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花岡くんがバイトを辞めるらしい。店長から聞いた。花岡くんは自分も仕事に慣れてきた頃にやってきた新人で教育などもして、シフトもよく被っていたので割と仲のいい子だ、と自分では思っている。退勤後にご飯に行ったりしていたし。まあ、休日にどこか行ったりするほどではなかったが。就職? かどうか詳細はよくわからないが、新しい職場で働くらしい。
花岡くんに『辞めるの?』とメッセージアプリで尋ねたら『残り短い間ですがよろしくお願いします』と返ってきた。本当に辞めてしまうんだ。
出ている分のシフトを消化次第辞めてしまうらしい。わたしも彼も多めに出勤しているので、顔を合わせる機会は少なくないが、それで終わりなのかと思うとやっぱり寂しい。

彼は時々何かを諦めてような顔をしたりしていたけど、勤務態度は真面目ないい子だった。いつだかはお客様の忘れ物を追いかけて届けたりする優しいところもある(自分だったら諦めてしまう)。彼の男性にしては少し低めの身長だと届くか微妙な高さにある備品をなんとか脚立を使わずに取ろうと奮闘する様などが可愛らしかった。暇な時にする他愛無い話とかも、割と好きだったな。


「花岡くんほんとにやめちゃうの?」
「……はい」
みょうじさんにはだいぶお世話になったから、申し訳ないです。だなんてやっぱり真面目だなあ。
「別に気にしなくていいよ〜。新しいところで働くんだっけ」
「そうですね」
花岡くんは、ぽつぽつ言葉を紡ぐ。とある人に会って、世界が変わったような気がした。その人の役に立てるようになりたい。ときらきらとした目で語ってくれた。そんな風にしている花岡くん、初めて見た。今までで一番寂しさで胸がぎゅうってなる。いいなあ、花岡くんをそんな風にできる人が羨ましい。……羨ましいって、どうしたわたし。

「次の職場はどういう系?」
「飲食……イタリアンですね」
花岡くんがイタリアンで働く、って割と想像できない。今まで花岡くんって休憩中ご飯にお店の商品とかカップ麺とかを適当に食べてたし自炊ほとんどしないって言ってたし、多分ホール?ウェイターとかをやるんだろうな。花岡くんが? まるで想像つかない。

「働いてるところ見たい」
「えっ」
口から思わずこぼれてしまった言葉に花岡くんも驚いたようだ。いや……わたしも驚いている。いや、我ながら失言だ。元職場の同僚が新しい職場に行くって……直接的な表現は避けるけど、だいぶアレじゃないか? わたしだって前の職場の人にここに来られても反応に困るもん。

「ちょっと……店に来られるのは」
「だ、だよね!」
彼も困りながらも言葉を選んでくれたようだがだいぶ心に来る。いや、これはわたしが悪いから仕方ない。でも、ちょっと、だいぶ残念だ。ばっさり断ち切られたような気分だ。

「その、……俺まだ、あっちでは何もできないし情けないからだめです」
「……それって、しばらくしたらいいってこと?」
「まあ……」
あの人の料理本当に美味しいからいつかみょうじさんに食べてもらいたいんで、と言う花岡くんは何だか嬉しそうだ。そっか、わたし、花岡くんがここを辞めても会うことができるのか。それだけでだいぶ嬉しいと感じている自分に驚いた。シフト表を眺めながら会えるのはあと何回、って数えなくていいんだ。

「楽しみにしてるね」
花岡くんは無言で頷いてくれた。幹事を任された送別会、どうなってしまうのか不安だったけど、これなら何とか笑顔で見送ることができそうだ。

20201018