BENNU | ナノ


▼ 013 スクァール

 陰鬱な黒霧が晴れ、澄み渡った青空の下。隊長のノイマンを先頭にして、少年たちは南門への帰路についた。ノイマンの一喝により集合直後のうかれた空気はなりを潜め、今はただ規則正しい足音のみが、朝露も乾いた蒼い草原を揺らしている。その草原を踏み鳴らす音は、煤に覆われていたときのものとは全く違う。歓喜に満ちていた。誇りと自信を身に纏った少年たちは、自分がまるで英雄になったかのように堂々と胸を張って行進している。
 そんな中、アークはまだ一人浮かない顔をしていた。釈然としない思いが喉に引っかかって、無事に任務を達成した喜びの邪魔をする。
 なぜ、僕にだけイラを取り巻く声が聞こえたのだろう――
 いくら思考を巡らせようと、答えは一向に見つからない。頭の中で迷路にでも迷い込んだかのようだ。
「悪い、ちょっとどいてくれよ。おいアーク、無事だったか!」
 自分を呼ぶ声に、アークは答えの見つからない堂々巡りの思考を止め、顔を上げた。振り返れば、レニが列をかき分けてこちらに駆け寄ってくる所だった。アークの隣に並び、怪我がないことに安堵したのか、レニは思わず破顔した。
「班が別々だし、どうしたかと思ったぜ。でも、なんか余計な心配だったみたいだな」
 ほっとして笑みをこぼしたレニに、アークは曖昧な笑いを返した。
「なんだよ、冴えない顔して。なんかあったのか?」
 レニの質問に、アークは口を開く事をためらった。レニを挟んだ隣を歩いていたサムが、またちらちらと見てくるのだ。キックもロバールもクリスも、そしてきっとオレンでさえも、聞き耳を立てているに違いない。意気揚々とした少年たちの中で、アークの周りの空気だけが、ぴりぴりと緊張感を孕んでいる。
「別に、何でもないよ。それよりさ、レニはどうだったんだ? 活躍したんだろ?」
「あったりまえだろ! しかたねぇな、今から俺の活躍について語ってやるよ」
 それとなくレニのことについての話に流すと、こちらに向いていた耳は関心を失ったようだった。アークとレニからふっと意識がそれ、異様な空気は散っていく。レニが自慢げに口を開いたその場には、オレンの苛立ちだけが残ったようだ。
「レニ、無駄口叩いてないでさっさともとの場所へ戻れ。お前は班長だろう」
「なんだよ、相変わらず堅苦しい奴だな」
 レニは唇をとがらせ文句を垂れるも、反論はしなかった。班長という言葉が効いたのだろう。残念そうに舌打ちをし、「またあとで」とアークに一言残してもとの場所へ戻って行った。
 レニの背中を見送り前へ向き直ったとき、アークは自分を睨みつけるオレンと目が合った。しかし一瞥されただけで、オレンはすぐに目を逸らす。
「礼は言わないからな」
「礼って……何の?」
 聞き返したが、オレンはそれ以上何も言わず、目も合わせようとしなかった。解せないといったアークの肩を、そばにいたクリスがぽんと叩く。
「大鷲のイラからダリアスを守っただろ。悪いな、そっけなくて。あいつプライド高いからな、油断した自分が許せないのさ」
「ああ、そのことか……別に、お礼とかいいんですよ。その前に僕もダリアス先輩に助けてもらってるから、おあいこだ」
「そう思ってくれると助かる。ダリアス、借りなんて真っ平だろうから」
「違いないや」
 小さく笑い合った二人の間を、一陣の風が吹きぬける。風の来た道に目を向けると、草原の彼方に王都フラムの南門が見えた。強固な城壁と城門が、アークたちを出迎えている。城壁の上にはフランベルグ王国の国旗が、煤の混じらない透明な風に揺れていた。
「さあ、凱旋だ」
 クリスが言う。凱旋なんてたいそうな単語が、アークには少しだけこそばゆい。だがしかし、クリスの言うとおり、それは凱旋なのだ。任務を全うとした、騎士の帰還だ。
「見ろよ、お出迎えだぜ」
