text log | ナノ
「……なまえなんて死ねばいいのに」
 ぼくは人よりも口の悪い質のようだ。歌川にもよく指摘される。今日も幼なじみのなまえの相手をしていたら非常に不愉快なことを言い出したから思わず先程の言葉が出てきてしまった。流石に言い過ぎたかと思ったのだがなまえは「ひどいなあ」といつものように笑うだけだったので心配して損をした。それが遠征三日前の出来事だ。そのやり取りの日からなまえとぼくは話していない。遠征については守秘義務も有り、なまえに言えることではなかったので特に何らかの連絡もせず、少し引っかかりを覚えながらもぼくは遠征へと行った。

 赤い液体が視界に入ってくる。それは自分のではない。ぼくに襲いかかってきた奴のものだ。それを流した奴は横たわったまま、もう二度と動くことはなかった。こっちの星の奴もぼくらと同じ血の色をしているのか、それが一番最初に抱いた感想であった。頬にそいつの血がついているが、それを拭う気にはなれなかった。どうせいくら血を浴びようとトリオン体を解けばすべていつも通りになる。でもこいつは、もう永遠にどうすることもできなくなるのだ。
「ばかだなあ」
 目の前に転がる物体を見て、ぼそりと呟く。多分今の呟きを誰かに、特に歌川あたりに聞かれたら面倒なことになったかもしれないが、他の隊員は周囲を散策しているのでそうならずに済んだ。別にこいつをどうにかするつもりはなかった。今回の遠征も情報収集が主な目的で必要以上の戦闘なんて要求されていなかった。しかし相手はそうではなかったようで、トリオン体を保てなくなってからも無謀に突っ込んできたのだ。
 最後にこいつに手をかけたのはぼくだった。その際に心臓の音がどんどん小さく、間隔が長くなるのがよくわかってしまい、久々に自分の耳に嫌気がさした。
 今までも死んだ奴は三門市でも、他の国でも見たことはあったが自分でその人のすべてを終わらせるのは初めてのことだった。それでも存外落ち着いている。それにしても、何でこいつはこんなになるまで必死だったのだろうか。誇りがどうとか、守りたいものがあったのか。そんなもの死んでしまったら何でもなくなる、どうでもいいことなのに。
 考えていると以前なまえに吐き捨てた言葉を思い出してここに来る前から抱いていたひっかかりが更に刺々しくなった気がした。これで万が一今後の任務に支障が出たら、帰った際に文句の一つでも言ってやろう。もし帰った時にはなまえがどうにかなっていたら、と我ながら馬鹿なことを思い浮かべてしまった。それでも絶対に有り得ないと言い切れないのが嫌だった。もうあの日からあらゆる物が変わっているのだ。
 その死体からは遠征の成果と言える物は見つからず、周囲にも特にめぼしい物はなかったのでぼく達はこの場から去ることになった。こいつはおそらく、この国の奴が見つけるまでこのままなのだろう。最後そいつにどうするべきかわからず、ここでの作法とは異なっているかもしれないが、手だけ合わせることにした。他の人が特に反応しなかったのでその行動が正しいのかそうでないかはわからなかった。合流した歌川に頬の血を指摘された。うるさいなあ、わかっていると受け答えながらそれを拭う。

 遠征はその後特に問題もなく終わった。いちいちあいつの顔が思い浮かんだこと以外は。
 報告など行っていたら帰るのは夜になった。そこまで久しくもないのに家までの道のりがやけに懐かしい気がする。あっちにいたせいで感覚がおかしくなったのだろうか。まあすぐに違和感を覚えることもなくなるだろう。今のうちは。
 あと少しで自宅というところで足が止まる。家を通った際に彼女の部屋の明かりが点いていないのを不思議に思っていたら、ぼくの家の前になまえがいたからだ。ぼくの存在に気づいたなまえは嬉しそうに駆け寄ってきた。遠征に行く前と同じ、相変わらず気の抜ける顔をしている。最後に会った時にあんなことを言った奴にそんな顔を向けられる理由がわからなかった。
「おかえり。ボーダーのお仕事?で今日まで公欠って聞いてたから待ってたの」
 聞いてもないのにぺらぺらとなまえは喋る。ぼくはそれに相槌すらうてていない。こいつはこの間ぼくに言われたことを忘れたのだろうか。なまえに会ったら任務に支障が出たと文句を言うはずだったのに何だか拍子抜けだ。今までにも任務で家に帰らないことはあったがこの様になまえがわざわざ家の前で待っているということはなかった。なまえの行動に疑問を抱いていたらなまえはこの間のことについて話し出した。忘れたのかと思ったがやっぱり覚えているじゃないか。
「士郎くんがボーダーのお仕事で忙しい時期だったのに私の関係ない、変な話をしちゃってごめんね」
 何でなまえが謝るのか理解ができなかった。なまえがあの時ぼくに持ちかけた話題は、とある男子に告白されたのだがどうすればいいのかというものだった。ぼくは常にあらゆるものに不快感を覚えているが、そのなまえの言葉はどうでもいいはずだったのに、なぜだかわからないがとびきり気持ちが悪く、頭に血をのぼらせるには十分なものだった。勝手に誰だか知らない男とくっついてどうにでもなればいいという意味で発したはずの言葉は、あの様な言い回しになって今回の遠征で度々顔をちらつく羽目になった。色々と文句があったはずなのに、全然言うつもりのなかった台詞しか出てこない。
「……ぼくもごめん」
 顔を見たくなかったのでなまえの肩に額を押しつけることにした。一瞬なまえが驚いたためか肩が跳ねたが特に抵抗されることもなかった。まだぼくの口は勝手に動く。
「……死ねばいいのにとか思ってない」
「ふふ、知ってるよ。あっ、それでね告白は普通にお断りした」
「……それは別にどうでもいい」
「そうだね、どうでもいいね」
 なまえの鼓動が少しずつうるさくなってくる。でもそれは不快ではない。むしろ、なまえのそれがちゃんと動き続けていることに、今なまえがここに居るのだということが実感できるから悪くない。多分ぼくのも同じようになっているのだろうけど、今はまだ何も気づかないふりをすることにした。


WT夢アンソロジー『恋の指先』に提出したものです