BENNU | ナノ


▼ 003 三人の食卓

 蒼き草原の国、フランベルグ王国のナキア森より少し北。王都フラムの城下町の片隅に、アークの父が営むレストラン『踊る小鹿』はあった。
 古ぼけた小さなレストランは、大通りを隔てて斜向かいにある大きなレストランと比べると、とても埃っぽく貧相に見える。時代遅れのレースのカーテンが風に揺れ、入り口に吊るしてある年代物の看板は端が黒ずんでいる。
 それでも、温かみのある淡黄色の壁の前に飾られたたくさんの鉢植えには、燦々と輝く陽光をいっぱいに浴びた白い花が生き生きと咲き誇っている。道行く人々に笑いかけるような純白の花があることで、古びたレストランには人を和ませる優しい雰囲気があった。
 昼時の狭い店内は人で溢れていた。食欲をそそる匂いや、楽しそうに雑談する声。かちゃかちゃとおしゃべりするように音を立てる皿、フォーク、ナイフ。食事という娯楽を楽しむ人々が、思い思いの時間をすごしていた。
 その店内の一番奥のテーブルに、アークたちはいた。三人だ。アーク、レニ、そしてもうひとりの親友のウッツだ。
「それで、二人そろって迷子になったってわけ」
 こみ上げる笑いを抑えようと、レニの前の席に座っているウッツは肩を震わせた。
 アークはかっと熱が駆け上がってくるのを感じた。それを隠すように俯き、目の前に置かれたサラダに乱暴にフォークを突き刺す。シャキッというみずみずしい音。ドレッシングがはね、木のテーブルに小さなしみをいくつか作った。
「しょうがないだろ。だって……ほら、ウッツも知ってるだろ?」
「暗いところ、苦手だっけね」
「みんなには置いていかれるしイラは襲ってくるし……最悪さ。それに真っ暗な森の中……ああやだ、二度と行きたくない」
 刺したついでに、葉菜を口に運ぶ。口に届く前に、ぽろりと落ちた。
 アークの傷ついた腕は包帯が巻かれ、幾分動かし辛い。そこまでひどい傷ではなかったのに、医療班が大げさに手当てしたせいだ。不自由な手での食事動作に、上手く食べる事ができない。
 ナプキンでテーブルを拭い、フォークを置いた。今はあまり食欲がない。手を動かす事も億劫だ。
 暗闇で手足がすくむ。幼いころから、アークは暗闇への恐怖が拭えなかった。夜、床につく時も、明りの灯された小さなランプを常に枕もとのサイドボードに置いている。
 見えないことへの恐怖も勿論だが、狭い場所に閉じ込められたようになる暗闇の圧迫感もまた恐ろしかった。喉が引き攣り、息苦しさを感じるのだ。
 森でひとりになったことを思い出し、途端に闇の中に放り込まれたような感覚に陥る。背筋が震えた。
 レニがグラスの水を飲み干し、テーブルに置く。
「ウッツ、迷子なんかじゃねぇって。俺がいなかったらアークは今頃墓の下だぜ」
「縁起でもないこと言うんじゃないよ」
 ウッツが眉を顰める。そんなウッツの言葉を「はいはい」と聞き流し、レニはにやにやと頬を弛緩させた。
「なあ、やっぱりさぁ、俺格好良かったよな? 親友の危機一髪の場面を救った英雄、レニ・ヴォルテール! うわぁ、最高。うん、こりゃ女の子がほっとかないよなぁ」
 女子にちやほやされる自分を想像してか、だらしなく頬を弛緩させる。そんなレニの様子に、ウッツはぶっと噴き出した。
「おめでたいやつ」
 その一言で精一杯だったのか、ウッツはひいひい言いながら腹を抱えた。レニが不満げに唇をとがらせる。
「なんでだよ」
 ウッツはどうにか笑いを収めながら、レニに向き合う。目には笑いすぎて涙が滲んでいた。
「アークを助けたまでは、お前の言うとおり格好よかった。親友のために夜の森に突っ込んで行って、化け物から救い出す。なかなかできることじゃないよな。でも」
 喉の奥に笑いを押し込め、ひくつく頬を隠すように口元を手で覆う。
「最後が駄目だな。迷子を見つけ出したって、帰り道が分らなきゃ立派な迷子がもうひとり誕生だ。自覚しろよ。そのことが分らないお前は馬鹿だよ。もてない。格好悪い!」
 畳み掛けるようなウッツの言葉に、レニは赤面した。反論の言葉が思い浮かばないのだ。口喧嘩ではウッツに勝てた試しがない。
「畜生」と悪態を付きながらグラスに手を伸ばす。しかし既に飲み干した後、グラスは空っぽだ。それが分かってまた一つ、盛大に「畜生!」と悪態を付いた。そんなレニが面白くて仕方がないのか、ウッツはまた笑い出した。
 その二人のやり取りを、アークはぼうっと聞き流していた。言葉が耳をすり抜けて、ふわふわと周りで浮いている。それとは反対に、ずくずくと痛む傷の存在だけをはっきりと感じた。
