに光は広がり、王城、城下町、行き交う人々の姿を光の粒が形作り、立体的な当時の風景を、円となって座っている彼らの中心に映し出した。
 ダアトに目で促され、ラナが続きを話し始める。
「エラグリフ王国は、生まれ持った魔力量によって国民が序列化されていたそうよ。支配層と被支配層に分けられ、それは生涯覆ることがない。その頂点が竜族で、最下層は魔力を持たない人間や亜人だった」
 光の風景の中で、竜が火を吹いた。蝋燭の火でも吹き消すような吐息で、束になった人間たちが、なすすべもなく炭となって崩れ去る。炎を逃れた残りの者らは、否応なしに竜に傅くしかなかった。
「しかしあるとき、竜族による独裁的な恐怖政治に、異を唱える者たちが出始めたの。彼らは主に、大小はあれど魔力を操る力を持った者たち、『ヲドル』と呼ばれる中間層の者たちだった。その筆頭が、後の聖祉司が一人、ハヴァ・ナルという人物よ」
「ハヴァは、」とダアトが口を開きながら、細い指をすっと横に引く。すると光の風景の中に、一人の男の姿が現れた。
「人を引き付ける不思議な魅力を持っていた。魔力を持つヲドルだけれど、当時奴隷のように扱われていた魔力を持たない者らにも気さくに接する、誰に対しても壁を作らせない人だった。政治学、哲学、魔術、大衆の娯楽……何に対しても好奇心旺盛で、なんでも吸収したがった。その中でとりわけ彼が好んだのは、力は無くとも手先の器用な人間たちの物作りの才や、音楽や演劇といった文化だ。力以外にも価値あるものはある――ずっと、そう私たちに説いていた」
 アークは目を凝らし、ダアトの光りで作られたその人物を観察した。
 少年と言い表してもいいほど、小柄な人物だった。目はぎょろりと大きく、鳥の巣のように絡まった髪は踵に届くほどに長い。光の風景の中の彼は、多くのヲドルや亜人、人間に囲まれていた。
 またダアトがすっと指を動かすと、ハヴァと民衆のうちの三人が、ぼうっとうすら白い光りを湛えた。
「この白く光る四人――カナン族のハヴァ、エトスエトラ族のダアト、ジャハダ族のロクサーヌ、人間のセヴル。この四人が中心となって、竜族への反乱を始めるの。それが聖典エル・アリュード、聖説の第一章のはじまりよ」
 四つの光りが民衆を率い、王城へ向かって進撃を始めた。剣戟と竜の爪がぶつかり合い、ヲドルの放つ魔法がアークの目の前でぱっと火花を散らす。ダアトの紋章陣に封じられ身動きの取れなくなった竜が、一頭、また一頭と民衆に倒され、数を減らしていった。
 そうして王城へと後退してひとかたまりになった竜族を、ハヴァが大規模な結界を張り城に閉じこめる。城の真上の空に、巨大な紋章陣が現れた。ハヴァと高位のヲドルたちが魔力を振り絞り、『異界(アグニス)』への扉を開いたのだ。暗黒渦巻く異界の口が、王城と竜族たちを吸い上げる。
「異界とは、現世と幽世との狭間の世界。聖典では『混沌(ヘムト)』と呼ばれる、悪心をはらんだ魂の迷い込む道で、煤に溢れる異空間のこと。この異界へと竜族を封じるために、四人は十の楔を打ち、巨大な結界をエパニュール大陸に布いたの」
「エトスエトラの人柱による、『リベラメンテの楔』だね」とシバ。
「そうよ」とラナが続ける。
「エラグリフ王国首都を中心にして円状に楔を打って巨大な結界を布き、竜族を制圧する術としたの。同時にエラルーシャ教を広め伝えることでそれは人々の祈りの基となり、その祈りが大本の術者であるハヴァに注ぐことで、さらなる魔力を生み出すからくりを作り出したのよ」
「楔の建設に、布教……途方もない、話だね」
「そう、途方もなかった。私たちが反乱を始めてから竜族を封印するまでに、百年もかかってしまった」
「ひゃ、百年?」
 驚いて、アークは言葉に詰まった。だって、そんなの不可能だ。そう思いながら、光の風景の中で白く光る人物の一人を見る。
 ラナはあの中の一人を、「セヴル」と呼んだ。聖祉司の一人のセヴル。即ち、フランベルグ王国を建国した、初代の王だ。人間は、百年も生きることなどできない。
 その疑問を見透かしたように、シバが言った。
「聖典曰く、聖祉司――『神より授かりし聖なる恵みを司る者』の奇跡だそうだね?」
「奇跡。まあ、そうゆうことになっていますね」
 苦笑しながら、ダアトは答えた。シバは心得たように「ふうむ」と唸るけれど、アークにはさっぱりだ。見かねたラナが、「そのうち分かるわ」と小声で言ってくれた。
 ひとつ咳払いをして、ラナが逸れてしまった話を元に戻す。
「楔の建設、信心の掌握と、反乱軍の編成――そうした戦の変遷を経て、竜族は彼らの城ごと異界に封じられたの。そこから、四人の聖祉司たちは新しい国を築き、破壊された人々の暮らしの仕組み修繕し、疲弊した人々にエラルーシャ教という心の指標を説いて広め、大陸と民衆の心を再生させていった。そして、竜族のいない現在に至る」
