▼ 019 涙
――最近君は自分自身に疑問を抱いてはいないか。
その通りだ。僕は他の人には聞こえないイラの声を聞いた。なぜ、僕だけが。
――私はこの子を君に託しに来た。
なぜ僕に。僕はラナなんて子、知らないのに。
――君の血が必要なんだ。
血。僕の血。それに何の力があるというんだ。『契約』って何なんだ。
昨晩気を失う前、確かに男の手にはナイフが握られていて、それが自分に迫ってくるのを見た。痛みは感じなかった。
しかし、やはり男の望むとおりアークの血は採られたのだろう。今朝着替える時に気が付いた。左胸に鋭利な刃物で切られたような、細い傷跡があったのだ。今はもう傷口は塞がっているが、剣を振るとまだ少し引き攣る。
これは、ベッドに眠る少女の存在と同様、動かぬ証拠なのだ。昨晩の出来事が夢ではなかった事の――
突然、腰に強い衝撃があった。その痛みに一瞬息が詰まる。振り返れば、少年部隊を取り仕切るノイマン隊長が険しい顔で立っていた。
「訓練中に考え事かベッセル。随分余裕じゃないか」
険しい顔をしながらそう言い、アークの腰をもう一度強く叩く。
「気を抜くな! 集中しろ馬鹿者」
そう喝を入れてからノイマンはアークの元を離れ、素振りを続ける少年兵の見回りへと戻った。
「珍しく怒られてやんの」
右隣から、嬉しそうににやつくレニが見上げてくる。
「アークがノイマンに怒られる事なんて滅多にないからなぁ。いいもん見せてもらったぜ」
くつくつと喉の奥に笑いを押し込めながら、レニはアークをからかった。しかし、レニの想像した様な反応は返ってこない。昨晩の出来事を思い返す事に忙しく、レニの言葉は頭を素通りしてしまっていた。
様子のおかしいアークに、怪訝そうに眉を顰めた。
「なんだよ。どうかしたのか」
レニの問いに、アークは生返事を返すだけでその先の言葉には繋がらない。ただただ訓練通りに剣を振るだけで、レニを見ようともしなかった。そのはっきりしない態度のアークに徐々に苛立ち始めたレニは、思わず剣を振る手を止めて声を荒げた。
「お前なぁ、何か隠してるのはばればれなんだぜ。最近そんな態度ばっかりだ! いい加減に――」
「誰が剣を置いていいと言った!」
雷の様な怒鳴り声に、レニは勿論周りで真面目に素振りをしていた少年兵達まで驚いて体を強張らせた。レニがしまったという顔で、鬼の様な形相のノイマンを振り返る。
「私語は慎めヴォルテール!」
「も、申し訳ありません」
明らかに不本意そうな顔で謝るが、ノイマンの拳は容赦なくレニの頭に落ちる。そしてその騒ぎに思わず手を止めてしまった少年兵達に素振りを再開するように大声で指示を飛ばし、再び見回りに戻って行った。レニも「お前のせいだからな」と言わんばかりの形相でアークを睨みつけてから、再び剣を振り始める。
その周囲の騒ぎも、不満げなレニの文句も、アークの耳をすり抜けてゆく。
――一人に……しないでよ。
胸に刺さる様に切なく、寂しげな少女の声が頭の中を繰り返し巡る。
少女――ラナは、少々乱暴に揺すっても全く目を覚まさなかった。彼女に触れて感じた人の体温と密やかな寝息がなければ、死んでいるのかと勘違いしてしまいそうだった。
眠る少女を前に、アークは狼狽した。この子を、いったいどうすればいいのだろうか。
父親に言うべきなのかどうか散々悩んだ挙句、訓練の時間に追われていることを自分への言い訳にして家を出た。つまるところ、何もしなかったのだ。ただ「部屋には入らないでくれ」と伝言を残し、眠るラナをそのままにして訓練に逃げ込んだ。
考える時間が欲しかった。目まぐるしく襲い来る周囲で起きる出来事を、冷静に見つめる余裕が必要だった。
