▼ 014 バルクラム族
「――でな、俺が飛び掛ってきた化けモンをぶった切ってやったってわけさ! ウッツにも見せてやりたかったなぁ。そうすりゃお前、もう俺のこと馬鹿になんてできないぜ」
香ばしいローストチキンを口いっぱいに頬張りながら、レニは自慢げに言った。
レストラン「踊る子鹿」の一番奥、いつもの席でのことだ。息子とその友人が無事に帰ってきたことを祝って、エイジェイが用意した豪華な昼食に舌鼓を打ちながら、レニは自らの自慢話に花を咲かせていた。こんな化け物が出た、こんなふうに剣を動かしたなど、身振りを交えて事細かに自分の活躍をアークとウッツに説明する。
帰還の際、スクァールと話していた時の憎しみの炎は、今その目にはない。いつもの彼の持つ、明るく人懐っこい輝きを放っていた。そのことにほっとする。これでこそレニなのだ。あの時の瞳は――まるで別人のようだった。
アークとウッツは初めこそ楽しそうに相槌を打ちながら聞いていたものの、店に入ってからというものレニの口は閉じる事を知らない。今では適当に流しながら、熱々のリゾットに息を吹きかけて冷まそうとしていた。
「おい、聞いてんのかお前ら。だからな、俺が飛び掛ってきた化けモンをだなぁ」
「わかったわかった。レニはすごいな」
「てめぇ、聞いてないだろ」
話を聞いてくれないことに不満げなレニをウッツはいなし、リゾットを食べ始めた。レニは悔し紛れに、ウッツのリゾットに自分の嫌いなニンジンのソテーを放り込む。
「こら。好き嫌いするな」
「聞こえねぇなぁ」
「まったく、そうゆうことするからちびのままなんだ。ところでアーク、お前の話も聞かせてくれよ」
レニの自慢話はもうたくさんだと、ウッツはアークに話を振る。ウッツに反抗しようとしていたレニも、これに食いついた。
「そういえば、凱旋のときなんか変だったよな。どうしたんだ? 任務中に怖くてちびったとか?」
ふざけるレニとは対照的に、ウッツは「何かあったのか?」と気遣わしげに問いかけた。
答えたくなかった。他人には聞こえない声を聞いたなどと言って、頭がおかしいなどと思われたくない。第一、自分自身の中でまったく整理がついていないのだ。相談を持ちかけたくとも、どう言い表したら良いものか。
二人の疑問の視線をかわすいい言葉を模索するうちに、レストランのドアベルが客の来訪を告げた。アークは逃げるように視線を向けると、ふたつの小さな影があった。長いおさげを垂らした女の子が、小さな男の子の手を引いている。先に帰ったはずのウッツの妹と弟、コリーナとダニエーレだった。
二人は昼時には遅い時間なのにも関わらず、いまだ込み合う狭い店内をきょろきょろと見回し、誰かを探しているようだ。兄を探しているのだろうと思い、アークが手を振って居場所を示すと、二人は近づいてきた。
「コリーナ? どうした、帰ったんじゃなかったのか?」
「帰ったわ。そしたらママが、お兄ちゃんを呼んで来いって」
「母さん、工房から帰ってきてるのか?」
ウッツの家は鍛冶屋だ。普段は母親が鉄鉱石の買い付けをし、それを父親が鍛える。ウルフ鍛冶店で鍛えた剣の美しさと切れ味は王都でも評判で、今は夫婦揃って城の工房に招かれ、騎士団の武具を作る仕事に携わっている。近年の同盟国との小競り合いや、異常発生しているイラのせいで破損した武具を補充する仕事に追われており、家に帰ってくることはめずらしいのだ。
「でも、すぐにお城に戻るんですって。着替えを取りに来ただけみたい。パパもママも、今夜も工房から出してもらえそうにないみたいなの。お兄ちゃんにも、ちょっと手伝ってほしいことがあるみたいよ。あと、これを預かってきたわ」
なぜか心配そうな面持ちのコリーナは、スカートのポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
それは新聞の切れ端だった。以前ウッツが幽罪の庭炎上の記事を見せてくれた民営紙ではなく、きちんと王室の印が捺してある国営紙。号外のようだ。