 南門にだいぶ近づいた頃、そう言った誰かの言葉につられて開かれた南門の向こう、城門広場に出来た人だかりに目を凝らした。城門前に整列している出迎えの騎士たちの後ろには、少年兵たちの親類や友人、町の住人やらが、心配そうな面持ちで帰還してくる騎士たちを出迎えている。アークと同じ年頃の子供がいそうな中年の女性たちは、自分の息子の顔を探しているのか、群集の隙間から背伸びをして顔をのぞかせてはきょろきょろしている。時折見つけるぱっと明るい表情は、おそらく息子を見つけた証。少しだけ潤んだ瞳をしては、力いっぱい手を振り、「おかえり」と体で表現していた。
 出迎えの騎士たちが、ガン・ルフト(王都守護師団)の凱旋を知らせるラッパを高らかに吹いた。すると人だかりがすっと割れ、ガン・ルフトが通るための道が出来る。後ろから迫ってきた地鳴りのような騎馬の蹄の音に、アークは振り返った。それはすぐに徒歩の少年兵たちを追い越し、歓声を上げる民衆の間を通って騎士団本部へと帰還してゆく。
 それは凱旋パレードのような華やかなものでは全くないが、初の任務を終えた少年たちには最高の褒美だった。先頭には戦姫と名高い王女ゴディバが歴戦の勇士たちを引き連れて行進し、その姿はまさに威風堂々。その一員として、少年兵たちも凱旋の列に加わり、騎士団本部へと帰還するのだ。こんな名誉な事はない。
 群集の間を通り抜ける間に、いくつか知った顔を見た。大きな歓声を上げて手を振っている少し太った中年の女性は、キックの母親。その隣の隣にいるのは、レストランの常連客のガベット夫妻。そして通りの反対側には、凱旋してきた友人の姿を探す、ウッツの姿があった。群集に潰されないようまだ幼い弟ダニエーレを肩車し、すぐそばには妹のコリーナが背伸びをしてアークとレニの姿を探している。
「いた! 兄ちゃんいたよ、アークだ!」
「こらダン、暴れるな」
 一番にアークを見つけたのは、ダニエーレだ。兄の肩の上なのにもかかわらずはしゃいで足をばたつかせる弟を支えながら、ウッツはアークを見つけて安堵の表情を浮かべた。同じくアークを見つけたコリーナも、その隣で一生懸命に手を振っている。ウッツが何か言おうと口を開いたが、言葉を発する前に人にぶつかられてよろめいてしまう。片手で肩の上の弟の足をしっかりと掴み、もう片方の手でコリーナをかばった。
「レストランで待ってる! 三人で飯でも食おう!」
 体勢を立て直したウッツが、そう大声でアークに言った。しかしアークが「わかった」と手を振り返そうとした途端、三人は群集の波に押されその向こう側に消えてしまった。大丈夫かな、とウッツのいた方を見るも、いい目印となっていたダニエーレは肩から下ろされたのか、もう三人の姿は見えなかった。
 ウルフ兄弟を探して目を凝らすうちに、アークは人ごみを必死でかき分ける小さな影を見つけた。それはすぐに最前列を割り、群集の前に飛び出してくる。くしゃくしゃの黒い髪に、前髪の隙間から覗く緋色の瞳――見覚えがあった。団長の執務室で、ゴディバにくっついて離れなかった、ブランカの生き残りの少年だ。
 執務室で見たときと比べると、少年は見違えるほどきれいな身なりをしていた。土埃だらけのぼろではなく、あのシャツはおそらく絹。落ち着いた藍色のズボンも滑らかな毛織物で、上等な革のブーツを履いている。
 少年は誰かを探しているのか、きょろきょろと少年兵の列を見渡している。誰を探しているのだろう。王女を探しているのなら、もっと前の方に行った方がいいのに。
 少年のことが気になり、ついその小さな姿を目で追った。すると相手もアークに気が付いたのか、こちらに駆け寄ってきた。
 おずおずと、少年が背中を丸めながらアークの隣を列の行進に合わせて歩く。そばに来たのに、少年は俯いたままなかなか口を開こうとしなかった。
「どうしたの? 王女殿下を探しているのなら、もっと列の前に行かないと。もしかしたら、騎士団の本部で待っていた方が早く会えるかも」
 黙ったままの少年に、アークの方から声をかけた。しかし少年は首を横に振る。
「ううん。姫様を探していた訳じゃないんだ。君を……探していて」
