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「#エロ」のBL小説を読む
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※30話ネタ紛いなもの

 いつも見かける客の中に気になる人がいる。その人は会計の時にお金を投げてこないし、お釣りを渡す際に必要以上に手に触ってこないし、無駄に声を掛けたりしてこないし連絡先が書かれた紙を押しつけもしないからいい人だと思う。別に普通にいいお客さんはその人以外にもたくさんいるんだけどね。その人が気になる理由はそのお客さんの中で飛び抜けて背が高くて整った顔立ちをしているから、という身も蓋もないものなのだが。
 その人はわたしが見た限りミネラルウォーターとか、カタカナが並んだお洒落なパンと、時々ミントタブレットやエナジードリンクを買っている。パンは何度か真似して食べた。いつも買うのより割高だが美味しかった。
 その人がコンビニに来るのは朝なのだが、わたしは講義が2限から始まるときだけ朝番でシフトに入っているのでその人を毎日見かけることはできないし、朝の混んでいる時間にわたしが運良くその人のレジを担当できる確率は更に低い。だからレジを打てて間近で見られたら、その日はとてもいい日だと決めた。

 決めてから一ヶ月、その人が来なくなってしまった。心当たりはある。パン類のリニューアルだ。最後にレジを打ったときにここ最近はお気に入りの奴買ってないから飽きてしまったのかなと疑問を抱いていたが、品出しをしていてそれがないことに気付いた。あれが食べたくてうちに来ていたのなら、なくなったなら来なくなるのも至極当然の話だ。
 数少ない目の保養で、わたしのささやかな楽しみだったのに残念だ。またあのパン復活してくれたら来てくれるのかな、とパンやあの人に思いを馳せているのに、わたしは一度は食べたはずのパンの名前を忘れてしまったし、あの人の名前に至っては忘れるどころか最初から知らないのだ。

 ささやかな楽しみを失ってからも、コンビニのバイトは続いている。この後講義が控えているんだよなと気が重くなっても、あの人を見たら頑張るかとなれたのに、それもなくなってしまったので一向にやる気が起きないまま大学に向かうようになった。
 今日も淡々と仕事をこなし、身支度を整えながらスマホを見ると2限が休講になるという知らせが来ていた。3限もあるのでこのまま帰れる訳ではないが、それまで少し時間が空いてしまう。適当に時間を潰すとしよう。普段ならうちの店で何か買ってそれを昼食にしているが、せっかく時間もあることだし何か別の物を食べたいなと思った。この辺りはオフィス街なので、ご飯を食べるところもそこそこに充実している。いつもはバイト終わりと2限までの間に余裕がないので、たまには散策もいいだろう。

 適当に歩いて気になるところを見つけては入っての繰り返しで時間を潰して、そろそろお腹も昼食を求め出す頃になった。どうしたものかと思ったころでベーカリーを見つけた。看板がこれでもかというほどベーカリーと主張している。ちょうどパンが焼けたのか、外でも香りがわかる。これはずるい、もうお店に入るしかなくなってしまう。時間を潰す際に、喫茶店に入って軽く食べてしまったので、パンを食べるぐらいでちょうどいいかなとも思ったし。
 そういえば、改めてパン屋に行くこと自体久しぶりだなあ。遠目から見ても思っていたがどれも美味しそうだ。
 店内には先客がいた。その人を認識した途端、自分が動揺するのがわかる。後ろ姿だったが、見覚えがある。う、嘘でしょ。いや、そんな、まさか。でも、ここまで特徴が被る事ってそうそうない……
「うわっ」
 思わず間抜けな声を漏らしたのと、その人がこちらを向いたのはほとんど同時だった。もっと変な声が出そうになったのを抑えたわたしは偉いと思う。『うわっ』の段階で大分ないとは思うが。
 本当にあの人だ。お店以外で会うなんて有り得るだろうか。わたしは今夢でも見ているのか? 久々に会ったけど、やっぱり顔がいい! 若干、くたびれている気もするが。というか、何でわたしの方をずっと見ているのか。
「すみません」
 何故か謝られた。どういうことだろう。状況を整理しよう。コンビニでしか会ったことがないわたしたちが外で会った。運命じゃん、じゃない! 今あの人はトレーを手にしていて、その上には見覚えのあるパンがあった。やっぱりあのパン好きなんだな。ただ、それ以外はもう無いみたいだ。彼が手にしているそれが最後の一つのようだ。もしかして、わたしがそれを狙っていたのに取られたから変な声を上げたと思われたのだろうか。
「え、あ、だいじょうぶです! おいしそうだなーとは思ったけどぜったい欲しかったってわけじゃないんで!」
「そうですか」
 安心したのか、どうでもいいのか、声色からは感情が読みとれない。あの人はわたしに会釈して、会計を済ませてお店から出て行ってしまった。
 待って。もう終わり? わたしは未だにあの人の名前知らないままだし、またここで会えるかもわからない。何も始まらない。何を始めたいのかはわたしにもまだ具体的なことは言えないけど、今これで終わりにしたくないことだけはわかる。それなら、やるべきことは一つだ。パンはともかくあの人は絶対に逃したくない。
 お店を後にして、見渡すと随分遠いところまで行っていた。それでも、あの人を追いかけるしかない。

「あ、あのっ!」
 何とか追いついて、声を掛ける。振り返ったあの人は、すこし驚いているようだ。そんな顔、初めて見た。お店にいるだけじゃ絶対に見ることができなかっただろう。更なる表情を見られるかは、これからのわたし次第だ。