しかしいくら悩めど、答えなど微かにも見いだせない。堂々巡りの思考を立ち切りたくて、剣を振る手に力を込めた。しかし、それは何をも立ち切る事は出来なかった。逆にどんどん答えのない問いが絡みつき、剣が重く感じてくる。それでも、手を止めたくなかった。止めてしまえば、途端にローブの男への、少女への、己への疑問が溢れだし、頭がおかしくなりそうだった。
「もう我慢ならねぇ」
昼の休憩時間になった途端レニはそう一言呟いて、アークの胸倉を掴んで鋭い目で睨み上げた。
「ちょっと来いよ」
乱暴に突き放し、調練場を出てゆく。アークは重い足を引きずるようにして足早のレニに付いて行った。
歩く間、レニは何もしゃべらなかった。黙ったまま調練場も兵舎も食堂も通り過ぎ、城下町へと続く道を歩いて行く。どこまで行くつもりなのだろうか。昼休みの時間は短い。あまり遠くまで足を延ばすと時間内に帰って来られなくなる。
「……レニ、いったいどこまで?」
恐る恐る尋ねると、少しの沈黙のあと低い声で答えが返ってきた。
「午後の訓練は、ばっくれる」
「そんな、隊長がなんて言うか」
「ノイマンなんて放っときゃいいんだ。とにかく付いて来い」
足を止めず、振り返りもせず、レニはぶっきらぼうに言った。
レニ、怒ってる――。
無口になる時は大抵そうだった。何か彼にとって気に食わないことがあると、血が上って沸騰した頭は言葉を見失う。
その原因は、はっきりしている。自分自身だ。浮かない顔をした自分に、レニとウッツが何度も「どうかしたのか」と問いかけてくれたのに、曖昧な返事しか返してこなかった。気が長い方ではないレニは、先ほどのやり取りで限界を迎えたのだろう。
とうとう騎士団の敷地を出て、城下町へと足を踏み入れた。しばらく無言で歩を進めると、まもなく西門から町の中央広場へと通じるエトルリア通りに出た。
昼時という事もあり、町は賑わっていた。客を呼び込もうとするレストランの溌剌とした店員に、小さな出店で売っているミート・パイのいい香り、家族連れで昼食を楽しもうとする人たちの楽しそうな話し声や、子供のはしゃぎ声で溢れている。
その中をレニと二人、無言で歩く。二人の間に流れる沈黙に息苦しさを感じた頃、レニがようやく口を開いた。
「なぁ、昨日からお前変だぜ」
振り向き、眉間に皺を寄せたレニが問うてくる。
「イラ討伐の後から、特に変だ。凱旋の時、ウッツと飯食った時、今朝の訓練中! 俺やウッツが何度お前にどうかしたのかって聞いた!」
言葉を重ねるうちに、レニの口調はどんどん強くなってゆく。それに伴って、アークはレニの剣幕に身を縮めた。
「今日なんて特に変だ。朝から俺と目を合わせもしないし、話しかけても上の空。なんだよ。一体なんだってんだよ!」
「レニ、僕は……」
「今度こそはっきり答えろ。なぁ――何か、あったのか?」
言葉に詰まり、唾を呑んだ。見上げてくるレニの視線はアークを捕えて離さない。彼の持つ剛直さが表れる、真っ直ぐな瞳だった。いつもならばこの瞳はアークが憧れを抱く、自分にはない強さ、素直さを湛えた、曇りのない双眸だ。
しかし今は、それが怖い。その瞳の前では隠し事が通用したことはなかった。
本当の事を言うべきなのだ。そんなことは始めから分かっている。
他人には聞こえないイラの声を聞いた。不思議な夢に出てきた見知らぬ少女を託され、見知らぬ男に『契約』と称して血を採られた。
僕には自覚のない自分の裏側があり、見知らぬ男がそれを知っている――
言葉にすることで、それを認めてしまうことが恐ろしかったのだ。それがアークの口を頑なに戒めた。
終ぞ返事のないアークに、レニは俯いた。
「俺にも……話せない事なのか? 俺、頼りないかな」