ウッツは切れ端に載っていた記事に目を走らせると、低く唸った。
「これは、また……」
「なに、どうしたんだ?」
アークが尋ねる。ウッツは記事から目を上げ、ため息をつきながらその記事をテーブルの上に広げた。
「騎士団(マルアーク)が、ガラク高原でのバルクラム族討伐に失敗したらしい。ひとまず駐屯地のレブレェリまで引き返すそうだ」
ウッツに聞かされた記事の内容に、レニは新聞を引ったくり目を皿にして文字を追った。ときおり「そんな馬鹿な」などとひとり言を呟きながら、信じられないといったように何度も読み返す。
バルクラム族という名前には聞き覚えがあった。少年兵仲間との会話で、何度か名前が挙がったことがある。バルクラム族とは、フランベルグ王国北東部に位置するガラク高原に集落を持つ、少数民族のことだ。
バルクラム族はフランベルグ王国の領土にいるものの、独自の文化と思想を持ち、フランベルグ王国の王、セヴル八世とは対立する立場にある。ガラク高原を自らの自治区と称し、いかなる干渉も受け入れようとしなのだ。
しかしセヴル八世の不評を受ける最大の要因は他にある。バルクラム族は亜人に寛容なのだ。その上、まだ噂の域を出ないが、少なからず亜人の血が混ざっているのではないかともいわれている。人間主義のフランベルグでは、混血は最大の禁忌だ。
「負け戦か……また、犠牲者が出たんだな。でもさ、バルクラム族を滅ぼしてなんの意味があるんだ? いくら亜人嫌いのセヴル八世でも、同じ人間を弾圧するなんて――いっそ放っておけばいいのに」
ため息をついて、アークはそう呟いた。しかしそれにレニが眉を顰める。
「そうゆうわけにもいかない。王様には国を治める責任がある。統制の利かないやつらを放っておくなんて、導火線に火のついた爆弾抱えてるようなものさ」
「へぇ、レニがセヴル八世に味方するなんて意外だな。狂信者は嫌いだろう?」
「味方ってわけじゃねぇけど。ただ、確かにバルクラム族はフランベルグとって邪魔な民族だって思うだけさ」
「どうして。だってバルクラム族はガラク高原からほとんど出てこないし、僕たちに害をなしているわけじゃないだろ。そりゃあ、今は戦争中だけど……でも、先に手を出したのはフラムの騎士のほうだ」
「セヴル八世がバルクラム族を討伐しようとしているのは、正当な理由があっての事だ。国の防衛に関わる大事な事なのさ。ちょっと、何か書くもの貸してくれ」
そう言われてアークは席を立つと、厨房から客の注文を書き留めておくための紙と羽根ペンを持ってきた。それをレニに渡すと、レニはさらさらと国境線付近の大まかな地図を書き始めた。どうやらウッツも、アークやコリーナ同様初めて聞く話のようで、興味深げにレニの地図を覗き込んでいる。ただ一人興味を示さないのは、八歳になったばかりのダニエーレだ。勝手にテーブルの上の料理に手をつけ、他に面白いことでもないかときょろきょろとしている。
「いいか、ここエパニュール大陸の真ん中には宗教都市ジェノが浮かぶオンディーヌ湖があって、それを挟むようにフランベルグとヘレ同盟国の国境線がある。つまり、国境線はオンディーヌ湖に分断されて西側と東側に分かれている」
レニが紙の真ん中に引かれた一本線の真ん中に円を描き、分断された線をトントンと指で叩いて示す。続いて、いくつか小さな丸や線を、その国境線のそばに書き込んでゆく。
「まず西側。国境線の目の前にあるのが前線基地の城塞都市エイルダーレ。で、近くにあるのが鉱山都市のブランカだ。ブランカのすぐ横に引っ張った両国に跨る線が、鉱山のあるガモース山脈。問題のガラク高原はこっちじゃなくて、東側にあるんだ。そしてここが、バルクラム族の集落であるバクゥ」
そう言って、レニはガラク高原がある辺りを斜線で塗りつぶし、その中にある小さな点を示した。
