居る闇



――……ガチャン。

何かが割れる音がして、ヴィンセントは半身を上げた。

咄嗟に周りを見渡すが、見えるのはここ数日滞在している店の客間だ。遠くで鳥の鳴く声がした。


…空耳か?

そう思った時、次は何かが擦れる音がした。…硬質の物同士がぶつかる音。

「…ユフィ?」

音がした方へ顔を向けて、ヴィンセントは呟いた。

確か隣はここ数日、共に厄介になっている少女の部屋。

最近は物思いに耽ることが多くなり、ウトウトと1日を過ごすことも少なくない。時々、ふと表情を曇らせることも増えたように思う。そんな少女。

様子を見に行った方がよいだろうか、そう逡巡したのも一瞬のこと。


――……ガチャン!!


今度こそはっきり音の出どころを捉えて、ヴィンセントは隣室の扉をノックした。


トントン、トン

「――……ユフィ?」

向こう側は静まり返っていて、気配は希薄だった。


「…ユフィ?どうかしたのか?」

「…ヴィ、ン、セント?」


僅かに扉が開いて、ドアの隙間からユフィの片目が見えた。


「何かが割れるような音がしたが…大丈夫か?」


彼女が口を開く前よりも早く、ヴィンセントは問いかけていた。


「あー…鏡、割っちゃった」

そうやって力無く笑う少女を押しのけて中へ侵入する。あっさりと扉は開いて、視界に飛び込んできたものに眉をしかめた。

「随分と…派手にやったな」

部屋一面に広がった破片が、この深夜でも僅かな月光を浴びて煌めいている。

月光を受けただけでこうなのだ。実際の被害範囲はそれだけではないだろう。

見ればベッドのすぐそばに重ねられた破片が堆積している。

「片付けようとしたのか」

「……うん」


先程の音の原因はこれらしい。

ふとユフィの方へ振り返ったヴィンセントは、彼女の手で視線が止まった。


「破片を素手で掴むな」

「え…」

ああ、と呟いてユフィは指先で摘んでいた破片を手放した。

「一体どうしたんだ、こんな夜中に」

「………」



ベッドの傍に姿見があった。
ただそれだけのこと。

何とはなしに見たそれに驚いてつい、突き飛ばしたのだとユフィは語る。


…実際にはそれだけではないのだけれど。


闇に引きずり込まれそうになる瞼が捉えた姿見。

自分の意思とは無関係に、唇が薄く戦慄いた――……笑った、ように見えた。

聴きたくない言葉が発せられそうで力いっぱい突き飛ばした、それは。

そう、自分の声ではなくて

『彼』の声のような気がしたのだ。


「ユフィ?」

ヴィンセントの声に我に返ると、彼は怪訝そうにこちらを見ていた。

「…眠いのならそう言え」

低く続く言葉に、労りを感じて、彼がその違和感に気づいていることを知る。


しかし具体的なことまでは気づいていないようだ。きっと表面上の、最近のユフィ自身を見て気づいたのだろう。

そんなことをぼんやりと思うと僅かに腕を引かれた。

「部屋の掃除は明日だ」

そう言って彼の後をついて歩く。彼の部屋に入った瞬間、痣がざわめいた気がして硬直した。

「どうした?」

「なんでヴィンセントの部屋?」

「ベッドの上まで破片が飛び散っていた、あのままでは怪我をする」

そう言って彼はユフィにベッドを譲り、自分は傍の椅子に腰掛けた。どうやらそこで夜を明かすらしい。

「ベッド使ってよ」

「私はいい」

「じゃあ一緒に寝よう?」

少女の言葉に彼は眉を寄せた。無邪気過ぎる言葉に思わずため息が出た。


視線を上げるとユフィはこちらの袖を掴んだまま俯いていた。

「…ユフィ?」


その腕は薄く震えていて、私は静かに頷くことしかできなかったのだ。

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