俯いたレニの声は、どこか寂しげで、落胆の色が滲んでいる。違う。そんな顔をさせたい訳じゃないのに。
「レニ、違うんだ。僕は」
「アークさんに……レニさん?」
言い訳を始めたアークの言葉を、幼い声が遮った。その瞬間、また頭痛が襲う。この感じ。覚えがある。
「……スクァール?」
振り返ると予想した通り、黒い癖毛に燃えるような緋色の瞳の少年、スクァールが立っていた。
二人の間に流れる重い空気を察したのか、声をかけたはいいが気まずそうに手揉みして黙ってしまった。交互に二人を見ては、小さく「ごめんなさい」と言う。
おどおどしたスクァールに、俯いていたレニが顔を上げて笑って見せた。
「なんで謝るんだよ。何やってんだ、散歩か?」
少々、無理のある笑みだった。ぎこちなく口角を上げ、引き攣った笑みはレニらしくない。
スクァールは頷くと、レニに近寄り縋るように団服の裾を握った。
「お城は、僕には少し堅苦しくって。わがままなのは分かってる。でも……」
レニの団服に、顔を埋める。
「あそこは、嫌だ。あそこにいるとブランカの事をいろいろ聞かれるんだ。いつ亜人が襲ってきたのか、どうやってブランカの防衛線の突破してきたのか――知らない。僕は知らないのに、そんなこと」
「……そっか。辛いよな、ブランカの事思い出すのは」
そう言いながら、レニはスクァールの癖毛を撫でた。
するとレニは何かを思いついたのか、曇っていた表情を無理やり晴らしスクァールの顔を上げさせた。
「なあスクァール、お前王都は初めてか?」
「うん、ブランカから出たことないよ」
「じゃあ、俺らが王都を案内してやろうか?」
レニの提案に、スクァールの表情はぱっと明るくなった。
「本当? 嬉しい、実はちょっと道に迷ってたんだ」
少し照れたように笑うと、スクァールはレニの手を取って歩き出した。手を繋がれたレニは、喜ぶスクァールに満足したように微笑んでいる。そうしていると、二人は兄弟のように見えた。
その少し後ろを、アークはとぼとぼと歩いた。レニがエトルリア通りに並ぶ店を説明している間も、気落ちしたままただ二人の後を追う。それに追い打ちをかけるように、波状的に頭痛が襲った。
なぜあの少年――スクァールの側にいると、頭痛がするのだろう。
痛むこめかみを押さえながら、先を歩くスクァールを見つめた。故郷を失ったのにも関わらず、気丈に振る舞う小さな背中。それがなぜ、何かの警告の様に会う度に鈍痛を覚えさせるのか。
視線を感じたのか、ふとスクァールが振り返った。冴えない顔のアークを見て、心配そうに問いかけてくる。
「アークさん、どうかしたの? なんだか、具合が悪そう」
「ううん、何でも……ないよ。大丈夫」
無理に笑顔を作る。顔が引き攣っているのが自分でも分かるほどだ。そんなアークを、レニは冷めた様な、しかしどこか憂いのある目で一瞥し、すぐに前を向いてしまった。
「いいんだよスクァール。ほっとけ、あんな奴」
「あの、でも……」
「いいんだって。ほら、前見てみろよ。中央広場に出たぜ」
前に向き直ったスクァールは、目の前に広がる光景に感嘆の息を漏らした。
フランベルグ王国の首都、王都フラムの中央広場は広い円形をしており、その周囲は色とりどりの花を植えた花壇に縁取られている。
地面は色石や硝子、貝殻、琺瑯(ほうろう)等が敷き詰められ、エラルーシャの神々をモチーフにしたモザイク画が描かれていた。知恵の女神アシーニが配下の使徒(マルアーク)を従え、荒ぶる獣神ウールヴヘジンとその眷族を平定する物語――フランベルグにおいて最も有名で、愛されている逸話の一つだ。