「初めの名目は、ガラク高原の調査だった。当然バルクラム族のやつらは受け入れなかったがな。そうやって長年小競り合いがあった末、本格的な討伐命令が下ったのは一ヶ月くらい前だったか。その頃から多少なりとあった交易すら禁止して、バクゥを包囲し、完全に孤立させたんだ」
「確か、ガラク高原の同盟国側はネイプルス雪山か。切り立った崖と底の見えない谷ばかり……迷い込んだら生きては帰れないって聞いたことがある。もし騎士の包囲を抜けたとしても、南には駐屯地のレブレェリ、北にはネイプルス雪山、東は絶壁でその下はヤーマウス海、西は餓狼雪原から吹きこむ冷気で凍ったオンディーヌ湖……逃げ道はなさそうだな」
「そうだ。だからバルクラム族が逃げるというのは、現実的に無理な話なんだ」
「ガラク高原は決して肥沃な土地柄でもないし、集落の中に閉じ込めてしまえばいつか兵糧が尽きる。前面衝突するより、騎士団への犠牲も少ない……ってことなのかな?」
アークの問いにレニは頷いた。
「なんか……えげつないな」
そう頷くアークとウッツに、「そうだな」とレニが言うと、コリーナが辛そうに眉を顰めた。
「なんだか、かわいそうね。その作戦じゃ戦いに関係のない子どもたちまで、飢えさせてしまうのでしょう?」
しゅんと下を向いてしまったコリーナの頭を、ウッツが優しく撫でてやった。
「騎士らしくない戦法だよな。確かに、今は西側の国境戦線に人員を割かなきゃいけないから人も足りない。犠牲をなるべく少なくしてバルクラム族を落としたいのも分かるけど、戦わない子どもまで巻き込む兵糧攻めなんて。でも……失敗した。どうして?」
アークが尋ねると、レニは「そこなんだよなぁ」と難しい顔をして低く唸る。それから、ガラク高原から一本の線を、ネイプルス雪山を突き抜けてヘレ同盟国の領地まで書き足した。
「ガラク高原はな、ウッツが言ったとおりレブレェリを通る交易路さえ塞いでしまえば、海、山、湖に囲まれた閉ざされた場所になるはずだったんだが……どうやら奴ら、フランベルグの人間が知らない同盟国へ繋がる道を持っているのかもしれない。しかも、集落の中か、その近辺に。俺の推測だけど……レブレェリからの交易路が塞がれても兵糧が尽きなかったのは、同盟国に支援を求めたからなんじゃねぇかな」
「バルクラム族の奴らしか知らない道か……やっぱり、あったらまずいよな、そんなの」
「まずいに決まってる! 奴らが同盟国と手を組んだらどうなる。ただでさえ西側国境戦線に人員割いてんだ。背後を取られる形になっちまうよ!」
声を荒げ始めたレニを、アークは「落ち着いてよ」となだめた。レニの声に店内の客たちが、一体何事だろうと視線を向けてくるのだ。厨房からも、怪訝そうなエイジェイの目がこちらを窺っている。
アークが差し出したグラスの水を一気に飲みほすと、レニは幾分落ち着いたようだ。
「でも……騎士団の敗戦から察するに、どうやらその『あったらまずいもの』はあるみたいだな」
そう言うウッツに、レニは低い返事を返す。そうしてから何か言おうとしたが、残念ながら長い話に飽きてしまったダニエーレに阻まれてしまった。
「いってぇ! ダン、髪を引っ張るな!」
「レニ、そんな話つまんないよ! いつもみたいにさぁ、もっと楽しい話をしてよ」
レニの髪を不満げに引っ張りながら、ダニエーレはだだをこねる。ウッツとコリーナがなだめて手を放させたが、まだダニエーレは力加減というものを知らないのだろう、レニは少し涙目だ。
ダニエーレの癇癪が治まったところで、ウッツは席から立ち上がった。
「さてと、俺はそろそろ失礼させてもらうよ。母さんが呼んでるみたいだし」
またすぐにでもぐずり出しそうなダニエーレの手を取り、厨房のエイジェイにお礼を言う。アークとレニにも「またな」と言ってから、ウルフ兄弟は店を後にした。
カラン、とドアベルの音を残し、レストランの扉が閉まる。それを見届けてから、アークとレニは再び料理に手をつけ始めた。しかしレニは眉間にはしわが寄り、とても楽しく食事の続きを始められるような雰囲気ではなかった。二人の間に交わされる音といえば、規則的な咀嚼音と時折スプーンが食器をこする音だけだった。
