text log | ナノ
「みつるくん〜、またふられた〜!」
「……今度は誰だったっけ」
「バスケ部の先輩」
「その人彼女いるって言ってなかったっけ」
「でも〜」
 なまえはとても惚れっぽい質だ。なまえは小さい頃に一緒に読んだおとぎ話の王子と姫に憧れて自分だけの王子様とやらを探すようになった。本当に彼女が好きになっているのかはわからないがよくどこの誰がかっこいい、好きだなどと言い出す。そして相手のこともよく知らず、相手に自分の存在をまともにアピールしないうちに告白して断られて、オレの元にくるまでが一連の流れだ。もうこれが何回目のやり取りかなんて数えていない。周りも「またか」という目で見るぐらいだ。それほどなまえの失恋は日常と化している。その度にオレは少しだけほっとしていると言ったらなまえは泣くのか、怒るのか。まだしばらくはそれの答え合わせをする予定はないのだが。
 自分はなまえの失恋の愚痴には付き合うが、特に慰めたりはしない。人の気も知らないで誰が好きとか好きだったとか喚く奴のことなんて放っておけばいいのにとも思うのだがこうして話を聞いてしまうのは、他の人にこの立場を譲るのが癪だからだ。何で自分はよりにもよってあちこちふらふらしている幼なじみを何年も想い続けるようになってしまったのか。
「もう少しちゃんと好きになった人のこと見てみたりしなよ」
「で、でもそのときはその人のことしか見えなくて頭がふわーっとして気づいたら足と口が動いちゃうんだもん」
「へえ」
「みつるくん冷たい!」
 多分これはまた二週間もしないうちにまた誰かのことを好きだと言いだして自分の元にやってくるのだろう。もう周期の予測すら簡単になっている。今までの付き合いの賜物だ。まるで嬉しくはないが。

 そんな自分の予想が初めて覆されたのは、なまえがオレに泣きついてきてから一週間後のことだった。
「へえ、告白されたんだ。よかったね」
「う、うん……?」
「何で疑問形なの」
「うーん、いまいち実感が湧かないというか」
 なまえは告白してきた先輩と付き合うことになったようだ。一番に自分に報告してきたらしいがそんなものはまったくもって有り難くない。気になってた人なのかと尋ねたら、知らない人だったけどいい人そうだったから! と答えられて頭を抱えたくなった。自分の視線が痛かったのか、だって告白断られるのってすっごく辛いんだよ?と理解し難い弁解を始めた。それならもしオレが今なまえに好きだと言ったらどうするのか聞いてやりたかったがそんなことでなまえを混乱させるのはいやだと思ってしまう自分はどこまでもこの幼なじみに甘すぎるようだ。
「……まあ、とりあえずおめでとう」
「ありがとう、今日から一緒に帰るんだ」
 なまえは軽やかな足取りでオレの前から去っていった。しばらく彼女がオレの所に来ることはないだろう。なまえにとっての王子様は自分ではなかったようだ。元からそういうのが柄ではないとわかっていたはずなのにそれでも悔しくて仕方がなかった。自分が彼女のように感情をすぐ表に出す質ではなくて助かった。長い間なまえのことを想っていたからそういう奴になったのかもしれないが。