王都を十字に切る東西南北の大通りへと続くそれぞれの入り口には、フランベルグの国旗にも描かれる女神アシーニの化身、三つ目の大鷹の銅像が広場を守るようにしてそそり立っている。その佇まいは広場に出入りする者を見守っているかの様であり、紅玉をはめられた瞳は光を受けると生きているかのような煌めきを放った。
その中央広場で最も目を引くのが、円状の広場の中心に建てられた銅像だった。月桂樹の浮彫をされた子供の背丈程もある台座に剣を突き立て、その柄に両の手を乗せて泰然と遥か彼方を見据える一人の男。その肩には一羽の大鷹がとまり、優美な翼を広げている。
「フランベルグ王国の初代国王、セヴル一世――一代で王国を築いた、フランベルグの英雄さ」
銅像を見上げるスクァールに、レニは言った。
「約三百年前の旧暦の時代に滅びた古の種族――竜族と、このエパニュール大陸に住む者たちとの間で大きな戦争があったんだ。『世界の嘆き』……昔話くらいは、聞いたことあるだろう?」
「うん、少しなら。強大な力を持っていたはずの竜族の滅亡と、『世界の嘆き』を鎮め新たな世界の基盤を作った四人の聖祉司(せいしし)の話でしょ」
「よく知ってるな。あそこの馬鹿より賢いんじゃねぇか」
アークを見やり、嫌味っぽく鼻先で笑う。多少カチンときたものの、スクァールの手前、反論の言葉を飲み込んだ。
「その戦争は百年もの間続き、その時大陸にあった国、町、人々……ありとあらゆるものが壊れ、滅んでいった。その戦に終止符を打ったのが、スクァールの言った通り、四人の聖祉司さ。聖典曰く、『神より授かりし聖なる恵みを司る者』――。セヴル一世は、その内の一人なんだ」
二人につられ、アークもセヴル一世の銅像を見上げた。
この地に住み、エラルーシャの教えを知る者なら誰でも一度は耳にしたことのある逸話――聖典エル・アリュード、聖節最終項。神々の力を賜った四人の人物が、竜族との百年にも続く戦争、『世界の嘆き』に終止符を打ち、戦いで荒れ果てた大地を再生させる話だ。
争いの後、一人は湖に浮かぶ都市に教会を設立し、争いに疲弊した人々に、エラルーシャ教という心の指標を説いた。
一人は争いの絶えなかった数多(あまた)の種族をまとめ、二度と争いなど起きない様に種族間で固い同盟を取り決め、大国を築いた。
一人は知性豊かな人間を集め、争いに途絶えた物流を円滑にすることに力を尽くし、大陸に活気を取り戻した。その者は後の人間たちの王となり、一つの国を築いた。
そして最も大きな力を持っていた人物は大地の中心で眠りにつき、その力を持って枯れた大地に再び命を吹き込んだ。この者は後に聖者、或いは神の代弁者として、現在に至るエラルーシャ教の象徴となり人々の信仰の対象となった。
四人は後に『聖祉司』と呼ばれるようになり、そのうちの一人である人間の王が、セヴル一世なのだ。
剣に添えている手は無骨だが、口を一文字に結んだ顔は精悍で彼方を見据える瞳は力強く、王たる風格を漂わせている。
これがあの戦姫と名高い王女ゴディバの祖先なのか――そんなことをぼんやりと考えていると、突然腰に誰かが飛びついて来た。思わぬ衝撃につんのめりそうになるが、前に立つスクァールにぶつからないよう踏みとどまる。
「ダ、ダニエーレ?」
視線を下ろせば、親友であるウッツの弟、ダニエーレが満面の笑みを浮かべて腰に抱きついていた。
「アークとレニじゃん! 何してんの? それ誰?」
見慣れない顔の少年に、アークの腰を離れたダニエーレは興味津々で近づいてゆく。ダニエーレの不遠慮な視線に戸惑うスクァールは、レニの影に隠れてしまった。
「こらダン、怖がってるだろう。人をあんまりじろじろ見るんじゃない」
「ダン、いい子だからこっちにいらっしゃい」
後から現れたウッツとその妹コリーナが、ダニエーレを呼び戻す。素直に姉の元に戻ったダニエーレだが、その視線はいまだスクァールに釘付けだ。