 うらやましい。
 屈託なく笑うウッツを見ながら、アークはそう考えていた。
 ウッツはアークやレニよりも三つ年上の十八歳だが、騎士団には入団していなかった。
 ウッツは長身のアークよりも少し大きい。鉄を鍛える重い槌を扱う鍛冶屋の息子のためか、筋肉がしっかりと付き、無駄な脂肪のない引き締まった体だ。細見ではあるものの、華奢さは感じられない。アークも同年代の友達に比べたら体格もよく、力もある。しかし、腕相撲でウッツに勝ったことは一度もなかった。
 そのウッツが騎士団に入らないのは、幼いころに負った右足の傷のせいだった。右足を引きずるようにして歩くウッツの動きは、とても緩慢で鈍い。そのせいで騎士には不適とされ、徴兵を免れたのだ。
 足の傷の事を考えると申し訳ない気もするが、羨む気持ちは消せなかった。
 戦う事も、剣で人を傷つける訓練も苦痛だった。今はまだ訓練段階で、前線に出される事はないだろう。しかし、亜人と戦うための訓練をしているのも事実。
 これから先イラが増えたら、ヘレ同盟国との関係が悪化したら――戦いに駆り出されるかもしれない。
 その不安が、頭から離れなかった。そうなれば、アークも人に向かって剣を振るうことになってしまう。そんなこと、想像したくもなかった。
 アークにとっての刃物とは包丁、料理をするためのものだった。何よりも大事で、神聖な道具。おいしい料理を作り、人を笑顔にするためのもの。幸せな時間を築くための道具だ。
 それがなぜ、戦争の道具に利用されてしまうんだ。確かにフランベルグを攻めてくる亜人は嫌いだ。でも亜人だろうが人間だろうが、流れる血は同じはず。争って血を流しても、幸せなことなんて何もない。ただ「痛い」だけなのに――
 腕をさする。思わず、ため息が漏れた。
「傷が痛むのか?」
 ウッツが心配そうな顔で覗き込んできた。心から自分を気遣ってくれているとかわる、優しい目だ。
「大丈夫。ちょっと考え事してただけだよ」
「口数も少ないし、顔も硬いよ。まだ本調子じゃないんだろ」
 呆けてはいたが、そんなに顔に出ていたんだろうかと、アークはどきりとした。
 その動揺も察したのか、ウッツは肩をすくめて見せた。
「ばればれ。アークに隠し事は向いてないよ。すぐ顔に出るから」
 そうなのか――見透かされているようで、何だか恥ずかしかった。
「そうそう。困ったもんだぜ。隠すならもっと上手く隠せっての」
 レニがにやりとして、アークを見上げる。
「どうせ下手なんだからさ、平気な振りとかすんな。それにさ、アークがずっとそんなんだと調子狂うんだよなぁ。俺とウッツの口論止めるのはアークの仕事だろ。黙りこくっちゃって、らしくねぇ。いつもみたいに「いいかげんにしろ!」って怒鳴ってみろよ」
「なんだレニ、お前アークに怒鳴られたかったわけ?」
「馬鹿! そうゆう意味じゃねぇよ!」
 アークを元気付けようとおどけたレニを、ウッツがまぜっかえす。その掛け合いがあまりにも息ぴったりで、アークは噴き出した。腹の底から笑いがこみ上げ、もやもやとした気持ちが吹き飛んでいく。二人があっけに取られる中、アークは笑い続けた。
 ふざけているようでも、自分を励ましてくれる二人の気持ちが嬉しい。ありがとう。照れくさいから口には出さないが、心の中でそう呟いた。
「わかった。次はお望み通り怒鳴ってやるからな、レニ」
 眦に滲んだ涙を拭いながら、アークはにやりとした。レニがちぇっと舌打ちをする。
「元気じゃん。そんだけむかつく口が利けるんなら心配いらねぇや」
「心配ないよ。大丈夫だから。怒鳴って欲しいときは遠慮なく言ってよ」
「良かったなレニ。アークに怒鳴ってもらえるなんて。うん、幸せものだお前は」
「くっそ、お前らあとで絶対後悔させてやるからな」
 ふざけるアークとウッツに、レニは頬を引きつらせた。アークはウッツと視線を交わす。にかっと白い歯を見せるウッツに、何だかほっとする。
 ウッツは「あっ」と何かを思い出したように、パンっとテーブルを叩いた。
「そうだよ、今日俺はレニをからかいに来たんじゃないんだった」
 何だと、と食ってかかろうとするレニには気も留めず、ウッツは席を立った。
「どこ行くの?」
「食事しながらするような話じゃないんでな。アーク、お前の部屋借りてもいいか?」
 訝しく思いがらも、とりあえず頷く。残してしまったサラダや空の食器を取りあえず厨房に下げ、自室へと二人を案内した。

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