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 当真さんとか、太刀川さんが視界に入ってくる。遠征組が帰ってきたようだ。帰ってきた割には慌ただしい気もするが、何かあるのだろうか。見渡す限りあの人の姿はない。とりあえず挨拶をし、あの人の名前をさりげなく出してみたら案の定船酔いでダウンで別室とのことだ。今回一番の年長者なのに情けないなとも思うが体質もあるから仕方ないか。挨拶もそこそこに、あの人の元へと向かう。これには特別な意味はない。他の遠征組の方々にだけ挨拶をしておきながら、あの人を省くのは失礼だと思ったからだ。心の中で誰にも聞こえない言い訳をした。
 あの人が寝ていると言われた部屋の扉を開ける。当真さんの言う通りそこにはだらしなくソファーに寝そべっている冬島さんがいた。ドアの開く音に反応したのかこちらを向く冬島さんと目が合う。「よう」と気の抜けた挨拶に一礼だけしソファーへと近寄り、冬島さんと視線が合うように座り込む。
「遠征お疲れさまです。また船酔いですか」
「そ、気分最悪」
 いつも余裕そうにしているのに、ぐったりしている。珍しいものを見た気分だ。遠征に行っている人たちはこういう姿を間近に見ることができるのか。いいなあ。……いいなあって、何だ。自分の過ぎった思考をリセットするように頭を振ると「何してんだ」といつもの調子で笑われてしまった。調子が悪いならおとなしく寝ていればいいんですよ。
「冬島さん、気持ち悪くて寝られないならお薬とかお水とか持ってきましょうか」
 何となく気恥ずかしくなったので話題をすり替えるように提案をしてみたらまたにやりと怪しい笑みを向けられた。ほんと、何を考えてるのかさっぱりわからない。そういえば、今この部屋二人きりなんだ。押し寄せてきた緊張はこの人に悟られてはいないだろうか。伸びてきた手に思わず肩が跳ねる。
「なまえちゃんがちゅーしてくれたら治るかもなあ」
「……セクハラですか。あと、アラサーのおっさんがちゅーとかきもいです」
 お水持ってきますね、とまくしたてて一旦部屋を出る。背後から「つれねーな」とか聞こえた気がするが気のせいだ。乱雑にドアを閉めてしまったので動揺はおそらくばれてしまっただろう。こうやって、いつもからかって私の反応を楽しんでいるのだあの人は。悔しい、でも情けないことに自分はあの人から逃げることができないのだ。とりあえず、言ったからには水を持ってこなければ。それまでに頭は冷えてくれるだろうか。

 何とか扉の前には立てるようにはなった。平常心を合言葉に、深呼吸をし再び扉を開ける。ソファーがまず視界に入るが私の意気込みは無駄だったようだ。
「寝てる……」
 そんなに私が去ってから時間も経っていないはずなのに。やっぱり遠征帰りと言うこともあって疲れているのだろうか。先ほどのように、座り込んで顔をまじまじと見てみても相変わらず起きる様子はなさそうだ。
「私はさっきのですごいびっくりしたのに……」
 こっちは何ともなさそうで、ずるい。やっぱりからかっているんだろうな、私のこと。普段はできないから、今のうちに何か仕返しをしてやりたい。先ほど冬島さんが私にふっかけた発言が浮かんできた。部屋をもう一度見渡す。誰もいない。うん、大丈夫。大丈夫だ。まだ起きそうにない。じりじりと、冬島さんとの距離を詰める。もし起きちゃったらどうしようとか思うけど、悪いのはからかってくる冬島さんだもの。そんな風に理由を付けているうちに私の唇と、冬島さんの頬の距離が一瞬だけゼロになった。
「やっちゃった……」
 すぐに離れたところで私が冬島さんにした行為がなくなる訳ではない。さきほどとは比べものにならないほど顔に熱が走る。冬島さんは身じろぎしたものの起きる様子はなかったので安心したが、私はこれ以上この場にいられそうにない。とりあえず、起きたときに視界に入るように先ほど購入した飲料水のボトルを置き、その場をあとにした。へたり込んで、唇に触れてみても、先ほどの感触はリセットされることなくただただ恥ずかしくなるだけだ。さっきの行動にはもう言い訳もすることができない。今までの言い訳も苦しかったのは自分でもわかってはいるが。今度から、どんな顔をしてあの人に会えばいいのだろうか。

「寝たふりしてたときは素直で可愛かったな」と冬島さんの発言で私が再起不能になるのはもう少し先の話だ。

20140902