 ラナがそう締めくくると、ダアトが指を水平にすっと引く。すると、王城の消えた場所に、新たに巨大な神殿が建設されていく様が映し出された。後の聖都ジェノの姿である。
「確かに、ラナの言うとおり、歴史書などにはそう書かれている。けれど――私たち聖祉司が作ったその大陸再生の歴史には、とても大切なことが抜け落ちているんだ」
 少し俯きながら、ダアトは小さく呟いた。ラナも口を噤み、目を伏せる。
「大切なことなのに、歴史書には書かれていないの?」
 訝しく思いそう問うが、それに答えたのはシバであった。
「書かれないのではない。書けない、ということかの」
 深く思案するように背を丸めたシバの言葉に、ダアトが無言で頷いた。そしておもむろに両手を宙に差し出し、また光りを集め始める。四人の中央の空間に映し出されていた巨大な神殿の風景は薄くなり、代わりに先程までの凄惨な市街戦を繰り広げる町並みではなく、活気ある町並みが映し出された。
 様々な種族が入り乱れていた。人間もいれば、亜人もいる。魔力を扱うヲドルと呼ばれる者たちによる、不思議な魔法具を並べた賑やかな市場や、町の広場で遊ぶ子供たちの楽しげな姿。それらは、平和そのものであった。同じ町並みでも、状況が変わればこうも変化するのだと、アークは興味深くダアトの作りだした光の情景を眺めた。そうして気付く。
 先程、ラナがエラグリフ王国は魔力の強さによって完全に序列化された国だと言わなかったか。しかし、目の前の風景には、その気配はない。魔力を持たない人間が興味深げに魔法具を品定めしたり、人間の子とヲドルらしき子供とが遊んでいたりする。そこに映る人々は、皆対等に生活しているようにアークには思えた。
「もしかして……竜族が、いない?」
「よくわかったね」
 ダアトが嬉しそうに微笑んで指を横に引くと、光の風景が流れ、町の中心にある王城へと移った。堅牢な城門を抜け、豪奢な彫刻が施された柱が並び立つホールを通り、臙脂色の絨毯が敷かれた階段を上へと昇る。金の手摺がつるりと光っていた。甲冑を纏った衛兵を通り越し、絵画の飾られた回廊を奥へと滑るように進んだ後。金の扉を開けた玉座の間にいたのは、想像した通り、竜ではなかった。小柄な体躯に、鳥の巣のような長い髪の男。
「さっき、民衆を率いていた人だ。えっと、確か――ハヴァ・ナル?」
「そう。ハヴァ。彼が、この平和な国を築いた王だ」
「王? ハヴァは聖祉司じゃないの? あれ、変だな……」
 旧暦の象徴たる竜の国無きあとは、新暦として聖祉司が国を作ったはずだ。それがフランベルグ王国と、ヘレ同盟国、宗教都市ジェノ。竜族を封印した後には、この三国が興るはずではなかったか。
「これ……いつの時代の話ですか?」
 そう問えば、ダアトが手を振り、光の風景をかき消した。四人の中心の空間には、バルクラム族の刺繍が施された敷物をひいた、シバの家の床が戻ってくる。すっかり中身の冷めた湯呑みが四つと、お香の細い煙の立ち上る香炉が、ぽつんと彼らの中心にあった。
「この時代は、どの文献にも聖書にも、記されていない」
 草原の風も凪いだ奇妙な静寂の中で、ダアトの言葉が、凛としてアークの耳に届く。
「私と、他の聖祉司によって消された。……消さねばならなかった!」
 ダアトの語気が強まる。胡坐の中心で握っていた彼の拳は、いつの間にか関節が白むほど強く握られていた。
「この国の名は、『ヲルタニア王国』。エラグリフ王国滅亡の後、ハヴァが作った国……誰もが平等に暮らせた、私たちの理想郷だった。それを――エトスエトラが、壊してしまった」
 光に縁取られた影の中で、ダアトの顔が歪んだ。――ように見えた。
「エラグリフ王国時代の最後、ハヴァ率いるヲドル勢が、多大なる犠牲を払って一度竜族を異界へと封印していたんだ。それを、後に興った彼の国、ヲルタニア王国時代に……エトスエトラが、解き放ってしまった。そうして起きた戦の姿が、今見せた聖祉司のいる光の風景。この時代で語られる『世界の嘆き』だ」
 きつく握られた拳をこわごわと開き、また指を四人の中心へと向ける。すると敷物の上に、四人の聖祉司の姿が浮かび上がった。アーク達と同じように、四人で円を描いて立っている。
 その中心に、もう一人の人物の姿が浮かび上がった。
 年の頃は十代の後半あたりか。短い金髪に、燃えるような緋色の瞳。眉間に皺を寄せながら立っている。くたびれた旅装は煤けて汚れており、若さに似合わぬ濃い疲労感が漂っていた。
「中心に立つ人物が、この当時のブロウ。彼は大陸側の味方に付いた、たったひとりの竜だった」






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