並べられた料理が全て二人の胃袋に収まり、アークが空の食器を片付けようとまとめ始めた頃、エイジェイがデザートを盆に載せて二人のテーブルを訪れた。瑞々しい旬のフルーツをふんだんに使った、「踊る子鹿」自慢のタルトだ。可愛らしい小さなミントの葉と生クリームが添えられたタルトの皿と、温かい紅茶の注がれたティーカップを二人の前に置くと、エイジェイは不思議そうに首をかしげた。
「どうしたんだ、二人ともそんな暗い顔をして。もしかして、料理が口に合わなかったかな?」
少し申し訳なさそうに言ったエイジェイに、レニがすぐさま首を振った。
「違うんです。さっき、ちょっと悪い知らせを聞いちまって。親父さんの料理、いつもどおりすごくうまいよ」
礼を言って皿を引き寄せると、レニはタルトを食べ始めた。そうして口いっぱいに頬張ると、いつの間にか眉間の皺はなくなっていく。頬張ったタルトを飲み込む頃には、ほくほくと満足そうな顔つきだ。
「うん、やっぱりうまい! おい、お前いつでも食べられるんだから俺によこせ」
「レニ、意地汚いぞ」
アークがタルトを奪おうとのびてきたレニの手をぴしゃりと叩くと、エイジェイはくすくすと笑った。ふざけて大げさに「いてぇ!」と騒ぐレニの頭を、ふわりとした手つきで優しくなでる。不意をつかれたのか、予想しなかった事なのか、レニはぴたりと口を閉じて言葉を失った。
「よかったら、もう一切れ持ってこよう。紅茶でも飲んで、少し待っていておくれ」
にっこりと優しく微笑み、エイジェイは厨房に戻ろうと背を向けた。しかし、すぐ何かを思いついたように足を止め振り返った。
「そうだレニ君、またエレナ先生にいつもの薬をお願いできるかな」
胸の辺りをさすりながら、エイジェイは言った。エレナ先生というのは、レニの母親の事だ。王都にあるエラルーシャ教第二巡礼地、スピリトゥス教会の中にある診療所で働く医師の一人でもある。
エイジェイは心ノ臓が弱いのだ。日常生活に支障はなくとも、疲労が溜まると時折発作を起こしてしまう。最近では仕事の疲れと、そこにアークへの心労が重なったせいか、以前よりも頻繁に発作を起こしていた。
一瞬心ここにあらずといった感じだったレニは、はっとしたように我に返ると快く頷いた。
「分かりました、言っときます。もし必要なら、いつもよりも多めに頼んでおくけど、どうします?」
「いや、いつもと同じ量でかまわない」
「どうして。発作起こす回数が増えたって、アークから聞いてますけど」
レニの追求にも、エイジェイは首を振る。
「先生の義理弟が……リリがとりなしてくれているおかげで薬を安く譲ってもらえているんだ。贅沢を言っては二人に申し訳ないよ」
レニの申し出をそう断ると、エイジェイは厨房へとタルトを取りに戻っていった。
エイジェイの背中を見送りながら、アークは心配そうなため息をついた。
「まったく、こうゆうところは頑固なんだよな。最近咳も増えてきたし、無理しないで頼めばいいのに」
もやもやとした心配を飲み込んでしまいたくて、アークは熱い紅茶を一気に煽った。訓練で家を空けることが多くなったが、辛そうに胸を抑える瞬間を見たり、夜中に苦しそうに咳き込んだりする声を聞いている。本人はそれを息子に隠しているのか、心配をかけさせまいとしているのか、体を気づかってもとぼけるばかりだ。しかし、一緒に住んでいる家族の変化に気が付かないほど鈍くはない。微妙な変化ではあるが、父の背中がすこしばかり細くなっていると感じていた。
喉を熱い紅茶が通ってゆく。焼けるような思いとともに不安を飲み込んだつもりだったが、ティーカップのそこに張り付いた滓のように、アークの不安はまだべったりと心の底に張り付いたままだった。
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