ウッツはレニの影に隠れてしまったスクァールに近づくと、腰を落として視線の高さを合わせた。
「こんにちは。俺はウッツ。君は、アークとレニの友達かな?」
努めて穏やかな口調で、ウッツは問いかけた。
「怖がらせてごめんな。あいつはダニエーレ、俺の弟だ。隣にいるのが、妹のコリーナ」
「僕……僕は、スクァール」
そっとレニの影から顔を出し、小さな声でスクァールは答えた。まだ少しおどおどした様な瞳で、目の前のウッツとその後ろにいるダニエーレとコリーナを交互に見る。
姉のそばにいたダニエーレは我慢が出来なくなったのか、兄の近くまでやって来て再びじろじろとスクァールを窺い見る。するとまた、スクァールはレニの影に引っ込んでしまった。
「ねぇ、スクァール。色鬼したことある?」
スクァールが怖がっていることなど全く意に介さないダニエーレは、満面の笑みでそう問いかけた。興味をひかれたのか、スクァールがほんの少しだけ顔を覗かせる。
「い……いろ、おに?」
「鬼ごっこだよ。逃げる人はね、鬼が決めた色に触っていないと捕まって、次の鬼になるの。中央広場はね、お花とか、地面の色石とか、いっぱい色があるんだよ。だから、よく兄ちゃんと姉ちゃんとで色鬼するんだ」
でも、とダニエーレが不満そうな顔をする。
「姉ちゃんはすぐ疲れたとか言うし、兄ちゃんは足が悪いからとろいし、つまんないんだ。ねぇ、一緒に遊ぼうよ」
「でも、でも、僕……」
ダニエーレの誘いに心惹かれているスクァールだが、踏ん切りがつかないのか、心もとなさげにレニを見る。そんなスクァールの背中を押してダニエーレの前に立たせると、レニは勇気づけるように肩に手を置いた。
「いいよスクァール、行ってこいよ。同年代の奴と遊ぶの、久しぶりだろ」
促すようにレニが笑ってみせると、スクァールもぱっと顔を輝かせた。それを返事と捉えたのか、ダニエーレが嬉々としてウッツの横から飛び出しスクァールの手を掴む。
「行こう! 最初は僕が鬼をやるね」
「待ってダン! 私も行くわ。二人だけじゃ迷子になっちゃうでしょ」
はしゃぎ飛び出して行った二人を、コリーナが慌てて追いかけて行き、アークらはそれを見送った。コリーナが保護者として付いていれば大丈夫だろうと、ウッツも手を振って見送る。
「あいつがブランカの生き残りだよ、ウッツ」
「あの子が……そうか」
レニが呟くように説明すると、ウッツは目を細めて遠くで遊んでいるスクァールを見つめた。
「それはそうと、こんな所で何やってるんだお前ら。今日は訓練がある日だろう?」
ウッツの問いかけにぎくりとし、アークはついレニに視線を向けた。目が合う。しかし、すぐにレニに逸らされてしまった。
「……なるほど」
すぐに二人のいつもと違う様子に気が付いたウッツは、なぜか納得したかのように頷きレニに歩み寄った。
そして突然、レニの頭を掴みアークに向かって下げさせた。
「なんだよ! やめろウッツ、離せ!」
「馬鹿。今回の件はレニが悪い。せっかちなんだよ、お前は」
ウッツの言葉に、抵抗していたレニの動きが止まる。
「アークを問い詰めたんだろう。お前ら見てたらすぐにわかるさ」
どきりと、心臓が跳ね上がった。待っていたのだ。レニも、ウッツも。抱えていることを話そうとしないアークの事を。
「だってよぉ、ウッツ。こいつ辛気臭い顔いつまでもしてやがんだ。見てらんねぇ!」
「だっても何もない。無理やり聞きだしたってアークのためにならないだろう。ごめんなアーク、急かしたりして」
レニの代わりに謝罪するウッツにも、口調も荒く反論するレニにも、頭が上がらない。自分が情けなくて、二人に申し訳がなくて、涙が出そうだった。そんな顔を見られたくなくて、思わず俯く。
