text log | ナノ
「お茶のお代わりいかがですか?」
「ありがとうございます」

注いでもらったお茶を啜り一息つく。行きつけのお店、鹿楓堂は相変わらず居心地がいい。ご飯や甘味やドリンク、出てくるもの全てが美味しいし、店員さんもみんな素敵で、雰囲気も良いので気づいたら足繁く通うようになっていた。そう店主のスイさんに言ったらいつも通り素敵な微笑みを浮かべながらお礼を述べられた。
そろそろデザートでも食べようかな、となんとなく厨房の方を向いたらたまたまその方向にいたつばきさんと目が合う。つばきさんは少し気まずそうにしながらも会釈してくれた。何かの最中だったのか、すぐに裏方に引っ込んでしまった。
甘味担当らしいつばきさんは人見知りなよう(ぐれさんがフレンドリーなので更にそう見える)で、あんまりお話したことはない。ただ、つばきさんが時々表に出てきて接客する際は「いつもありがとうございます」と言ってくれるのでわたしのことを認識しているようだ。ほぼ毎週来て主に甘いものにはしゃいでいるから目に入るのかもしれない。嬉しいような、むず痒いようななんとも言えない感情に見舞われる。
わたしはぐれさんのように社交的ではないので、必要以上に話を膨らませることはできないが、美味しい甘味を作っているつばきさんにもう少し感動とかを伝えては見たいと思っている。それがいつになるのかはわからないが。
今日もつばきさんが作った甘味(新作のモンブラン)は美味しかった。


今日は鹿楓堂の定休日なので別のお店に行くことにした。少し気になっていた、ふわふわしゅわしゅわのスフレパンケーキが評判のお店だ。平日のためほとんど待つことなく入店できた。内装がとても可愛らしくて、その様子をSNSに載せたい層にも人気なのも頷ける。一つ一つテーブルに置かれている小物とかも異なっているようだ。
そんな風に辺りを見ていたら、あることに気がついてしまった。
一つ席を挟んだ向こう側に、つばきさんがいる。
やっぱり甘味担当なだけあって休日はスイーツの研究とかしているんだ、と感心している場合ではない。いや、ここで挨拶なんてできるわけがない。わたしはともかくつばきさんがどう思うか、考えたくない。
わたしも休日に自分の客に見つかって声なんて掛けられたくないもん。反応に困ってしまう。そんな気まずい思いをつばきさんにさせるのも申し訳ない。
つばきさんはもう食べ終わっていたようで、伝票を片手にわたしの横を通り過ぎてお会計をしている。導線的にわたしが視界に入りそうだったので気づかれないようにとお手洗いの方に向かおうとしたら、先ほどまでつばきさんがいた席の足元に小さなメモ帳の存在に気付いた。流石にこれはもう気づかれても仕方ないかと思い、それを拾って渡そうとしたのだが既につばきさんはお店を後にしていた。
わたしはお店に来たばかりで、出ていくわけにもいかないのでひとまずそのメモ帳を手元に置き、ここでの食事を楽しむことにした。
色々動揺させられたが評判のパンケーキは噂に違わず美味しかった。


今振り返ってみても先日の自分だいぶ動揺していたな。つばきさんのメモ帳、わたしが拾うべきではなかった。普通にお店に保管してもらうのが最善だった気がする。つばきさんもそっちのが困らないだろう。どうして自分で渡そうなんて思ってしまったのか。疑問と後悔が押し寄せてくる。でも、これは渡さないとダメだ。つばきさんのかが確信が持てずに冒頭の数ページほど見させてもらったのだが、あらゆるスイーツに関する記述がされていたので、大事な物に間違いない。早めに渡して気を楽にしたい。
仕事帰りの人が多く押し寄せてくる前に、渡してしまおう。
「あ、すみません――」

ぐれさん経由でメモ帳を渡してもらって、それでおしまいになると思っていたのにどうしてこうなった。
「……どうも」
「お世話様です……あの、これが拾ったメモ帳です」
「確かに僕のですね。ありがとうございます」
つばきさんに直接手渡しすることになるとは。迷惑にならないように忙しくなさそうな時間帯に来たのが失敗だった。事情を話したらぐれさんが「待っててくださいね!」と裏方に引っ込んだと思ったらまさかつばきさんを引っ張ってやってくるとは思っていなかった。何だか申し訳ない。
「ちょっとだけ中見ちゃいました。すみません」
「見られて困るようなことは書いていないんで大丈夫です」
あの日は色々なところで食べ歩いていて、心当たりが多くて困ってたので拾ってもらえて助かりました。と言ってもらえたので少し救われた気がする。つばきさん、色々な所で食べ歩きしてるんだ……

「ちなみに、これどこにあったんですか?」
「あ、内装が可愛いパンケーキのお店です。そこでつばきさんを見かけたんですよ。鹿楓堂の外だったので挨拶するのは遠慮しちゃったんですけど」
「別になまえさんにならされても迷惑じゃないですよ」
「えっ」
どういう意味ですかと尋ねようとしたら団体のお客さんがやって来てしまい、つばきさんは改めて感謝の言葉を告げて厨房の方に戻っていってしまった。一人になった今、先ほどのつばきさんの言葉を反芻させてみても冷静になることができない。いや、あれに多分他意はないはずだ。でも、もしかしたらって思ってしまうのも仕方ないだろう。せっかくのラテの味もろくに分からなくなってしまった。
わたしがつばきさんの言葉の真意を掴むのは、だいぶ先になりそうだ。

20201025