「僕を?」
 こくんと、細い首を遠慮がちに縦に振った。
 少年が顔を上げアークを見上げる。その燃えるような緋色の瞳に映し出されると、執務室でもそうなったように、再び頭痛が襲ってきた。戸惑いながらもこめかみを押さえ、頭痛に耐える。少年の瞳を見ると頭が痛む気がしたが、これは単なる偶然なのだろうか。
「どうして僕を探していたの?」
 頭をきつく絞められているような違和感を振り払いながら、少年に尋ねる。
「……あの、僕、謝らなきゃいけないから」
「謝るって、何を?」
「だって、君に酷いことをしたもの」
 酷いことなんてされただろうかと、執務室での事を思い返す。あの時、レニが執務室を駆けだして行って、追おうとしたら団長に止められて、怖がっている少年の頭を撫でようとして、それで――
「僕の手を避けたこと?」
 また細い首を揺らし、少年が俯いた。
「……姫様に、怒られたよ。自分を気にしてくれた人の手を振り払うなんて、とても失礼な事だって。その上僕は、さわらないで、なんて言ってしまった……ごめんなさい」
 少年がさらに小さく背中を丸めながら、消え入りそうな声でアークに謝罪をした。
「それを謝るために、わざわざ僕を探してくれたの?」
「だって……もし、イラとの戦いで何かあったらどうしようって思って……僕が悪いことをしたのに。ごめんなさいも言えないまま誰かがいなくなるのは、もう、嫌だよ」
 少年は真っ赤な瞳に涙を溜めながら、しかしそれがこぼれない様に拳をぎゅっと握りしめてそう言った。
 そうだ、この子は亜人に襲われたブランカの生存者なのだ。それまでの生活も、友達も、両親も、きっともう彼の元には戻ってこないのだろう。小さな手から、大切だった全ての物が零れ落ちてしまった。その残酷な事実に、この幼い少年は耐えている。
「大丈夫。怒ったりなんかしてないよ。酷い事件の後なんだ、仕方がないさ。気にしないで」
「……本当?」
 遠慮がちに、少年はアークを窺い見る。促すように微笑んで見せると、少年初めてアークの前で微笑んだ。
「僕はアーク。君は?」
「僕、スクァール」
 名乗り合った後、少年はまたすぐに顔を曇らせた。
「もう一人の執務室にいた人は無事? ブランカの事でとても取り乱していたみたいだったけど……」
「レニのこと? あいつは大丈夫だよ。ほら、あそこにいる」
 邪魔にならない様に隊列を出て、少し後方を行進していたレニを指さす。レニもアークとスクァールに気が付いたのか、また隊列を抜け二人に駆け寄った。
「ブランカの生き残りじゃないか。どうしたんだ、こんな所に……うわっ」
 レニを見るなり、突然スクァールが抱きついた。煤けた団服に顔を埋め、目に溜めていた涙をぼろぼろと溢れさせる。それはレニの団服に、いくつかの涙の染みを作った。
「なんだ、いったいどうしたんだよ」
 突然のことに戸惑うレニだが、少年の背中を優しくさすってやる。するとスクァールは、しゃっくり上げながらも顔を上げ、レニにこう言った。
「君も、僕と同じでしょ。ブランカの事で、すごく傷ついてる」
 背中をさすってやっていたレニの手が、一瞬止まる。
「亜人なんて嫌いだ。大嫌い。僕の全てを壊してしまった」
 小さな手が、レニの団服を握りしめる。その縋る手に答えるように、レニはスクァールを強く抱きしめた。
「うん……俺の大切なものも、亜人に壊された。……大切な人も、殺されちまった」
「亜人なんて、みんないなくなっちゃえばいいんだ」
「ああ。ああ、そうだな」
 スクァールの癖のある黒髪を、レニが優しく撫でる。しかし、その労わる様な手つきとは裏腹に、レニの瞳は燃えていた。亜人を許さないと言った時と同じ、憎しみの炎が渦巻いていた。
「亜人なんて」
 レニの目に、ぞっとする。これは、誰の目だ。本当にあの表情豊かで、生意気で、悪戯好きな友人なのか。
「俺が殺してやる」

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