 今日はボーダーでの予定もなかったので真っ直ぐ家に帰ることにした。天気予報で夕方には雨が降ると言っていた通り、雲行きが怪しい。自分は常に折り畳み傘を備えているから問題はないが彼女は大丈夫だろうか。こんな時さえも気に掛けてしまうのが情けない。ふと廊下に目をやると、なまえが鞄を片手に通り過ぎていった。傘がどうとかそれ以前に浮かない様子だった。交際から間もないのにあんな調子で大丈夫なのだろうか。お節介なのはわかっているもののつい足が動いていた。行動の原動力は別の、きれいとは言い難い感情かもしれないが。
 彼女に追いつくのはそこまで難しくなかった。なまえは自分のクラスの下駄箱に寄りかかり、携帯の画面を眺めている。偶然を装い、声を掛ければいつもより少し活気の足りない笑顔を向けられた。
「みつるくんだ、何か久しぶりだね」
「そうだね、……先輩からのメールでも待ってるの?」
 なまえは少しだけ考えたような素振りを見せたかと思えば先ほどまで見つめていた携帯の画面を自分に向けてきた。そこには『別れよう、さようなら』と書かれていた。古臭い考えかもしれないが、今の男女はたった一通のメールで別れたりするものなのかと驚かされる。いや、正直言うとそこまで驚いてはいない。それよりもなまえの反応が薄い方が気になった。ぼうっとメールの文を眺めるだけで、いつものように泣きついてこないのだ。
「別れようってメールが来た今より、付き合ってた……あの様子ってそう言っていいのかな? その時みつるくんに関わるなって言われたのが一番いやだったの」
 私ってひどい奴だよね、と困ったように笑うなまえ。たしかになまえは酷い奴だと思う。ずっとオレの気持ちに気づかないし。オレの隣でも居もしない王子様に夢見ているかと思えばいきなりそんなことを言って心の平穏を乱すし。惚れた弱みさえなければ今頃とっくに突き放しているだろう。でもそのたった一つの弱みでオレはなまえに手を差し伸べてしまうんだ。
「オレは、優先してもらえて嬉しいって思ったよ」
「……みつるくんは優しいね」
 そう言ったと同時になまえの瞳から涙がこぼれた。今までなまえがふられたと騒ぎ自分の元にやってきたことは数え切れないほどあったが、泣いたことは一度もなかった。彼女が泣くのを見たのは、なまえが憧れたお伽話が載っている絵本が同級生の男子によって破かれたときが最後だった。そのときになまえは女の子なのだと改めて実感させられて、この思いを抱くようになったのだ。それを久々に見て、冷静でいられるわけがなかった。
「……何でオレがなまえに優しいのか、わかる?」
「幼なじみだからじゃないの?」
「違う」
 なまえは頭に疑問符を浮かべる。ここまで来て全然気づいていないのか。どうやら自分は隠し事が上手すぎたようだ。
「なまえのことが好きだからだよ」
 なまえの目が大きく見開いたと思えばなんで、とかどうしてとかぶつぶつと呟きだした。ついさっきまで付き合っていた先輩に告白されたときもそんな反応をしたのだろうか、そんな考えも一瞬過ぎったがなまえの真っ赤な顔を見てどうでもよくなった。今までの自分には向けられることのなかった表情だ。
「か、仮にもふられた直後にそう言うの、ずるい……」
「仮にもって言ってる段階で先輩のことそこまで好きじゃなかったんでしょ」
「みつるくんの意地悪……」
「まあ、仕方ないね」
 ずっと隣で他の人を好きだなどと聞き続けていて優しくいられる人がいるなら見てみたいものだ。ああ、ついさっきまでの自分じゃないか。

「色々考えることあるだろうし返事はまだいいから」
 すぐに答えを求めることはできなかった。珍しく乱雑に上履きと靴を履き替え、帰ろうとしたはずが背後から呼び止められてつい足を止めてしまった。こんな時までなまえに弱いのが情けない。
「……傘忘れたから入れてほしい、な」
 申し訳なさそうななまえの申し出に思わず空を見上げると、雨が降り出していた。予報通りなので驚くことはなかったがやっぱりこの幼なじみは傘を持っていないようだった。無言で頷いたらなまえはいつものように笑みを浮かべて自分の元に駆けてきた。
 帰り道、必要以上に言葉を交わすことはなかった。なまえの「王子様探しはしばらくおやすみかな」という呟きは雨の音で聞こえていないふりをした。近すぎた距離の意味がほんの少し変わっただけで今は十分だ。


WT夢アンソロジー『恋の指先』に提出