そんなアークを見て、さすがにレニも気が咎めたのか、静かに息をついて怒りを鎮めた。
「なあ、アーク。お前に隠し事向いてないって、前にウッツが言ったろ? ……本当に向いてないぜ、お前。そんな顔されちゃあ、こっちは気になって仕方がねぇっての」
でも、と一呼吸置いて、レニが続ける。
「悪かったよ。すまねぇ、急かしちまって」
罰が悪そうに視線を斜めに落としながら、レニが謝罪した。心臓が走り出す。違う。そうじゃない。謝らなければいけないのは、僕の方なのに――
「アークが悩んでること、今はまだ俺らには言えないのかもしれないけど……いつか話してくれるって、信じてるからな。待ってるよ」
ウッツがにかっと白い歯を見せて笑う。その頼もしい笑顔。それが罪悪感を掻き立てた。
しかし、それ以上に嬉しかった。こんなにも自分の心配をしてくれる友人がいるのだ。
何を難しいことを考えていたんだろう、どうして口を閉ざしていたんだろう。
何かがアークの中で外れる音がした。
それと同時に――
「おい、アークお前……」
「え……?」
涙が、頬を滑り落ちていた。
急に顔に熱が集まる。恥ずかしくて急いで袖で拭うが、涙は一向に止まらなかった。驚いた顔で二人が見ている。
「な、なんだよ、泣く程嫌だったのか? ごめん、本当に悪かった」
レニがうろたえて、アークの背をさすってやる。慌てて首を振って、レニの言葉を否定した。
「違う、違うんだレニ。僕が馬鹿だった」
もっと早く、話してしまえばよかった。損得抜きで頼れる友人が、目の前にいるのだから。
「何から、話したらいいのかな……」
鼻をすすりながら言った言葉に、レニとウッツは目を見開いた。
「話してくれるのか?」
「いいのかアーク、無理しなくていいんだぜ?」
ウッツの気遣いに、首を振る。
「いいんだ、話したい」
さあ、何から話そうか。いざそう決意しても、口下手な性格が災いして上手く言葉が出てこなかった。しかし、それならば。
「ねえ二人とも、これから僕の家に来れる?」
直接見て貰うのが一番早い。自室のベッドで横たわる、一人の少女――。それを見て貰えば、芋づる式に他の事も話しやすくなるだろう。
二人が頷く。
遠くで遊んでいるスクァール達をウッツが呼び戻そうとした、その時だった。
突き刺さる様な悲鳴が、アークの脳裏を貫いた。同時に頭を襲う激痛に耐えかねて、その場に膝をつく。
「おい、どうしたアーク?」
何も聞こえていないかのように、レニが心配そうに覗きこんでくる。ウッツも同様だ。
『聞こえていないかのよう』じゃない、『聞こえない』んだ。二人には――
背筋が凍る。いまだ頭の中で悲鳴が反響し、途切れ途切れではあるが、誰のものとも分からない負の感情が、憎しみが流れ込んでくる。
これは、この感覚は。
「レニ……レニ、頼む。剣を抜いていて」
アークの言葉の意図する所が掴めないのか、レニは怪訝そうに眉を顰めた。
「今からお前の家に行くんだろう? なんで、剣なんか」
「いいから抜いて!」
アークの剣幕に、二人ともぎょっとする。
「ウッツは三人を呼び戻して安全な所へ。早く。時間がない――」
もう頭の中で勝手に誰かの憎しみの感情が暴れまわっている。激しい責め苦に耐える、亜人の姿。その前に立つのは、王国騎士団(マルアーク)の団服を纏う数人の男たち。これは、何の場面だ。――拷問の風景か。
「イラが……イラが来る」
「何だって?」
レニが自分の耳を疑ったのと同時に、中央広場に悲鳴が木霊した。
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